その結末は
神の御業は本当に神秘的なものだった。
さっきまで俺たちがいた場所を離れてからも、正門へ通じる部分の炎だけが無駄なく消されていて、一切迷うことなく外に出られた。
ただ夢中で走り、最後の部屋にたどり着いた時、外への出口を見つけた帰蝶が叫んだ。
「あと少しです!」
そして、戸をくぐり抜ける。外の世界が目の前に広がった瞬間、様々な感情が一気に心の底から溢れてきた。
生還できた喜び。修羅場を乗り切ったという感慨。そう無理やり言葉にしようと思えば出来るけど、足りない。女神様ですらも、それらを表現する手段は持っていない気がした。
でも、俺たちに浸っている暇は一切なかった。と言うのも……。
「離して! 兄上と義姉上が!」
「なりません! お市殿も巻き添えになりますぞ!」
「いいよ! 家族を助けようとする熱い心! 応援するよ!」
「だったら見てないで何とかしなさいよ!」
怒っているのか泣いているのかよくわからない表情のお市が、ふんどし一丁と半裸の変態二人に囲まれていたからだ。
変態……じゃなくて、いや変態だけど、六助がお市を羽交い絞めにしている。一応説明しておくと、もう一度寺に入ろうとするお市を止めているだけだ。明智はその側で拳を強く握りながら、笑顔で応援メッセージを叫び続けていた。
周囲にはどうしたものかとおろおろする織田兵に明智兵。織田兵は明らかに数が増えていて、恐らくは帰蝶とお市が安土城周辺から引き連れてきたのだろう。
すでに戦闘が止んでいるところを見るに、どうやら、今回の事件があの酔っ払いの仕業であることは伝わっているようだ。あいつの仲間と思われる輩が、お縄にかかったまま正座させられている。
えっと。これはどこからどうしたものか。と考えていると、身体がふわりと宙に浮いた。
「私たち、戻ってきたんですね」
どうやら帰蝶に抱っこされたみたいだ。
うん。本当に残念だけど、このおバカで騒がしい光景を眺めていると、日常に戻ってきたんだなと思えてしまう。
やがて混乱の最中で、一人の織田兵がこちらに気が付いた。
「プニ長様と帰蝶様だ!」
「えっ?」「本当だ!」
「いと尊し!」「いや、いと尊しだけど今はそれどころではなかろう!」
「御二人が生還なされたぞ!」
今頃は焼死したと思われていた者達の生還に、少しずつ喜びの波が広がり、最初は小さかった歓声がみるみるうちに大きくなっていく。
同じく「えっ!?」と言って驚いたお市が、六助を振りほどいてこちらに駆け寄り、帰蝶の両肩を掴んだ。頬は紅潮し、目の端には涙が浮かんでいる。
「本当に!? 本当に兄上と義姉上なの!?」
「本当だよ。ソフィア様に助けていただいたの」
「良かったぁ……」
へなへなと、その場で崩れ落ちるお市。
「さっ、まだここは危ないから、もうちょっとだけ避難しよ?」
「それもそうね」
穏やかな声音で言う帰蝶に、お市は立ち上がって一気に表情を引き締めると、振り返って叫んだ。
「六助! 火の届かないところまで避難するわよ!」
「了解致しました!」
そう叫ぶなり、六助は部下にてきぱきと指示を出し、織田兵と明智兵、全軍を避難させていく。結構な数がいるし、このまま互いの領地に戻ってもらうことになるだろう。
寺の敷地外へと向かって歩きながら、お市が帰蝶に尋ねた。
「私たちはどうする? 安土城に戻る?」
「そうだね。六助殿も状況を整理して、事後処理をしないといけないだろうし」
俺ですら今の状況が良くわかっていない。六助なら尚更だろう。というか、この事件の一連の流れを完全に把握出来ているやつなんているのだろうか……。
「いますよ、ここに」
「「ソフィア様!」」
俺の心を読んだ上での声に振り返ってみれば、そこにはいつ現れたのか、ソフィアが浮かんでいた。
先ほど本能寺の中で会った時のような神々しい雰囲気は取れていて、いつもの俺たちが良く知っているソフィアだと、何となく理解する。
「お久しぶりです、帰蝶ちゃん! お市ちゃん!」
挨拶を返す前に、帰蝶が一歩を踏み出た。
「あの、先ほどは助けていただき、ありがとうございました」
「いえいえ! 美少女を助けるのは私の使命ですから!」
「そ、そうですか」
さっきとは別人のようなソフィアに、帰蝶も戸惑っているようだ。
「ここにいるって、何のことよ」
俺の心が読めていなければ、お市がそう疑問に思うのも当然のことだ。
「いえいえ、何でもありません。こちらの話です! それで……」
ソフィアはこちらに視線を向けた。
「プニ長様を少しの間、お借りしてもいいですか?」
誰もいなくなった本能寺の境内、正門前から少し離れたところ。
そよ風に揺れる植木の梢と、本能寺で火災があったことなど露ほども知らない小鳥のさえずり。さっきまで辺り一帯を覆っていた喧騒はどこかへ消え去り、今は朝を迎えた自然と動物の織り成すそれへと打って変わっている。
本能寺は未だ炎に包まれてはいるものの、その姿の一部を徐々に炭へと変え始めていた。見た目は跡形もないようでいて、骨組みはいくらか面影がある。時間はかかっても、いつかは再建されるだろう。
ソフィアはそこそこに高さと大きさのある縁石に腰かけて、ぷらぷらと足を投げ出している。俺はその隣でお座りをしている形だ。
薄明の空を見上げながら、ソフィアはゆっくりと口を開いた。
「私は本当に駄目な女神ですね」
「キュン(知ってる)」
「もう! 真面目なお話をしようとしているんですよ?」
こちらを向いて頬をぷりぷりと膨らませたソフィアは、すぐに表情と視線を元に戻す。それはどこか寂しそうな、けど何かやるべきことを成し遂げた後のような、そんな複雑な感情の見て取れる微笑だった。
「キュンキュキュンキュン。キュキュン? (さっきも自分が駄目な女神だとか言ってたな。一体何のことなんだ?)」
「私は、武さんがこうなることを知っていたんです」
「キュキュン(何だって)」
「この世界には、一応『運命』のようなものが、存在していますから」
「キュキュン……(『運命』……)」
次にソフィアが口を開くまでには、少しの間が空いた。
「……既に武さんもご存知の通り、『世界』というのはいくつも存在しています」
「キュ、キュン(お、おう)」
急に話の規模がでかくなったな……。とはいえ、これ以上話の腰を折るのも悪いので、黙って聞いてみる。
「そして『世界』は大きく三種類に分けることが出来るんです」
俯きがちに視線を落として手を開き、親指、人差し指、中指の順に折りながら説明してくれた。
「皆さんの言う『運命』の存在する世界、しない世界、それから……そのどちらともつかない世界、です」
「キュキュンキュン? (どちらともつかない世界?)」
「はい……この世界が、そうです。この世界は武さんが前にいた世界の、安土桃山時代の日本に限りなく似ています。もちろん別のものではありますが、似ているんです。言葉はともかく、文化や歴史は」
「キュキュンキュン(それはわかってた)」
文化はどうか知らなかったけどな。
「本来、『運命』……私たちは『シナリオ』と呼んでいるのですが、それは神によって用意されるものです。ですが、この世界は安土桃山時代の日本に似ていますから、敢えて言うならその歴史が『シナリオ』となります」
「キュキュンキュキュンキュン? (この世界の『運命』は神様が用意したものじゃないってことか?)」
「はい」
何てこった……神様めっちゃいい加減やん。




