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一時の別れでも

 その後、どうやったのか息を切らしながら何とか戻って来た六助は、中途半端に破れて恥ずかしさしかない衣服を纏ったまま、何とか軍議を再開した。

 とりあえず「出兵しないとやばい」ということで摂津方面への派兵が決定した。軍議の意味があったのかどうかはよくわからない。ちなみに、今回は相手があの本願寺ということで俺も帯同しないといけなくなった。

 そして、本願寺との戦いへと旅立つ当日。俺と信ガルは少数の馬廻衆に護衛されながら屋敷を後にするところだった。少数なのは先日のお市からのクレームを汲んでのことらしい。


「しんガルさま」

「クゥ~ン」


 帰蝶、お市、初に江、そして武士のおっさんどもに見守られながら、今にも泣き出しそうな顔をした茶々が信ガルを見送ろうとしていた。

 ちゃんと大切な人を見送ることが出来るか、の練習ということで、予めこの場の人間には余計な手出しはしないようにお市から言われている。その為か、あの初ですらも口を真一文字に結んで大人しくしていた。


 そもそも俺や帰蝶、お市としては信ガルを置いて行ってあげたかったんだけど、非常に耳や鼻が利く為、俺の護衛や陣地周辺の警戒役として抜擢された。そうなると戦に関して理解のある大名家の女性たちは、それ以上止めようとはしなかった、という経緯がある。

 俺としても帰蝶が納得しているなら文句を言うこともない。というかソフィアが来ていなかったから言えなかった。

 本当は信ガルも離れたくないのだろう。中々に情け無い声を出している。


「しんガルさま、あの……」

「ハッハッ」


 茶々は胸元で着物をぎゅっと掴み、何かに耐えるようにしながら言葉を絞り出そうとしている。

 「生きて帰って来てね」「無理はしないでね」「戦に負けても生きていればそれでいいんだから」……様々な言葉が浮かび、そして消えていることだろう。けれどそのどれもが、武家に生まれた娘として言ってはならないことだ。

 死に際も大事にする武士にとって、生きて帰ることが必ずしもいいことだとは限らない。主君に欺き、敵に背中を見せるくらいなら死を選ぶ方が、彼らにとっては美しいと感じることもあるのだ。

 「死なないで」はだめ。かと言って「絶対に勝ってきてね」では気負わせてしまうかもしれない。戦を生業とする武士に「負けてもいい」は以ての外。なら、どう言えばいいというのか。


 やがて一息つき、息と共に涙や胸の奥に秘めた想い……色んなものを呑み込んだ茶々が、今にも崩れそうな笑顔で口を開いた。


「ごぶうんを、おいのりしています」

「ガルル」


 その言葉をようやく口に出来た茶々だったけど、すぐに瞳から涙があふれ、お市に縋りついて堰を切ったように泣き出してしまった。


「よく頑張ったわね」


 柔らかく微笑むお市が、茶々の頭を撫でる。そこで頃合いと見たのか今まで沈黙を保っていた帰蝶が一歩前に出た。


「プニ長様も、ご武運を」

「キュン(おうよ)」


 俺たちは、一時の別れと言うものにはすっかり慣れてしまった。最初は寂しくて誰もいないところでわんわん泣いていた俺だけど、今では帰ってから帰蝶にたくさん甘えるところを想像してバブバブするに留まっている。


「皆様も、ご武運を」

「もったいなきお言葉。それでは行って参ります」


 馬廻衆のおっさん共はそう答えてから踵を返し、城に向かう。俺もついて行こうとしたものの、屋敷の方を振り返れば信ガルが名残惜しそうに茶々を見つめたまま動かないので、声をかける。


「キュ、キュン(おい、行くぞ)」

「ガルル」


 呼応し、こちらに向かって歩いて来る信ガル。屋敷の方を振り返ることはなかったけど、まあ随分と茶々に懐いたもんだなと思いました。




「荒木殿は尼崎から海を渡って野田に入り、そこに砦を……」


 京都に入った俺たちは、そのまま宿に入って軍議を開いた。縦長の和室に、今回参戦した家臣たちがずらりと並び、六助が指示を飛ばしている。各々の手元には何やら地図のようなものも。

