オラオラ系の磯野さん
鏡の中には、やや凹凸があるものの、基本的には遠方に山が見える広大な平野が広がっていた。そこに一本の浅く流れの早い川が走っていて、手前には織田家の先鋒である坂井隊が陣取っている。
俺たちが映像を覗き込んだ頃には、すでに川の向こう岸から浅井勢が怒涛の勢いで攻め込んで来ていた。
法螺貝の音と共に地を鳴らし咆哮をあげながら、獣の群れのように獰猛に、しかし冷静かつ組織的に迫る彼らに、坂井隊は明らかに狼狽した様子を見せる。
「うおわーっ!」「やばい、本当にやばい!」
「プニ長様ーっ!」
「者ども静まれい! ここで混乱しては相手の思う壺じゃぁ!」
混乱の最中、姿格好からして恐らくは隊を率いる坂井政尚とかいうおっさんが、足軽たちを落ち着けるべく声を張っている。
我に返った鉄砲、弓の部隊が慌てて武器を取り射撃を始めるも、敵の勢いはとどまるところを知らない。川を渡り攻撃を受けてもなお迫り来る浅井勢の先鋒は、勢いそのままに、とうとう坂井隊と衝突した。
その様子を眺めながら坂井が舌打ちを漏らす。
「何としても持ちこたえろ! 我らの背後にはプニ長様がいらっしゃるのだ!」
いや、そんなに頑張らんでも……。我らの背後、とはいっても俺と坂井隊の間にはまだ秀吉やら柴田やら、まだいくつもの隊が控えてるわけで。いざとなればこの天幕の後ろにも、横山城を包囲している西美濃三人衆の隊があるしな。
ちなみにそういった情報は全部、今朝六助に起こされた時に教えてもらった。
それでも頑張っちゃうんだから、本当に男ってバカよねえ、でもそういうの嫌いじゃないのよね……とか思っていると。
「おわーっ!」「ひえーっ!」
坂井隊の先頭が崩れ、足軽たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
「こ、こらっ! 落ち着け、逃げるなーっ! 持ち場に戻……!?」
しかし、必死に呼びかける坂井のおっさんも、何かを発見したことで固まってしまった。
敵の軍勢、その先頭のど真ん中で織田方の兵を蹴散らしながら進む、まるで戦車のような、勇猛果敢な一つの影。
「オラオラァ! どけやオラァ!」
「オラオラだと……!?」
「オラオラオラァ!」
ある者は槍や馬に飛ばされ、またある者はその場で崩れ落ち。織田軍は一人、また一人とその影の餌食になっていく。
すると、いきなり隣にいるソフィアが驚きの声をあげた。
「あっ、あれは浅井軍の猛将、磯野員昌じゃないですか!」
初見で武将の名前までわかるなんて、こいつどんだけ大河ドラマみてんだよとは思うけど今は置いておこう。
赤を基調とした煌びやかな甲冑に身を包み、長槍を携えて黒馬に跨るその男は正に筋肉だるま。身の丈はそこまでなくとも、「お前槍なんて使わなくても敵を倒せるんじゃないの?」と言いたくなる程度にはガタイがいい。
「ひえーっ! 退却じゃー!」
オラオラ系の磯野さんに恐れおののいた坂井は即座に退却を選ぶ。
命が大事だからね、正直磯野さんがここまで来ないかちょっと心配だけど、そうやって退却するのもいいと思う。
お疲れ。と心の中で坂井を労っている間にも戦は進んで行く。坂井隊の次に備えるのは池田隊だ。
「オラオラァ! 次はお前かオラァ!」
全く衰えることのない磯野隊の勢いは、池田隊でもどうにもならない。沸き起こる悲鳴に倒れ行く仲間たち。中には何を思ったのか、磯野隊が通るであろう場所にきなこもちを設置しているやつもいた。ちょっと食べたい。
「残念無念!」
渋い顔をしながら、池田隊を率いる池田恒興が撤退していく。
あれ、これひょっとしなくてもちょっとまずくない? このままここまで来てしまえば室内犬の俺なんて成すすべもなくやられちゃうやん。
そして次は秀吉隊。のはずなんだけど、鏡に映っている秀吉隊の中にはすでに秀吉がいない。あいつ逃げ足早えな。
そうなると当然、何事もなかったかのように突破されていく。
またも隣からソフィアの少し慌てたような声が聞こえて来た。
「あわわわ、これまずくないですか?」
「キュキュンキュウンキュンキュン(でもお前はこの合戦がここからどうなるか知ってんだろ)」
