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武士たるもの

 いかにも寝起きと言った感じの間の抜けた声に思わず振り返る。男は寝ぼけまなこをこすりながら、やがて俺に視線を定めた。


「何だ、お前?」

「キュキュン(しがないチワワです)」

「プニ長様、参りましょう。酔っ払いに絡まれると碌なことがありません」


 散々酔っぱらって揉め事を起こして来たお前が言うなや……と思ったけど、一理あることには違いない。

 再び踵を返し、去ろうとしたんだけど、それが逆に良くなかった。背後から不機嫌そうな威圧感のある声が届く。


「おいちょっと待て。何無視してんだコラ」


 もう一度振り返ると男は立ち上がり、こちらに睨みをきかせていた。六助が表情もなく、静かに警告する。


「面倒なことになる前に静かに立ち去ろうとしてくださった、プニ長様のお優しい心が理解出来ぬのか」

「はぁ? プニ長だぁ? そういや、ここいらじゃ見ねえ犬だなぁ」

「お主がそのように無礼を働けば、斬らねばならぬからな」


 そう言って腰に帯びた刀の鍔を、親指でわずかに鞘から浮かせる。

 ちなみにこの動作は「鯉口を切る」と言って、抜刀する為の予備動作のようなものだ。時代劇なんかだとこの時に「チンッ」という音がするけど、実際にはああいう音は出ない。

 酔っ払いがわずかに怯んだ。


「か、刀持ってるからってすぐに抜くのか! 何の罪もない領民に対してよぉ! 武士の心得ってのはどうした!」

「武士たるもの君主に忠誠を捧げるべし。プニ長様の為とあらば、私は剣を抜くことを一切ためらわない。そしてお前の罪はプニ長様を侮辱したことだ」

「ぐっ……」


 対浅井朝倉の時には思いっきり私利私欲で敵兵を斬ってたような気もするけど、今ここでそれを言うのは野暮かもしれない。そう考えると、こいつって結構厄介なやつだよな。今更だけど。

 男は歯噛みをしながら踵を返す。


「くそっ、覚えてやがれ!」


 そして、そんなありがちな捨て台詞を吐いて走り去っていった。


「どうにか斬らずに済んだか。全く、ああいった輩というのは本当に困ったものですな」


 刀を納めながら、六助がそんな風にぼやく。

 当然ながら、六助には酔っ払いを本気で斬るつもりは一切なかったはずで、それは信長の生前から「領民を粗末に扱うべからず」という考えを教え込まれているからだ。

 別に信長が心優しいやつだったとかそういう話じゃない。

 この世界の合戦は、本質的には国や領土じゃなく、米を奪い合う為に行われる。大名の兵力を表す「石高」という単位も、「どれだけの兵に米を食わせることが出来るか」というのを数値化したものだ。

 そしてその米を作るのは領民であり、彼らが元気に暮らしてしっかり仕事をしてくれなければ領主も困ることになる。だから、民は大事。信長は他の大名よりもしっかりとそれを肝に銘じていたらしい。

 六助は、刀を抜くふりをして脅せば相手が逃げ、結果的にことが穏便にすむと考えたのだろう。無視したら無視したで織田家の威厳に関わって来るから、斬りさえしなければ脅すことはしょうがないと思う。


「もっとも、本当に戦わねばならぬと来たら、新懲罰『鼻に枝豆』を試すつもりではあったのですが……正直に言って少し残念な部分もあります」

「キュンキュン(何言ってんだこいつ)」


 その後はぶらりと散歩をして帰宅。

 かの有名な鴨川を眺める機会があった。四条という通りを南北に分断するように流れる大きな川で、月明かりを反射してうっすらと輪郭を浮かび上がらせる水面が綺麗だった。

 川の上には橋が架かっていて、四条大橋と呼ばれているらしい。その上から河原を眺めてみれば、この世界にも二人で座り込んで何やらいちゃこらしているカップルを目撃することが出来た。爆発して欲しいな、と思う。

