追撃
その後、新たに丁野砦というところも占領して同じように敵兵を解放し、二つの砦に兵を配置した。そして軍議の結果、朝倉軍追撃の先手として佐久間信盛、柴田勝家、木下秀吉、滝川一益、丹羽長秀の五隊が配置されることに。
陣を構える直前、家臣団を集めての決起集会的な何かが開かれた。大獄砦の中で六助がおっさん共に向かって声を張り上げている。
「いいか皆の者! 二つの砦の陥落を知った朝倉義景は必ずや撤退する! くれぐれもその好機を逃すことのないよう! もし出遅れるようなことがあれば……お尻ぺんぺんの刑に処す!」
家臣団がにわかにざわめいた。それぞれが驚愕や動揺の入り混じった表情を浮かべながら、隣り合った者と談議を交わしている。
「お、お尻ぺんぺんの刑だと……!?」
「これは六助殿、本気で朝倉を潰しにかかっておりますな」
「しかし気持ちは我々とて同じ。だというのに多少の失敗でお尻ぺんぺんというのはいくら何でもやり過ぎでは?」
「私はむしろやられてみたいですな」
「確かに、プニ長様にお尻ぺんぺんされると考えれば」
「貴様の汚い尻をプニ長様に触らせる気かこの不届き者めが」
「何だと!?」「やるか!?」
「何をやっとるかぁ!」
二人が腰に帯びた刀を抜きかけた瞬間、六助が喝を入れた。それから、一瞬にして静まり返った場をずんずんと歩み寄っていく。
「どうした、喧嘩の原因は何だ?」
「こやつがプニ長様にお尻をぺんぺんしていただくことは僥倖と」
「そもそもその話を始めたのは貴様ではないか」
「私はお尻をぺんぺんされてみたいと言ったのであり、まさかそれをプニ長様にお願いしようなどとは思っておらんわ!」
「それではただの変態であろうが!」
「一旦静まれい!」
まあ、犬に尻をぺんぺんされて喜ぶのも充分に変態だけどな。
もう一度入った六助の喝によって、砦には静寂が訪れる。誰もが六助の方を向いて次の言葉を待っていた。
「双方の主張はわかった。お尻をぺんぺんされて喜ぶ気持ちは理解出来るし、それがプニ長様によるものであれば尚更だろう」
「キュキュン(理解出来るのかよ)」
「しかし、やはりお尻をプニ長様に触れさせるという発想は捨て置けぬ。そこになおれい!」
そう叫びながら、六助は刀の柄に手をかける。
「お、お待ちください六助殿! どうして妄想しただけで斬首までされなくてはならないのですか!」
「やかましい! 貴様のような輩がいるから私が臭いなどと言われるのだ!」
まごうことなき正論にトンデモ理論で返していく。怒りに震えながらも、自分で理不尽なことをしているのがわかっているのか、六助は焦りと混乱の極致にいるようだ。
そこへ一人、騒乱の中へと自ら歩を進める者が現れた。
「天正元年八の月、司寿六助なる男は怒りに燃えていた。震える拳は決して許すことは出来ぬと語り、鋭い眼光は忠誠を誓った君主に対する不敬を働いた大罪人を捉えていた。そして彼はまた混乱しているのだ。内から沸き起こる古来よりの悩み、そしてそれに対する怒り。相手だけでなく、自分自身すらもまた許せぬと」
「すまぬが丹羽殿には少し席を外して欲しいのでござる」
柴田が呼んだ部下に連れられて、丹羽は天幕の外へと丁重に出された。その際にも彼はまだ何かぶつぶつ言っていた。
そんな丹羽を見送った後、柴田は一つため息をついてから六助の方を向く。
「六助殿。今は仲間内で割れている場合ではないでござろう。そのようなことをしている暇があれば追撃戦の準備をした方が余程益があるというもの」
「プニ長様に対する侮辱をそのようなことと!?」
六助は興奮気味にそう言って刀の切っ先を柴田へと向けた。柴田は平然と、ただ静かに六助を睨んでいる。
「数少ない友人である拙者を斬るおつもりか?」
六助からの返事はなく、そのまま続ける。
