素晴らしき
「その歯に衣着せぬ物言い。織田家の家臣団ですら言いにくいであろうことを、こうもはっきりと……素晴らしい」
「えっ、あの、家康様?」
突然に賞賛され、お市は戸惑いと恥じらいが入り混じった表情で問う。一方で、帰蝶と六助はぽかんと口を開けたまま固まっている。
けど、すぐにそんな雰囲気に気付いて、家康は我に返って苦笑を漏らした。
「これは申し訳ございません。お市殿のあまりにも毅然とした態度に、つい感心してしまいました」
「あぅ……」
お市は顔を真っ赤にして俯いてしまった。
「いやぁ、全くプニ長殿は素晴らしい妹君をお持ちですな。はっはっは」
「キュキュン(そりゃどうも)」
つられて帰蝶と六助も笑う。
その後、食事を終えた六助は家康を途中まで送りつつ家路につき、何とか義昭の件はバレずに済んだ。
「ふう」
家康が帰ってようやく緊張が解けたのか、お市がわかりやすくため息をつく。すると帰蝶が、それを優しい眼差しで見つめながら微笑んだ。
「家康様に褒めてもらえてよかったね」
「…………」
お市はわずかに頬を赤らめて口を噤んだまま、俯きがちになっている。家康が気になっていることを人前で認めるのが恥ずかしいのかもしれない。
返事がないことを気に留める様子もなく、帰蝶は膝の上にいる俺を撫でながら、ゆっくりと時間の経過を楽しんでいる。そんな空間はとても穏やかで優しくて、まるで時間の方が過ぎていくことを惜しんでいるようにすら思えた。
やがて、お市が眉を下げた表情で口を開く。
「ねえ、義姉上」
「何?」
「私、あまり女性らしくないって思われちゃったかな」
「どうして?」
帰蝶がわずかに首を傾げて問い掛ける。
「だって、歯に衣着せぬ……とか、毅然とした態度とか。あまり女性に対して向ける言葉じゃないし」
「そう? 別にそんなことないと思うよ」
「…………」
再び唇を引き結んだお市に対し、帰蝶は優しく包むように語り掛けていく。
「お市ちゃんは、女性らしくっていうより、女の子として良く思われたかったんだよね?」
「っ!」
お市の顔が一瞬で燃え上がった。
「それなら心配ないと思うよ。今日のことで、少なくとも良い印象は持ってもらえたはずだから」
「でも」
「私たちだって、潔かったり逞しかったり、強い殿方だけを魅力的に感じるわけじゃないでしょ?」
「うん」
「それと同じ。殿方だって、何も穏やかで物静かで、優しくて器量よしで……そんな女性ばかりを好きになるわけじゃない」
「そう、かな」
確かめる調子のお市のつぶやきに、帰蝶はしっかりとうなずいてから悪戯っぽく微笑んだ。
「うん。それに今日のあの様子だと、良く思ってもらえたどころか、うまくいけば側室に、なんてこともあり得るかもよ?」
「……!」
またまたお市の顔が真っ赤に染まる。そのまま帰蝶の方まで身体を寄せて、彼女の肩をぽかぽかと叩き出した。一緒にモフ政もこちらに歩いて来る。
「もう、からかわないでよ! 義姉上のばか! ばかばか!」
「ワウ」
「ごめんごめん。モフ政様も、失礼を致しました」
「ワウ」
「キュキュンキュン(てめえ帰蝶に何か文句あんのかコラ)」
「ワウ」
「キュキュンキュン(何て言ってるのかわかんねえぞコラ)」
やがて気が済んだお市が元の配置に戻ると、今度は恐る恐るといった様子で帰蝶に尋ねる。今日は表情が目まぐるしく変わるなこの子。
「あの、義姉上は……家康様のこと、どう思ってるの?」
「どうって?」
「男性としてどう思ってるのかってこと。さっきもいい雰囲気だったし」
それは俺的にも気になるところではある。
いくら夫とはいえ、俺は犬だ。ずっと一緒にいてくれたところで帰蝶を幸せにすることは出来ないし、だったら寂しいけど徳川家に嫁いでもらった方がいいのかなと思うことはままある。