 あちこちから響き渡る虫たちの合唱も彼らを盛り立てていた。


 「全く最近の若者は……」とかいう六助の妬みを聞きつつ、宿に着いたらすぐに布団に入る。すると意外にもすんなりと眠りにつくことが出来たのであった。




 遂に本能寺の変かもしれない日がやって来た。昼間はこのまま宿で過ごし、陽が傾く頃に本能寺へ移動するとのこと。

 実を言えば極度に緊張したり、恐怖に怯えてはいない。少しの緊張や恐怖は覚えつつも、半分以上は「本能寺の変は今日じゃない。起きたとしても、何とかなるかもしれない」と楽観視する気持ちが混ざっているからだ。

 宿では特に何も起きなかった。一人伝令がやって来て、「プニ長様のことを嗅ぎまわってる者がいる」との報告を受けたくらいだ。どこかの忍び部隊だろうか。

 まあこれに関しては本能寺を切り抜けてからで問題ないだろう。六助も「とりあえず半蔵殿に連絡を取り、忍び部隊をお借りしろ」と指示を出していた。毛利との決着をつけてから対処する気らしい。


 そして、運命? の夜を迎えた。


「それでは本能寺へ移動致しましょう。すでに準備の方はさせておりますので、到着後すぐに始める予定です。茶会の後はお楽しみの宴ですね」

「キュ、キュキュン、キュキュキュン(た、楽しみなのはあ、あんただけなんだからねっ)」


 身支度を終えた六助が俺の部屋まで迎えに来てくれた。二人で立ち上がり、部屋を出て宿を後にする。

 六助が一歩歩くたびに木造の廊下が軋む。聞き慣れたはずのその音も、今日はどこか懐かしく感じられた。


 昨日と同様、提灯の灯りだけを頼りに、静まり返った京の都を歩いていく。

 相も変わらず、この世界の夜は星が良く見える。それも水晶を砕いて散りばめたみたいに綺麗で、透き通っていて。どんな時でもこの夜空を見上げれば、頑張っていけるような気がする。

 そして俺は今一度顔を上げて決意する。宴の女の子たちには全員帰ってもらうんだと……。

 せっかく来てくれたのに申し訳ないけど、やはり帰蝶に悪いからね。


 本能寺は同じ京都にあるとはいえ、徒歩だと思ったより時間がかかった。到着して宴の会場になるという部屋に入ると、まず六助の家臣が出迎えてくれる。どうやら彼が女の子たちを呼んだらしい。

 挨拶が終わると家臣は一旦部屋から出て、女性陣をひきつれて戻ってくる。家臣からの紹介が終わると、女性陣のうちリーダー格と思われる、先頭にいた女性が丁寧に一礼をした。


「ようこそおいでくださいました」

「こっ、こここ、ここんばんは」


 六助のやつめちゃくちゃ緊張してんじゃねえか。しかし、こんな童貞丸出しの男に対して、女性陣は顔色一つ変えることなく応じる。


「司寿玉子巻盛々様。お噂に違わずとても凛々しいお方ですのね」

「あり、ありがとうございましゅ」


 えっ、こいつってそんなフルネーム――司寿玉子巻盛々六助――だったの? 今知ったわ……どうでもいいけど。

 六助に社交辞令を述べた女性陣は俺の方に歩み寄ってきた。


「織田弾正忠プニ長様。お初にお目にかかります。貴方様の尊さ、正に日の本一とお見受け致します」


 帰蝶やお市のように見た目はかなり若く、やはり着物というよりは浴衣といった感じのものを身に纏っている。

 何が言いたいかというと皆可愛い。正直、帰蝶がいなければ「こんな子たちと遊べるの~? やった~ワンダホォ!」とか思っているところだ。しかし、俺には帰蝶がいる。ここは心を鬼にして帰ってもらわなければならない。

 俺は一つ深呼吸をしてから、一歩前に出て口を開いた。


「キュン、キュウンキュン。キュンキュン、キュウンキュン。キュキュン(ごめん……俺にはもう嫁がいる。呼んでおいて本当に申し訳ないんだけど、君たちと遊ぶことは出来ない。だから帰ってくれないだろうか)」

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