観音寺城の茶会 前編
とは言ったものの、何をどうすればいいのかわからず黙って眺めていたら、義賢が炉の上に置いてある釜に水を入れ始めた。蓋のついた陶磁器から小さい柄杓のようなものを使って、音を立てることもなくゆっくりと注がれていく。
その様を、誰もが姿勢を正したまま見つめていて、外からは鳥や虫の鳴き声が聞こえている。時間の経過が普段の何倍よりも遅く感じられるけど、それは決して嫌なものじゃなかった。
やがて、蒲生さんがささやくように声をかけて来た。
「時に、六助殿は普段いかほどのプニプニやモフモフを賜っておられるのですか」
「二、三日に一回程度でしょうか」
「なるほど。秀吉殿は?」
「拙者は週に一回という感じですかね」
「織田家の中でも重鎮と呼ばれる御二方でも、そこまで頻度は高くないのですね」
ふむふむ、と顎に手を当ててうなずく蒲生さん。
そんなに毎日ちょんまげのおっさんどもに肉球を触られたり、頬ずりされたりしてたまるかよ。帰蝶なら話は別だけど。
炉の下に敷かれた炭に火が灯される。どうやら茶を淹れるというのはお湯を沸かすところから始まるらしい。
あらかじめ沸かしておいてくれよ……とも思ったけど、ポットがないこの世界でそれは出来ないだろうし、そもそもその面倒くさい工程が茶会を楽しむ一つのポイントなのかもしれない。知らんけど。
その間にも会話は続いていく。六助が一歩身を乗り出し、にやにやといやらしい笑みを浮かべて口を開いた。
「それに関してなのですが。実は貴重なプニプニモフモフをですね、独占なされているお方がいらっしゃるのですよ」
「ほう」
「どなただと思われますか?」
唐突な質問にも関わらず、蒲生さんは真剣な表情で腕を組みながら答えを考えている。この人いい人そうだなぁ……是非とも織田家の家臣団に加わって欲しいところだ。
「考えられるのは最近同盟を結んだと聞き及んだ徳川殿ですが……まさか三河の地から毎日のように美濃を訪れるのは無理がありましょうし」
「ぐふふ」「ぬふふ」
「ふふ、中々意地悪な質問をなされますなぁ」
顔を見合わせて卑しく微笑む秀吉と六助に、笑顔でそう述べる蒲生さん。俺ならいらっと来るところなのにむしろ楽しそうだ。
やがて無駄にもったいぶるような間を空けた後、六助がいかにも楽しい話をすると言わんばかりの顔で、口に片手を添えながらぼそりと発表した。
「正室の帰蝶殿ですよ」
「なるほど。そういったことですか」
蒲生さんだけでなく、六角父子までがははぁんといった感じでにやりとこちらを見つめて来る。何だか恥ずかしくなってきたぞ。
思わず目を伏せていると、「そのようなお姿もいと尊しですな」という蒲生さんの声が聞こえた後に、義治が織田家側の誰にともなく話しかけて来た。
「帰蝶殿は、どのようなお方なのですか?」
「え~と……すごく可愛いですね」
帰蝶の姿を脳裏に浮かべているのか、六助は宙に視線を彷徨わせながら答えた。
織田家の品位を疑われるほどの小学生みたいな解答に驚愕していると、次は秀吉が帰蝶の印象を語り始める。
「健気な方で献身的にプニ長様に尽くしておられます。気立てもよく、男なら誰もが妻に迎えてみたい御仁ですね。いっひっひ」
最後の腹黒そうな笑みが気にかかるものの、帰蝶が褒められると何だか俺まで嬉しくなって照れてしまう。
何故かのろけ話をしたような空気になってしまい、織田家六角家を問わず全員がこちらをにやにやにこにこと見つめる中で義治が口を開く。
「六助殿や秀吉殿のような素敵な家臣もおられて、プニ長殿は果報者ですな」
その二人が素敵かどうかはさておき、俺もそう思う。犬だけど。
緩やかな空気が流れる中、そろそろ湯が沸き立つ頃合いらしく、義賢が茶の準備を始めた。蓋がついたお椀のようなものの中に入っている粉末状のお茶を、耳かきに似た道具を使って茶碗に入れていく。
どこか絵になるその所作の最中に、秀吉が「時に」と、何やら話を切り出した。
「先程から気になっているのですが……例の『通せたら通すわ』等の書状は、本当に義賢殿の書いたものなのでしょうか? 署名はあったものの、お人柄からしても信じられないというか」
すると、何故か義賢ではなく蒲生さんが口を挟んで来た。
「申し訳ございません。お察しの通り、あれは義賢様ではなく私の息子である鶴千代の言葉を記したものにございます」
「キュウンキュン(いやいや何やってんだよ)」
「先日私が持つ日野城からここへ遊びに来た際、織田家からの書状を見た鶴千代が『通せたら通すでいいじゃん』と言ったもので。いや、やんちゃな盛りなので困ったものです。はっはっは」
「「「はっはっは」」」
「キュキュキュ(はっはっはじゃねーだろ)」
あれ? 最初はまともで性格も良さそうな人に出会えたと思って感動してたってのに、こいつら頭おかしいぞ?
