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ニンニン……

 家康の声掛けによって、三田村の朝倉勢約一万と野村の浅井勢約八千が、それぞれ徳川勢と織田勢と、姉川を挟んで対峙することとなった。

 陣を整えた日の夜に朝倉家からの使者が書簡を届けにやって来る。その時同じ部屋の中には六助と家康もいて、その場では立場が上なのか、家康が俺の代わりにそれを広げて読み上げてくれた。


「『合戦の開始は明日の辰の刻にしない?』との由」

「ちょっと早過ぎではないですか?」

「そうでもないと思いますが……もしや六助殿、不規則な生活を送っておられるのではないですか?」


 どうでもいいけど「たつのとき」っていつだろうか。

 かがり火による灯りが、家康のからかうような笑みを照らし出している。それに対し、六助は慌てた様子で弁解を始めた。


「そっ、そんなことはないですよ? ただちょっとばかり夜更かしをして短歌を詠んでいるだけで……」

「短歌ですか。私も上手くはないのですが、一応嗜んではいますよ」

「おお、本当ですか。是非今度歌会でも……」


 ううむ、家康のやつ気さくというか何というか。一言で言えば「めっちゃモテそう」って印象だ。六助と会って話す機会はそこまで無かったはずなのに、もうあの変人と打ち解けてやがる。

 しばらく歓談に励んでから、家康は思い出したように本題へと戻った。


「それで、返答はどのようにしますか?」

「『辰の刻って、お前起きられるの?』でいいのでは」

「どうしてそんなに喧嘩腰なんですか」


 軽く笑いながらの家康の助言に、六助は腕を組んで眉をしかめながら、真剣に悩んでいる様子で答えた。


「でも、本当に朝早くにして寝坊でもされたら嫌ですし……」

「う~ん。それもそうですかね。ではそのようにしましょうか」


 こうして使者に「辰の刻って、お前起きられるの?」と書かれた書簡を渡したところ、同じ人が割と早めに戻って来た。

 朝倉家からの返答は「いやいや、それはこっちの台詞なんだけど」というものだった。俺が元いた世界なら語尾に(笑)とでも付いていそうな雰囲気だ。

 それを読み上げた家康が、たしなめるように言った。


「ほら、六助殿が煽るから」

「別に煽ったわけではないのですが……」


 煽る煽らないはともかくとして、こんな短くてくだらないやり取りをする為に川を何度も渡る羽目になっている使者の気持ちも考えてやれとは思う。

 返答を考える為の沈黙が続く中、先に口を開いたのはやはり六助だった。


「『いや、何言ってんの? むしろ拙者、朝の方が得意でござるし』はいかがでしょうか」

「大抵の人は朝の方が得意でしょう」


 二人が次の返答を考えているうちに、俺は脇に控えている使者の人をねぎらう為にういろうの乗った小皿を口で咥えて持って行った。

 どうでもいいけどこれ、皆はういろうって呼んでるけど見た目は蒸し菓子っぽいんだよな。ういろうってようかんみたいなやつじゃなかったっけ。


「キュンキュ、キュ(お疲れ様です、どうぞ)」

「はっ。こ、これは……?」


 使者の方はまず俺とういろうを見比べた後、家康たちに視線を移した。突然犬に菓子を差し出されて困惑しているのかもしれない。

 それに気付いた家康が、爽やかな笑顔を浮かべる。


「プニ長様は尊い御仁ですから、貴殿を労っておられるのかもしれません。そのういろうは遠慮なく召し上がってください」


 さすが家康、話が早くて助かるぜ。


「お主も、こんなやり取りの為に何度も姉川を渡るとは大変ですなあ」


 はっはっは、と笑う六助。原因の半分はお前だけどな。


「プニ長様も気遣っておられるようですし、ここは相手方の要求をのんで朝六時に戦闘開始と致しましょうか」

「そうですね」


 爽やかな家康の提案を六助が受けて、ようやくこの話は終わりを迎えた。使者の方が家康筆の「辰の刻でいいよ。変な言い方をしてごめんね」という書簡を持っていったところ、返事は「こちらこそ。じゃあ間を取って辰の刻の中刻になってからにするね」だった。

