一騎打ち
でも、磯野さんの前で立ち止まり振り返ると、長政はさっきまで俺と向かい合っていた位置から動いていなかった。その場所から、ブサカワフェイスに埋め込まれた瞳がこちらをじっと見つめている。
「…………」
「…………」
「キュ、キュキュン(おい、早くこっち来いよ)」
「ウウ~ッ」
こいつもお市と一緒であまり友好的な感じじゃなさそうだ。人見知りで今はまだ警戒されているだけなのかもしれないけど。
「何やってんのよもう」
業を煮やしたお市が出て来て長政を抱っこし、俺の正面まで運んでくる。その間長政は嬉しそうに尻尾を振っていた。
俺たちが輪の中心で相対すると、周囲からは再び「尊さここに極まれり」というつぶやきが漏れ聞こえる。
そんな中、秀吉が磯野さんに疑問を投げかけた。
「それで、一体誰がどうやって勝敗を決めるのですか?」
「俺がプニモフして決めるんじゃオラァ!」
「あなたは浅井家の人間でしょう。どうしても審判が長政殿びいきになってしまうのでは」
「俺がそんな男らしくねえことすると思ってんのかオラァ!」
磯野さんの剣幕に、秀吉は怯むことなく提案する。
「いえ、そういうわけではないのですが……プニモフ役をお市殿に任せてはいかがかと思いまして」
「えっ、私!?」
真っ先に反応したのはまさかのお市本人だった。予想外の反応の良さに一瞬だけ間を空けながらも秀吉は続ける。
「はい。先ほどご本人でも仰っていた通り、お市様はこの勝負で長政殿が負けても住む場所が変わるだけです。つまり結果に執着する必要がありません。この場においては一番平等な判断を下すことが出来ると思います」
「たしかにそんな気もすんなぁオラァ……」
「さすがは秀吉殿」
磯野さんは顎に手を当て、六助は腕を組んだまま何度もうなずき、両者共に納得したような様子を見せている。正直、何でもいいから早く終わらせて帰りたい。
「しょうがないわね。そういうことならやってあげてもいいわよ」
そう言ってこちらに歩いて来たお市の頬には少し赤みが差している。本当はプニモフ役をやってみたかったのだろうか。
そのままお市が俺たちの間に立つのと同時に、磯野さんが右拳を天に向かって突き上げながら咆哮した。
「それでは勝負、始めえええええええああああぁぁぁぁ!」
「うるさい! 長政がびっくりするでしょ!」
「バウワウ! バウワウ!」
「すいません」
しゅんとする磯野さん。俺は普段から家臣たちが似たようなことをしているのでそこまで驚かなかった。
そこに目をつけたお市がこちらを見下ろしながら言う。
「あんたはそこまで驚かないのね」
お市の強気な瞳がわずかに潤んでいて、何かを思い出しそうになる。何だっけな……こんな表情を前にも見たことがあるような。いや、こんな強気な女の子に会ってたら忘れるはずもないか。
思考していると、借りて来た猫のようになってしまった磯野さんが、腕を水平に伸ばしながら言った。
「それでは始めてください」
「順番とかプニモフの仕方は私が決めていいの?」
「はい、どうぞご自由になさってください」
「そ。じゃ、じゃあ、あんたからかな。ほら、長政はいつもプニモフしてあげてるから……」
何の言い訳かもよくわからない言葉を口にしながら、お市は俺の両前足の付け根を持って抱っこし、自分の顔の高さまで持って来た。
そのまま無言で見つめ合う二人。
「…………」
「…………」
「な、中々やるじゃない」
「キュ? (何が?)」
そんなお市の頬はやはり朱に染まっている。
こいつ、まさか……。
犬好きだな!? もしくは動物好き。
周囲を見渡してみれば、両軍関係なく和やかな雰囲気が漂っている。皆がお市を眺めながらにこにこしている感じだ。
ソフィアは何故か俺から離れて六助の近くでだらしない顔をしながらお市を観ている。我が妹のことをかなり気に入ったらしい。
そのままの体勢でお市が俺を観察していると、やがて磯野さんが気まずそうに、恐る恐るといった感じで口を開いた。
「あの~、お市様。このままでは日が暮れてしまいますし、そろそろ……」
「うっさい! わかってるわよ」
「すいません」
