逆襲の六助
「くっ……プニ長様が、プニ長様が汚されてしまった……」
「キュンキュン(勝手に人を汚すな)」
延暦寺からの帰り道。比叡山を下っている間、六助はそれはもう女々しくぐずぐずと泣き続けていた。
俺たちの周りを取り囲むように歩く馬廻衆の一人が、心配そうに六助を覗き込みながら声をかける。
「六助様、お気を確かに」
その声が聞こえているのかどうかは、どこか遠くを恨みがましく見据えながら、ぶつぶつとつぶやく様子からは判別出来ない。
「私が土下座をすることになったのはまだいい。だが一度不浄の犬と化してしまわれたプニ長様はもう元には戻らない」
「キュウンキュン(誰が不浄の犬じゃい)」
「こうなればもはや、プニ長様と共に修羅の道を歩むしかあるまい」
「キュン……(ええっ……)」
俺ってこれから修羅の道を歩まないといけないのかよ。しかもそれに六助がついてくると。そう考えるとお先は真っ暗な気もした。
その時ひらりと、一枚の紅葉が樹を離れて宙を舞い、俺の目の前にゆっくりと落ちて来た。普段は見過ごしてしまいそうな趣のある瞬間だけど、六助はそれに全く気付かないままに歩を進めていく。
ていうか修羅の道を歩むって、こいつ何をする気だ。
「まずは比叡山だ……」
何こいつ怖っ。どれだけさっきの会談を根に持ってんだよ。
織田家以外の連中に俺をプニプニモフモフされたことが気にくわないのかもしれないけど、だとしたら決して忘れてはならない事実がある。こいつが観音寺城にてお茶の代わりに、六角家へと俺を差し出したことだ。
まあ今回は大切な仲間をやった敵、という因縁があるとかそういう事情があるのはわかるけど、ちょっと落ち着いて欲しい。
何か嫌な予感を覚えながら、麓にいた織田家の皆と合流した。
結果から言えば嫌な予感は当たっていた。
会談が終わると、俺たちはすぐに美濃へと帰還した。それから数日が経過して、森たちを初めとした武将たちを失った傷も少しずつ癒え、新年に向かって皆が気分を新たにしようとしていた矢先のことだ。
突然に軍議を開こうと言い出した六助が、しばらくぶりに使った大広間で、開口一番にとんでもないことを口走った。
「比叡山を焼き討ちしましょう」
歳の暮れということもあって、少しだけ戦から離れ、どこか和やかな雰囲気になっていた家臣団が一瞬にして固まる。
「えっと、六助殿。今のはどういう……」
「言葉の通りです」
ようやく問い掛けることの出来た柴田に、六助は突き刺すように言った。
「いやいや、先の戦いで痛い目を見たばかりではござらぬか。打って出るにしてももう少し慎重になった方がよかろうし、相手が比叡山ともなれば諸勢力の反感を買うことにもなるでござろう」
「それは承知の上です」
「仲間を失ったばかりで気持ちはわかるでござるが、さすがにそれは……」
そこで見ていられないとばかりに光秀が口を挟む。
「落ち着くで候。諸勢力の反感や不信感を買うばかりではなく、織田家の内乱をも引き起こす恐れがあり候。かの山にそびえる延暦寺は天台宗の総本山であり、建築物としても日の本の貴重な文化的財産であるがゆえに」
それは浅井朝倉が比叡山に逃げ込んだという情報が入った夜に、六助が俺に教えてくれたこととほぼ同じだ。まさか知らないはずはない。
「それも同様に承知の上です」
六助の表情は変わらない。座って顔をあげたまま、真剣な表情でまっすぐに家臣団を見つめている。
「じゃあどうしてだよ! 僕と一緒に……!」
「逆にどうして、皆さんはそうも平気でいられるのですか?」
いきなりボルテージマックスモードに入って立ち上がった光秀の言葉を遮り、六助は誰にともなく問いかける。
テンションの行き場を失った光秀は何事もなかったかのように真顔になり、その場で静かに座り込んだ。
「今回の戦における最大の敵は比叡山延暦寺でしょう。たしかに森殿や信治様を討ったのは浅井朝倉軍ですが、かの寺が味方をしなければ仇討ちもなったでしょうし坂井殿ら新たな戦死者が出ることもなかったはずです」
「それはそうで候。しかし」
「それに諸勢力がどうとか貴重な文化財産がどうとか仰っておられますが……すでにプニ長様は不浄の犬と化してしまわれたのですよ?」
「キュンキュン(だから勝手に俺を汚すな)」
「っ!」
ざわめく家臣団。えっ何、どうしたの? 不浄の犬って単語に反応したみたいだけど、俺って本当に汚れてるの?