 すっかり宵闇は深まりつつある。書簡を読み終わった家康は、紙を丁寧に折りたたむと、松明に照らされた顔を上げて話を切り出す。


「後は戦の始まりを待って睡眠を取るだけとなりましたが……しかし、依然として浅井家の団結力の正体が判明しませんね」

「ですね。何者かが新しく当主、もしくは当主代理となったのでしょうが、動きが早過ぎます」

「遺言などであらかじめ後継ぎが決まっていたのなら話は別ですが、それらしき人物がいたということも聞いていませんし」

「父の久政は?」

「長政が死んだことに気を病み、隠居してかくれんぼの研究ばかりをしているそうです」

「たしかに、小谷城周辺ならば隠れるところも多いでしょうからね」

「キュキュウン(そういう問題じゃねえだろ)」


 無駄にも思える論議を重ねる中、六助が「ところで」と話題を切り替えるように家康へと語り掛けた。


「織田家のように直接の同盟関係ではないのに、やけに浅井家の事情に詳しいようですね」

「ああ。それに関しては、うちには各地で情報を集めたり、敵地に忍び込んで破壊工作をしたりすることを得意としている者がいるのですよ」

「ほう。それはもしや……」


 それってもしかして忍者じゃね? しかも徳川で忍者と言えばあの有名な服部半蔵だったりして……。

 彼の登場する有名な漫画やらを思い浮かべてわくわくしていると、家康は六助が何かを言い終わる前に、座ったまま背後を振り返り、天幕の外に呼び掛けた。


「半蔵。入っておいで」


 おおっ! すごい、あの服部半蔵に会えるのか!

 期待に胸を爆発させた俺の興奮は、何者かによって天幕が揺れた瞬間に最高潮に達した。そして、そこから現れた人物とは!


「ニンニン……」


 ただのくたびれた武士のおっさんだった。


「キュウン……(ええっ……)」


 ちょんまげのない禿頭、つまりは落ち武者ヘアーの乗った顔は微妙に頬の辺りがふっくらとしていて、身に纏うのは忍び装束などではなく、その辺の足軽たちも来ているようなものよりも少しお値段の高そうな甲冑だ。

 そんな少しばかり裕福な武士のおっさんを手で示しながら、家康が紹介する。


「こちらはうちの武将の一人、服部半蔵です」


 ドスの効いた声で「ニンニン……」と言いながらぺこりと一礼をする半蔵。

 「ニンニン」以外に忍者っぽいところは何一つ見当たらないものの、もしかしたら少なくとも、この世界での忍者とはこういうものなのかもしれない。

 あれ、でも日本にも本当に忍者っていたんだろうか。漫画とかにはよく出てたけど、歴史の教科書には載ってなかったような気もする。


 ぼけっとそんなことを考えていたら、六助が何かの期待に瞳を輝かせながら、半蔵に尋ねた。


「やはりあの服部半蔵殿でしたか! 噂には聞いております!」

「ニンニン……」


 ぽつりとそうつぶやきながら、服部半蔵は六助に向かって再度腰を折る。どうやらニンニンしか喋れないらしい。


「忍びの者の頭領をやっておられるとか! そして忍びと言えば『忍術』と呼ばれるかっこいい術を使うそうではないですか! ここは一つ、私に見せてはいただけませんでしょうか!」

「六助殿、落ち着いてください」


 興奮の止まらない六助を苦笑しながら手で制した家康は、そのまま続ける。


「忍びの者だったのは先代の服部半蔵で、この者は二代目の服部半蔵、正式な名前を服部正成といいます。忍びの者と縁がある故に忍びの部隊を使いはしますが、半蔵そのものは忍びではありません」

「え~っと、服部半蔵殿は何人もいらっしゃるということで?」

「要は、織田家や徳川家のように『服部半蔵家』があるということです。その家の当主が代々『服部半蔵』という名前を受け継いでいるのだそうですよ」

「ほう」

「忍術は使えませんが武芸の腕前は中々のものですので、いざという時に非常に頼りになります」

「ニンニン……」


 家康に褒められたのが嬉しいのか、半蔵は照れ臭そうに笑っている。

 そこで特に話すこともなくなって妙な間が空くと、何やら半蔵が無言でこちらをじっと見つめて来た。怖くなって距離を置いたら家康が楽しそうににやにやとしながら口を開く。


「どうやら半蔵は、プニ長様からプニモフを賜りたいようですね」

「キュン(嫌です)」


 家康の言を聞いた六助が、快活な笑い声をあげた。


「はっはっは、そうでしょうそうでしょう、わかります。本来ならお断りするところですが、プニ長様は尊き御仁ゆえ、『いいよ』とおっしゃるでしょう……ならば私には止めること能いません」

「キュ、キュキュン(え、普通に嫌なんだけど)」

「よかったな、半蔵。喜んで賜りなさい」

「ニンニン……」

「ワン! (やめろ!)」


 とは言いつつも、家康の重臣とあっては無下に扱うわけにもいかず、黙って捕まりプニモフをさせてやった。誰か助けて!

 虫の鳴き声が耳まで心地よく届く梅雨の夜。夜空に浮かぶ金色の月と揺らめく灯火が、皆の笑顔を浮かび上がらせていた。

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