 俺はお誕生日席的な位置にいる六助の隣で寝ている。


 作戦の目的は、大雑把に言えば砦を築いて本願寺の包囲を強めること。他にも明智らが東、塙直正とかいうやつが南の天王寺に砦を築くらしい。

 余談だけどこの塙って武将、最近になって急速に勢いをつけて来ている。これまでも事務方を経て対本願寺戦や越前一向一揆なんかで活躍し、今では柴田と並ぶくらいの信頼を六助から得ていた。


 そこから更に数日が経って、砦を築いた後に再度軍議が開かれた。


「包囲はしたのじゃが、やつらは楼の岸や木津に砦を持っているからのう。このままでは難波方面への水路が確保されておる」

「仰る通りですね」


 佐久間が懸念を口にすると、六助は返事をしつつ思索に耽った。

 摂津、俺の元いた世界で言う大阪の一部には川が流れている。北東から入って北を横断すると北西の辺りで分流し、片側が西を縦断するように流れる。元いた世界よりは摂津を流れる川の数も多いけど、今回の要所を説明するとそんな感じ。

 この内、北と南西で川に面する位置に本願寺が砦を持っている為、北からの水路を使って南の難波方面へと逃げることが出来てしまう。つまり包囲が完成していないということだ。


「そうですね。では木津砦に攻撃をかけますか」


 そこで六助は明智に視線をやった。


「明智殿、天王寺砦に入っていただけますか?」

「了解致したで候」


 ワカメ頭の隙間から覗く眼光は鋭く、口の端は不気味に吊り上がっている。攻撃を任せられて若干テンションがあがっているのだろう。ボルテージマックスモードになる前に軍議を終えたいところだ。


「明智殿だけでは大変じゃろう。信栄、明智殿と御一緒せよ」

「かしこまりました」


 恭しく返事をした信栄というのは、佐久間信盛の嫡男だ。これまでも信盛に付き添って各地を転戦し、武功をあげている。真面目そうに見えて、茶の湯が好きな一面もあるらしい。


「では軍議はこれにて。各自準備を進めてください。詳しい陣立てなどは追って沙汰します」


 六助の一言で軍議は終わった。




 今回、俺と六助は主戦場となる摂津までは移動しないらしい。指示を出すだけで基本は京都に滞在する予定とのこと。

 本願寺との開戦も迫った現在、俺はやることもなく宿に割り当てられた自室で信ガルと一緒にごろごろしている。


 いつも思うけど、どれだけ警戒してもらったところで、例えば大軍団を持つ柴田とかが急に裏切って攻め込んで来たりしたら死ぬよな。まあ柴田は絶対にそんなことはしないってわかってる。あくまでもしもの話だ。

 ん? 大軍団を持つ味方が……裏切る。何かどこかで聞いた話だな。


「ガルル」


 でも、その思考は信ガルの声で遮られた。

 こいつが唸る時は大体部屋に何者かが近づいている時で、屋敷に住む俺の家族以外には誰に対しても同じ反応をする。だから重臣である六助も、信ガルからはその辺の足軽と同じ扱いを受けていた。

 廊下から徐々に足音が聞こえ始め、それはこちらに近付いて来て部屋の前で止まった。


「プニ長様に信ガル殿、おやつをお持ち致しました」

「キュン(センキュウ)」

「ガルル」


 六助だった。おやつぐらい部下に運んでもらえばいいのに、何故かあいつが持ってきてくれている。

 俺たちの前にいくつかに切り分けた桃の乗ったお盆を置きながら、六助は口を開いた。


「プニ長様が帯同してくださるので皆の士気も非常に高いです。木津砦への攻撃も明智殿にお任せすれば上手くいくでしょう」


 まあ、そうだろうな。テンションが上がるとうざい系マッスルお兄さんになる明智も戦争になると優秀なやつみたいだし。


 そう、この戦を通じてこれから起こることなど、今の俺には知る由もなかった……って漫画とかでよくあるけど、そりゃそうだろ。エスパーでもなければそんなものわかるわけがないんだから。

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