茶の場はまるで普段の織田家のような、狂気の沙汰としか言えない空気に包まれていて、全員が笑うべきではないところで楽しそうに笑っていた。
やがておっさん共が落ち着いた頃、六助が恐る恐る声を発する。
「あの、それではもしかして、今回この観音寺城の側を通る許可が下りなかったのも……?」
「あ、それは私の言葉です。住民に対して格好がつかないので、『そう簡単に織田には屈しないよ』というのを見てもらったというか」
蒲生さんが真顔できっぱりと答えると、六助は急に嬉しそうな顔になった。
「わかります! 私も女子の前ではついつい格好をつけてしまいますから。先日も街を歩いていたら好みの女子がいたので、木刀を取り出して素振りを見せ付けてしまいましたよ!」
「すいません、それはちょっとわかりません」
「ええっ」
「多分、それは童貞の六助殿だけだと思いますよ」
「そんな……」
蒲生さんと秀吉に突き放されてしまって、六助は迷子になった子供、あるいは雨の日に道端に捨てられた子犬のような表情になる。
大丈夫だよ、俺はお前の気持ちわかるから。先日も帰蝶の前でいいところ見せようとして木に登ることすら出来なかったしな。
目を細めて窓から見える樹々を眺めていると義賢が茶を淹れ終えた。
茶碗が義賢から六助へと差し出される……けど、茶碗は一つしかない。秀吉や俺の分はないのかな。別にいらんからそれはそれでいいけども。
六助は茶碗を一度膝の前に置いて、「お点前頂戴します」といいながらおじぎをした。大切なものでも持つかのように両手を添えられ、おっさんの口元で傾いていく茶碗から、静かに茶が流れだす。
飲む前に少し茶碗を横に回したけど、あれも作法とかなのだろうか。
ぼけっとそれらの様子を眺めている内に六助が茶を飲み終えたらしく、指と紙で二回自分の飲んだところを拭いた後、今度は指を紙で拭いてから、また茶碗を横に回して元の位置に戻した。
何だかめんどくさい飲み方するんだな……作法とかは気にしなくていいんじゃなかったのか。なんて思っていると、何と義賢は今六助が戻したばかりの茶碗に次の茶を淹れ始める。
まさか、まさかな。
心で冷や汗をかく俺の思いとは裏腹に、茶を淹れた器はそのまま秀吉の前へと運ばれていく。
「お点前頂戴します」
六助と同じようにおじぎをする秀吉は、そのまま茶碗を手に取り、こくこく、と音もたてずに茶を飲み始めた。
まじか。誰も何も言わないってことは、同じ茶碗で回し飲みをするのが普通ってことなのか? 今までこの世界でそんなことはなかったから、それが茶道のマナーみたいなものってことか。
うう、六助や秀吉と同じ茶碗で飲むの嫌だなあ……。
いや、待てよ? ってことはだ、帰蝶と茶会をすればあの子と同じ茶碗で茶が飲めるってことなんじゃ……。しかも茶道の作法なわけだから、正々堂々と間接チョリッスが出来るじゃないか。
我ながら天才過ぎる発想に感動している間に秀吉は茶を飲み干したらしく、恐怖の器が俺の前に置かれた。