「姉川の戦いばっかり何回も観たわけじゃないですし、それに大河ドラマだけじゃ戦の細部まではわかりませんよ」
「キュキュウン(そういうもんか)」
「ですです!」
世界が違うとはいえかなり日本の歴史と似通ってるみたいだから、ソフィアが知ってれば参考になったとは思うけどな。まあ、それならもうなるようにしかならないか……。
会話を交わしている内にも磯野隊は秀吉隊の後ろに備えていた柴田隊へと迫っていく。でもそこで、いつの間にか逃亡していたはずの秀吉が、柴田のところにいる映像が目に飛び込んで来た。
二人は馬に乗ったまま近付いてひそひそと話をしているようだ。声が小さいからか、俺たちにはその内容を聞き取れない。
話が終わったのか、秀吉は柴田から少し離れて卑しい笑みを浮かべる。
「……そういうわけです。にしし」
「あいわかった。性には合わんがな」
それにしてもこいつら、普段はめちゃくちゃなことばかりしてるくせに、戦場ではどっしりと構えてて何だか頼もしいな。
柴田が武器を天に向かって掲げながら周囲の味方へ指令を飛ばした。
「柴田隊、退却でござる!」
退却すんのか~い。
いや退却するならするでいいんだけど、何て言うかむしろこれから突撃するぜみたいな感じで気迫がみなぎってたから、思わずずっこけてしまった。
え、でもどうすんのこれ。このままじゃ本当にやばいって。後に残ってるのは森隊と佐久間隊くらいしかないぞ。数で朝倉に劣っている家康の方はこっちに救援に来る余裕なんてないだろうし……。
ソフィアと一緒に、はらはらとしながら観戦していたら、誰かがばたばたと賑やかに天幕へと乗り込んで来た。
「プニ長様ー! もうだめです、最後にプニモフさせてください!」
「キュンキュンキュウンキュウンキュキュキュ(そこは『先にお逃げください』とかじゃねえのかよ)」
六助が勢いそのままに近寄って来たかと思えば、おもむろに俺を抱っこして本当にプニモフし始めた。獲れたての鮭のように暴れ回るもどうにもならない。
「キュキュキュン(おいバカ離せ)」
「離せこの野郎! とのことです!」
「この六助、死の間際も、そしてその後もお供いたします!」
「キュンキュ(いえ結構です!)」
何で死んだ後もこいつと一緒にいなくちゃならんのだ。それに戦況がどうなってるのかこいつのせいでわからん。
「キュキュンキュキュ(いいから早く持ち場に戻れ)」
「早く持ち場に戻れ、と仰っています!」
「私に死地に赴け、ということですか!?」
「ワオ~ン! (そうだよ!)」
「そうだ! お土産を忘れるなよ! とのことです!」
「そんなプニ長様もまたいと尊し……かしこまりました」
妙なことをつぶやきながら、六助は姿を消していった。
いつもよくよく考えたら最低なことをしてるんだけど、どうにも憎めないやつなんだよな。今もどさくさに紛れてプニモフをして、そのまま俺と心中しようと……あ、やっぱむかついてきたわ。
気を取り直して、いつの間にか消えていた鏡を、またソフィアが設置してくれたので眺めてみる。するとそこには森隊が映っていた。
森隊を率いる森可成が馬にまたがったまま槍を肩に担ぎ、口角を吊り上げて勝気に微笑んだ。
「おいでなすったぜ!」
「オラオラァ! 次はどいつだオラァ!」
多少の損害は出ているだろうが、磯野隊の勢いはそこまで衰えているようには見えない。このままだと森隊も飲み込まれてしまいそうだ。
けどその時、よく見れば可成の側に見覚えのある顔がいくつかあることに気がついた。
「誘い込まれたとも知らずにねえ……いっひっひ」
「本当は正面からぶつかり合いたかったのだがな」
やつれたちょんまげ野郎に、いかつい落ち武者。敗走したかに見えた秀吉と柴田のペアがそこにいる。そして。
ぶおお~ぶおお~。
俺たちがいる天幕の近く、恐らくは佐久間隊がいるであろう辺りから法螺貝の音が響いて来た。
どうやらそれは何かの合図であったらしく、地が大群の移動によって鳴動するのを感じ取ることが出来る。
もう一度鏡を覗き込むと、驚き周囲を見渡す磯野員昌、そして少し離れたところで槍を敵の方へと向けて楽しそうに笑う柴田の姿があった。
「ようやく反撃でござる!」
そして彼は息を深く吸い込み、
「掛かれぇー!」
反撃の狼煙をあげた。