「そうやって大事なはずのものもそうでないものも見境なく斬り続けていけば、いずれ何もなくなってしまう。世界が小さくなっていくことに、人は案外自分では気づけないものなのでござる」
「…………」
その言葉を聞いて六助が刀を下ろした。
「……柴田殿、私はまだ貴方の友人ですか?」
「え? あ、ああ! もちろんでござるよ!」
柴田の微妙な反応に一瞬怪訝な表情をするも、六助は静かに刀を納めた。家臣団が一様に胸を撫でおろす中で再び前に歩み出て声を張る。
「朝倉軍は早ければ明日にでも撤退を開始するはずだ! くれぐれも出遅れることのないよう、準備は怠るな!」
嵐をもかき消すようなおう、という掛け声が天幕に響き渡った。
翌日。秀吉の予想した通り、解放した兵によって二つの砦の陥落を知った朝倉軍は撤退を開始した。しかし、六助があれだけ出遅れるな出遅れるなと言っていたにも関わらず、先手の五将は見事に出遅れてしまう。
単独で先陣を切った司寿隊。それに慌てて追いすがる形で五将も砦を出発した。俺は柴田の馬に同乗し、秀吉と並んで走っている。
「ハゲネズミよ、貴様も遅れたか!」
「はい。六助殿があれだけ遅れるなよ遅れるなよというものですから、むしろ遅れてくれということなのかと」
「キュン(芸人か)」
「柴田殿は?」
「拙者は普通に寝坊でござる」
「そっちの方がたちが悪いではありませんか」
「いや、いつでも出れたのにわざと遅れた貴様よりはましでござろう」
「キュキュン(どっちも大して変わらんわ)」
六助からすればどちらも出遅れたことには変わりないわけだしな。
そんなやり取りをしながら走り続けていると、ある地点に差し掛かったところでようやく朝倉軍を追撃する織田軍を発見した。
それは正に地獄絵図というにふさわしい光景だった。朝倉軍の兵は大半が蜘蛛の子を散らしたようにただ逃げ惑うばかりで戦意というものが感じられない。それに比べて織田軍の兵は士気が高く、朝倉の兵を容赦なく捕らえては鼻から味噌を突っ込んでいた。
耳をつんざくような断末魔や悲鳴の中から六助の声が聞こえてくる。
「はっはっは、どうだ! 貴様らは最後に味噌を鼻で味わいながら死ぬのだ! 泣け叫べ! 恨むなら私を臭いと言った朝倉家臣団と、妻子もちの幸せな家庭を築いた貴様らの同僚を恨むがいい! わっはっは!」
味噌で鼻を詰まらせてもがき苦しむ兵はしかし、突如として刀を鞘から抜き放って六助に斬りかかった。
「それはただの私怨だろうがぁっ!」
必死の一筋は見事に受け流され、返す刀で首を斬られてしまう。朝倉兵は血塗れになりながら膝から崩れ落ちて行った。
「今のうちに、一人でも多く……逃げ……」
側で命の灯が消えて行く様を冷静に見守る六助は、鬼神修羅とでも例えるべき姿をしていた。返り血を帯びた鎧と何の感情も窺うことの出来ない瞳は、同軍である俺たちですらも背筋を凍らせてしまう。
「美濃を出立した時よりも更に戦意を増しておられる。それほどまでに妻子持ちが許せなかったのでござるか、六助殿……」
「私、しばらくは六助殿に近寄らないようにします」
「ハゲネズミよ、貴様六助殿に紹介出来そうな女は知らんのか」
「知りませんよ。六助殿と結婚するとなればある程度の地位を持つ家の娘でなければ都合も体裁も悪いでしょうし、そのような女と遊べば確実に寧々にばれます」
「そうか。お主の嫁、怖いでござるしな」
「そうなんですよね……」
秀吉は女好きでしょっちゅう浮気をしているらしいけど、割と高確率で奥さんにばれて怒られているらしい。秀吉はこの世界では珍しい恋愛結婚をしているので、そう簡単に一夫多妻が許されるわけではないのだ。
朝倉軍が壊滅していく様を眺めながら、二人が頭を抱えていた。