ただ、そうなるにしても本人たちの気持ちが大事だ。これは政略結婚とかではないのだから。
穏やかな雰囲気はそのままに、帰蝶は少し考えてから応える。
「私はプニ長様の正室だから」
「でも、犬じゃん。徳川家に嫁いだところで誰も文句なんて言わないと思うけど」
そこで帰蝶は、俺を優しい目で見つめつつ撫でてくれながら答えた。
「確かにお犬様で人じゃない。でもね、この御方はただ尊いだけじゃなくて、私にとって特別な何かをお持ちのような、そんな気がするの」
「ふ~ん」
お市は納得したようなしていないような、そんな表情を浮かべている。
やばい俺めっちゃプレッシャーやん。そんな特別なものなんて持ってないんだけど……。前世だったら結構エロ本とか隠し持ってたけどね。好きなアニメの同人誌とか、って今はその話はいい。
「言葉じゃうまく説明出来ないけど。とにかく、この御方とずっと一緒にいたいっていう気持ちは本物だよ」
「キュキュンキュン(帰蝶たんまじペロペロ)」
まじペロペロという想いに嘘偽りは全くなかったものの、明らかにそういう感じの雰囲気ではなかったので反省した。
お市がこちらに寄って来て、帰蝶の隣に腰かけてから俺の顎に指を当てた。
「よかったわね、あんた。ただの犬なのにそこまで思ってもらえて」
「キュン(あざっす)」
「義姉上みたいな器量良しに好かれるなんて、あんた相当幸せ者なのよ。ちゃんとわかってる?」
「キュキュン(わかってまっす)」
「ふふ。お市ちゃんとプニ長様も、最近は仲良しさんだね」
そう言われて、お市はわかりやすくそっぽを向いた。
「まあ、多少尊いのは認めてやってもいいかな」
「キュンキュン(意外な反応だな)」
戦乱の世界に揉まれたからか、それともこっちに来て俺もいくらか歳を取ったからだろうか。いつからか、こういった何でもない日常の風景こそが愛しいと思うようになった。
柔らかく笑う帰蝶に、そっぽを向きながらもこちらをちらちらと見るお市。その傍らではモフ政も俺をじっと眺めている。
この風景を守る為に天下を統一するなんてのもいいのかな、と。最近になってそう考え始めていた。それは、今まで流れで言われていた言葉を、自分の意志で願うようになっていたということ。
そんなわずかな変化が自分の中にあるのを感じていた。
やがて、話は本題? に戻る。
「で、義昭様の件はどうすんの?」
「う~ん……」
帰蝶が宙に視線を躍らせて考え込む。
「私たちだけで抱え込んでもしょうがないし、プニ長様のお考えはソフィア様がいらっしゃらないとわからないし……柴田様に相談するのがいいのかも」
「ま、それが無難よね」
「家臣団の中でも一番織田家に忠義の厚い柴田様なら、間違ったことにはならないと思うし」
本当に家中での柴田の信頼って厚いんだな。あいつの火の不始末で比叡山が燃えた事実は墓場まで持っていきたいと思います。
「だね。それじゃ、適当にその辺の人を捕まえて呼んでもらってくるね」
「うん、お願い」
少ししてやって来た柴田は、何故か微妙に緊張していた。
「そっ、それで、お市殿からのお話というのは……?」
「いや別に私からってわけじゃないけど」
「えっ?」
緊張から一転、今度は鳩が豆鉄砲をくらったような顔に。
「義昭が織田家を裏切ったらしいのよ」
「えっ?」
「いや、だから義昭が織田家を裏切ったの」
「それだけでござるか?」
「それだけって……いやまあそうだけど」
「そうでござるか」
がっくりと肩を落とすも、柴田はすぐに顔を上げて表情を引き締めた。
「それはどこからの情報でござるか?」
帰蝶とお市は、家康が来たことと伝え聞いた情報を柴田に伝える。
「なるほど、確かに家康殿の判断は間違いではないでござるが……。義昭殿を打倒するというのも選択肢の一つではあると思うでござる」
意外な返答に帰蝶が目を見開いていた。