束の間の日常
「時に六助殿」
「はい、何でしょう」
軍議が終わり、家臣たちが続々と大広間を後にしつつある時、何かを思い出した様に柴田が六助に話しかけた。
「さっきの軍議の通り、プニ長様の為に比叡山を攻撃するのには賛成なのでござるが……その方法が焼き討ちというのは考え直す気はないので?」
「何故でしょう? やはり仏教の象徴といえば寺でしょう。あれを焼き払わねば比叡山延暦寺に勝利した気にはなりませぬ」
「それはそうでござるが」
柴田が腕を組んで唸り声をあげながら考え込む。今日はこいつのこんな表情をよく見る日だ。どういったら自分の意見を受け入れてもらえるか、考えているのだろう。
やがてゆっくりと顔をあげてから口を開いた。
「焼き討ちにすれば建物が燃えるでござろう?」
「そうですね」
「ということは、その中にいる人も燃えるやもしれぬ」
「そう……ですね」
「攻めるにしても、焼死させるというのはいささか残虐では? 関係のない女子供まで巻き込む可能性もあることでござるし」
「むむ、確かに」
どうやら心に届いたらしく、六助が口を噤んだ。
どちらにしろ死なせてしまうのに、以前の俺なら槍や刀で討ち取るのも燃やすのもそんなに変わらんだろうと思ったかもしれない。でも今ならわかる。
以前香の話をした時にも出たように、戦場に生きる足軽や大名、つまり武士の中には死に様を大切にする人もいる。戦場で敵に打ち取られるなら本望。だけど、戦わずして突然に焼け死ぬのは、苦しいだけで嫌だということなのだと思う。
やがて六助は、考えがまとめるような間を空けてから語り出した。
「いやしかし、寺を攻めるというのなら燃やさないと、真正面から攻城戦のように攻め込むというのは億劫ではないですか?」
「言っていることが正気の沙汰ではないのでござるが……」
俺もさすがにこれは理解出来ない。六助のきょとんとした表情が、余計に何を考えているのかわからない恐怖感を煽っている。
柴田は気を取り直し、何とか話を再開する。
「と、とにかく、ただ攻め込むだけではなく建物まで壊すのだとしても、焼き討ち以外にも方法があるということはわかって欲しいのでござる」
「なるほど、では敵兵を全て討ち取ってから燃やせばいいのですね」
「いや、だから……」
わかってるのかわかってないのかわかんねえ。
「まずは普通に攻め込み、比叡山を手に入れてから燃やすかどうか考えればいいでござろう」
「それもそうですかね」
説得が功を奏したのか、納得のいっていない表情ながらも、聞き入れようという姿勢を見せてくれている。
柴田はそれを見て、ようやく安心したように一息をついた。
やがて年の瀬も迫ったある日の朝。
「プニ長様、雪です、雪が降っております!」
「キュン? (まじで?)」
俺の部屋にやって来た帰蝶が、襖を開けての開口一番にそう教えてくれる。珍しく頬を紅潮させている様が何とも可愛らしい。肩や髪には、氷になってしまった雪がまだ残っていた。
それから、これまた珍しく問答無用で俺を抱っこする。
「お外へ参りましょう!」
「キュ~ン(参りゅ~)」
雪化粧を施した美濃の街並みは、幻想的なようでどこか懐かしさも感じさせる。
「今年初めての雪だ」と笑顔で世間話に勤しむ百姓に、雪合戦や雪だるま作りに励む子供たち。店の軒先で雪かきをする商人の汗が頬を伝って輝く。ただその中には、当然ながらも、交通機関が止まって生活に支障が出ると、文句を言いながら顔をしかめる人間は見当たらなかった。
「プニ長様にお渡ししたいものがございます」
「キュン(なになに)」
ということで、まずは帰蝶の住む屋敷に向かっている。
この世界に来てから知ったことだけど、自分の城があっても、大名やその家族は基本的にそこに住んだりはしないらしい。あれはあくまで戦の時に使うためのものであり、生活するところではないのだとか。