「不浄の犬とはいかに?」「しばらく風呂に入っておられないという意味では?」
「それはいと不浄」「されどいと尊し」
やっぱり誰もわかってないじゃん。そして身体は定期的に洗ってもらっているので不浄ではありません!
その時、横山城から一時的に帰還していた秀吉が挙手をする。
「恐らくですが六助殿は、プニ長様が宿敵たちにプニモフされ放題で触られまくってしまったことを不浄と表現しているのではないでしょうか」
「秀吉殿の仰る通りです。そして、不浄となってしまわれたプニ長様は、もはや修羅の道を歩くしかありません」
無駄に真剣な表情で発言する六助を見て、家臣団に再度の動揺が走る。まるでそれを代表するかのように、柴田が難しい顔をしながら尋ねた。
「えっと、まずは六助殿、その修羅の道は一体いかなるものにござるか?」
「え? それはえっと……何かやばい道を突き進もう、みたいなそんなのです」
自分でもよくわかってないのかよ。
「正直何を言っているのかわからぬのでござるが……つまりはどういうことでござるか?」
「まあその、要はプニ長様をプニモフされて悔しいので、講和が成立したばかりで油断しているところに奇襲をかけようということなのでは?」
秀吉の発言と共に、家臣団がひそひそ話を始めた。
「それってただの私怨なのでは……」「しかも油断しているところに攻撃とは卑怯にも程がある」「おまけにプニ長様まで利用している」
「というか、そもそも何故に焼き討ち?」「いや、しかし気持ちは我らとて同じ」
でもそれは、
「たしかに」
光秀の妙に迫力のある一言で静まった。
「卑怯極まりない六助殿の提案ではあるが、織田家の為を思えば案外に悪くないものでござ候」
「私もそれは考えておりました」
秀吉の言葉に一つうなずくと、光秀は解説をしていく。
「今回戦った三好三人衆、浅井朝倉連合軍、石山本願寺、比叡山延暦寺は、個別ならば本願寺以外は織田家単独で撃破することが出来候。講和が成立したばかりで、かつ新年が近く気が緩んでいる今のうちに、比叡山を先に……というのは理にはかなっている」
「比叡山は独自の戦力を抱えている上に、地理的にも北陸路と東国路の交差点になっていて、戦略的に重要な拠点です。これが織田方に与さないというのなら、徹底的に破壊しなければ今後の織田家の発展はないものかと」
秀吉の補足に、家臣団が息を呑む気配がする。
「しかしハゲネズミよ、またやつらに結託されてしまえば同じことでは?」
「柴田殿の仰る通りですが、それに関しては私が大阪と越前の陸路を封鎖してしまおうかと思っています。それによって、浅井朝倉軍と石山本願寺および比叡山の連絡を遮断しようということですね」
「ふむ……」
柴田が顎に手を当て思索を巡らせている。俺が何も言っていないのにどんどん話が進んでいくことに関しては、慣れているので何も思うことはない。
「話はわかりもうしたが、本音を言えば寺を攻撃するというのはやはり気が進まぬところでござる。これがプニ長様の命とあらば是非もないのでござるが……」
家臣団の視線が一斉に俺へと向けられる。ここで俺の登場なのかよ。言葉通じないってのに。
ぬっ、ちょっと緊張したせいか急に大きい方を催して来たな……。
さすがにここで漏らすわけにはいかないので、俺はこの城の壁の向こうにある、遥か遠くを見据えながら尻に力を入れて我慢することにした。
すると、何故か家臣団が急に盛り上がりを見せ始める。
「おおっ、プニ長様がどこか遠くを見ておられる!」
「やはり目指すは天下統一! その為には寺社を焼き払うこともいとわぬと!」
「さすがはプニ長様じゃあ!」「いと尊し!」「いと尊し!」
どうでもいいけど厠に行きたいので早く終わってください。
「プニ長様のご意志、了解いたしたでござる。この不肖柴田、プニ長様の為なら例え地獄であろうともお供いたす」
「キュンキュウン(勝手に地獄に落とすな)」
「よし、比叡山を焼き討ちじゃあ!」
「お、おう」「おー……」
一人異様に盛り上がる六助の掛け声に応じる者はまばらだった。