磯野さん完全にオラオラ系じゃなくなってるし、そろそろ彼を怒るのはやめてあげて欲しい。
照れ隠しの罵声を飛ばしたお市は、俺を一旦地面に降ろしてから左手を差し出して来た。
「ほら、プニプニするから手出して」
しょうがねえやつだな。ここは一つお兄ちゃんとして妹のわがままを聞いてやろうじゃないか。
大人しく「お手」をすると、お市は途端に目を見開いた。
「へえ、賢いじゃない。長政とは違うわ」
まあ、あいつは正真正銘の犬だからな……。賢い犬でもしっかりと訓練されなければちゃんとした芸は出来ないっぽいし、少なくとも、初めて会った人からの要求に応えるなんてことは難しいはずだ。
左手で俺の右前足首? を掴み、左手で肉球をプニプニし始めるお市は、おもちゃに夢中になる子供のような表情になった。
「へえ……」
「…………」
「…………」
どうやらまた無言のプニプニタイムに突入したみたいだ。さっき見つめ合った時みたいにしばらくはこのままだろう。
何度も怒られてしまった審判役の磯野さんは、これ以上発言をする気がないのか押し黙ったまま微動だにしない。
「ふ~ん、いとプニプニってやつね」
特に表情を変えることもなく、お市はそんな感想を漏らす。けど、あっさりした言葉とは裏腹に、俺の前足は中々解放されなかった。
プニプニに夢中になっていたお市は、しばらくしてようやく自分が皆に微笑ましく眺められていることに気付いたらしい。顔をあげて周囲を見回すと、咳ばらいをしてから口を開く。
「プニプニについてはわかったわ。次はモフモフね」
そう言ってもう一度右前脚の付け根を持って俺を持ち上げると、お市は右腕を俺のプリティなお尻の辺りに回して通常の抱っこ体勢に移行した。そして、お腹を頬ですりすり始める。
お市の髪の毛が目の前に来て、ふわりと花のような香りが鼻腔をくすぐった。
「…………」
「…………」
今度は感嘆の声を漏らすこともなく、本当に無言のモフモフタイム。さっきもそうだったけど、長政と比べているのかやたらと長い。
「これ……」
ようやくそんな感想にもならない声が聞こえたかと思えば、次の瞬間にお市は顔を上げて磯野さんの方を振り向き、驚くべき言葉を口にする。
「長政と比べるまでもないわ。この勝負、織田軍の勝ちよ」
「「「「ええっ!!!!????」」」」
突然の一騎打ち終結宣言に、両軍とも驚愕と困惑を露わにした。
「お市様! 勝負という形式になっている以上、きちんと長政様の方もプニモフしてから決めていただかないと困ります!」
歩み寄りながら抗議をして来た磯野さんに対して、お市は抱っこしたままの俺を差し出してから言った。
「じゃあ審判だし特別にプニモフさせてあげるわ。ほら」
「…………?」
「してみればわかるから」
微妙に納得のいかない表情ながらも、磯野さんは何も言わずに俺を受け取ってお腹に頬ずりをしてくる。髭がじょりじょりして気持ちが悪いので、今度会った時は絶対にこいつを打ち取るよう、家臣たちに言っておこうと思いました。
それから一度俺を降ろして肉球を触ってから間もなく、磯野さんはお市を見上げながら、何か幽霊でもみたような感じでつぶやく。
「こっ、これは……」
「わかったでしょ?」
「はい。これは」
得意げなお市に、磯野さんは真剣な表情で、唾を飲みこんでから応えた。
「恐らくは千年に一度の……それこそ、犬臣鎌足公の再来と思える、伝説級のモフモフです」
一騎打ちの会場が一気にざわめいた。
「何だと!?」
「そんなにすごかったのか!?」
動揺する織田家の家臣たち。
いやいや、何でお前らまでそんなに驚いてんだよ。
「そんなばかなっ! 拙者にも、拙者にも今一度! そんなことがあるはずは……ほああああぁぁぁぁーーーー!!!!」
そう言って近寄って来た浅井家の家臣に引き渡され、俺は再び髭じょりじょりの刑をくらうったかと思えば、早々にその家臣が断末魔をあげた。
「これは間違いなく伝説級のモフモフ! ほああああぁぁぁぁーーーー!!!!」
「わっ、我にも! 我にもモフモフを!」
「我もじゃあー!」
まるで雪崩のように浅井軍が俺の元に殺到する。勝ったはずなのに、何だかもみくちゃにされてるんですけど……。