だから通常、大名は六角のおっさんみたいに、城の麓にある屋敷に住んでいる。
ちなみに俺は例外で、家臣たちの「城に住むお犬様などいと尊し」という進言などもあり、流れで城に住むことになった。とはいえ、犬だし帰蝶が毎日通って面倒を見てくれるしで、特に不便もないからそのままだ。
帰蝶の屋敷に到着。何度か来ているので、好きな人の家だからといって特に興奮したりはしない。ごめん本当はちょっとだけしてます。
「ただいま~」
と声をあげながら、帰蝶は勝手知ったる我が家を進んで行く。
「お帰り。早かったじゃない、どうしたの?」
奥から、のれんを柔らかくかき分けてお市が出て来た。足元にはモフ政もついて来ている。
お市とモフ政はとりあえずといった感じで帰蝶の屋敷に住んでいる。でも一応は人質なので定住する見通しが立たないことから、今後二人の家が建つ予定もなく、当面の間はこのままになると思われる。
お市が帰蝶に抱きかかえられた俺に気付いて、わずかに目を見開いた。
「って、兄上も一緒じゃん」
「そうなの。ちょっとお渡ししたいものがあって」
「ふぅん」
相変わらずの強気な瞳がこちらを見据える。
そんな態度とは裏腹に、心の中では「今日はプニモフ出来るかな……義姉上に見られると恥ずかしいしな」みたいなことを考えているのかと思うと微笑ましい。後でどうにか時間を作ってやろう。
そのまま帰蝶の部屋へと進んで中に入ると、帰蝶は俺を適当な場所に降ろして箪笥へと向かった。
「少々お待ちくださいませ。……えーっと、どこにあったかな」
言葉の端に垣間見える、帰蝶の普段の言葉遣いにどきりとする。日本で高校の同級生として出会っていたらどうなっていたのだろうか。きっと自分からはろくに話しかけることも出来なかったな。
そしてきっと、ある日の放課後。誰もいない教室で偶然会って、進路の話とか高校生共通の何でもない話題とかでちょっと盛り上がったくらいで、勘違いの恋に落ちてしまうのだろう……なんて意味もない想像に思いを馳せた。
「あった!」
そんな時、帰蝶の弾むような声で現実に引き戻される。
「プニ長様、お待たせいたしました! これをどうぞ!」
嬉しそうにこちらに歩み寄り、俺の目の前に座った帰蝶は、こちらに何かを差し出してきた。
毛糸で編まれた、手袋なのか靴下なのか何ともいえない形をしているもの。でもそこで、自分が犬だってことを思い出してすぐに合点がいった。
これ、俺の足用だ。帰蝶たんが俺の為に編んでくれた、足袋とでもいったところだろうか。
ところどころ綻んでいるところが、一生懸命手で編んでくれた感を醸し出していて心がほんわりする。自分で編み物をする機会が中々ないから、侍女なんかに手ほどきを受けながらやったんだろうな。
ちなみに侍女ってのは正室や側室に側近として仕える女性のことだ。
「寒い季節になりましたから、少しずつ編んでいたんです。さあどうぞ」
「キュウン(ありがとう)」
早速足袋を履かせてもらう。うん、中々に温かい。
「あら、何その毛玉みたいなの。可愛いじゃん」
その時、お市がモフ政を抱っこしながら部屋にやって来た。毛玉て。
「でしょ? 寒くなってきたし、手袋みたいなのがいるかなって」
「へえ」
モフ政を下ろし、帰蝶の隣に並んで座りながら足袋をじろじろと観察する。解放されたモフ政は、お市の傍らにやはり大人しく座り込んでいた。
「これ、もしかして自分で編んだの?」
「そうだよ」
「すごいね。私、編み物とか出来ないから」
「私も出来ないから、侍女に聞きながらやったんだよ。今度、お市ちゃんも教えてもらったら?」
「そうしよっかな。別に編みたいものなんてないけど」
と言いながら、ちらっとモフ政の方を見た。口でそうは言いつつも、帰蝶みたいに飼い犬の足袋を作ってやりたいと考えているのかも。
すると、突然にモフ政がこちらにとことこと歩み寄って来た。えっ何?