(9)
七十人ほど収容できる広々とした食堂には大勢の参列者が席についていた。
盛大な祝福の渦の中を、僕らは歩いた。伊織の手は僕の腕に添えられており、疑似結婚式はいえ、僕は自分でも顔が引きつっているのが分かった。入場の最中は至る所からどよめきが起こり、誰もが伊織の花嫁衣装にうっとりとため息を吐きながら、羨望のまなざしを向けていた。
通路にはパンチカーペットで代用した真っ赤なバージンロードが敷かれており、天井には手作りのフラッグガーランドが張り巡らせてある。各机の上にはバルーンスパークと、百円均一でそろえたランチョンマットや食器類。中央には、式の最中に使用するまだ花の入っていない花瓶が置かれていた。
正面に設えた席に着くと、そこから見える景色はなかなか壮観だった。
机と椅子は食堂の物をそのまま使用しているが、テーブルクロスはシーツを切って作られたもので、その席にあらかじめ出欠を確認していた施設入居者四十名と、職員や伊織の友人たちが座っていた。井坂や尊はウエイターの役で、真央さんとカタクリコはカメラマン、式の進行はレクリエーションに慣れた職員が請け負ってくれた。
プログラムは食事をしながら楽しんでもらうことしており、あらかじめ参加者にどんなものが食べたいかアンケートを取っていた。一番多かった意見は「あたたかいもの」で、職員や栄養士と相談をした結果、山菜おこわと、塩分を控えた寄せ鍋と、フルーツゼリーを提供することにしていた。
披露宴でテーブルに土鍋があるのは異様な光景だったが、食事は思いのほか評判が良かった。おばあちゃんも同じテーブルの入居者と食べる寄せ鍋に舌鼓を打っており、目が合うと僕らに楽しそうに手を振ってくれた。
その後列席者に鍋をつまんでもらいながら、伊織の権力を駆使して手配した合唱部によるコーラスや、吹奏楽部の友人達によるトランペット演奏などを楽しんでもらった。プログラムの合間には、伊織の友人たちに写真を撮ってほしいと言われたり、おばあちゃんと一緒に各テーブルの入居者に挨拶をしたりした。
会も佳境に入ったところでメインのプログラムである、スクリーンでのスライド上映の準備が進められた。投影の前にカーテンが閉められ、室内が薄暗くなったところで僕らは席を立った。キャンドルサービスの変わりにある趣向を計画していた。準備されたバスケットには水に反応して光る薔薇が入っており、僕らはそれを持って各テーブルを回った。
花瓶に花を挿すと、折り重なった花弁の中央がぼんやりと光り、室内は幻想的な雰囲気に包まれた。キャンドルサービスは火を使用するので許可が下りなかったため、どうしようかと考えている時に井坂姉がアドバイスしてくれたのだ。
深海で発光する魚のような心もとない光の中で、上映が始まった。川のせせらぎのような落ち着いたピアノの音を背景に、「歩の歩みと伊織の祈り」という文字が大々的に表示された。それは僕らの成長の軌跡で、スクリーンには幼児のころから現在に至るまでの僕らの写真が次々と表示されていった。二人で写真をかき集め、学校のコピー機でスキャンしたデータをスライドにしたのである。
やがて写真の時代が現在に追いつくと、伊織の写真が中心に表示された。
文化祭で友人と一緒に撮ったもの。おばあちゃんや真央さんと植木市に行った時のもの。修学旅行で饅頭をほおばっているもの。生徒会で皆を仕切っている時のもの。体育祭の後に先生と撮ったもの――。
気がつくと、隣で伊織が泣いていた。僕がハンカチを渡すと、彼女はそれを受け取った後、濡れた瞳でおばあちゃんの席を見た。おばあちゃんもまた、ハンカチを片手に目元を拭うような仕草をしていた。
それからは僕らの写真がいくつか表示された。待ち受け画面にしている楠の下で撮ったものや、いつの間にか撮られていた僕が料理をしているもの。文化祭で仮装した伊織と一緒に撮ってもらったもの。式の準備の最中、居眠りをしている伊織の写真が表示された時には彼女に肩を殴られた。
すべての写真を表示し終えた時、画面が暗転し僕らの席にスポットライトが当てられた。ようやく、最後のプログラムである。
僕らは席を立ち、おばあちゃんの前に移動した。これから手紙の朗読を行うのだ。
「おばあちゃん。十八年間育ててくれてありがとう。私が今この場に立っていられるのはおばあちゃんのおかげです。小さいころは、両親がいない寂しさをおばあちゃんにぶつけて困らせてしまったこともありましたね。本当に、ごめんなさい――」
伊織は涙を堪えながら、おばあちゃんへの想いを伝えた。会場は静まり返り、手紙が進むにつれてすすり泣く声が聞こえ始めた。
「私が泣いている時は泣き止むまでそばにいてくれて、うれしい時や楽しい時は一緒に笑ってくれましたね。そうやっておばあちゃんはいつも、私のことを第一に考えてくれました」
おばあちゃんは、目頭を押さえながら伊織の言葉を聞いていた。伊織が自身のことを責めるようなことを言った時は、そんなことはない、という風に頭を振り、他愛ないエピソードを語っている時は、頷きを交えながら目を細めていた。
「今まで愛情を注いでくれてありがとう。ずっとずっと、長生きして私たちが幸せになるところを見ていてください。おばあちゃん。大好きです」
手紙を締めくくり、伊織が一礼をした所で会場からは盛大な拍手が巻き起こった。所々から、おめでとう、という言葉が聞こえ、その祝福の嵐の中最後に僕がおばあちゃんに花束を渡した。
「歩くん。ありがとう」
涙ぐんでいるおばあちゃんにそう言われ、僕は、こちらこそ、と言った。
その後僕が締めくくりの挨拶をして、机の上にあるバルーンスパークを割り、無数の風船が会場内を埋め尽くす中で式はフィナーレに移るはずだった。
突然目の前に現れたのは、牧師の仮装をしたこの施設最年長の職員だった。その職員は僕たちの机の前で立ち止まり、聖書のようなものを開いた。こんなプログラムは予定になく、僕と伊織は二人で顔を見合わせていたが、牧師の職員はかまわず続けた。
「新郎歩さん。あなたは伊織さんのことを、病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も、妻として愛し敬い、慈しむ事を誓いますか?」
訳が分からず、僕が口を空けたまま放心していると、カメラを持った真央さんと目が合った。真央さんは意味深に片目を閉じて、早く回答するように顎で指示した。なるほど、そういうことか、と思った。
ざわついた会場の中、僕は自然とおばあちゃんを見た。全員が固唾を呑んで僕らの動向を見守っている中、おばあちゃんだけが唯一、この先の答えが分かっているような笑みを浮かべていた。僕は隣で動揺している伊織に向き直った。
「はい。誓います」
会場内に一瞬、どよめきが起こった。
僕の返事に伊織はゆっくりと顔を上げ、こちらを見た。不意を突かれた顔で僕を見るその瞳には、うっすらと光るものがあった。次に牧師は、伊織に言葉を投げかけた。
「新婦伊織さん。あなたは歩さんを病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も、夫として愛し、敬い、慈しむ事を誓いますか?」
彼女は一瞬迷うような間を置いておばあちゃんを見た。そして互いに視線同士で何かを語り合った後、胸を張って僕のことを正面から見据えた。
「はい。誓います」
力強い声が響いた瞬間、会場は拍手で包まれた。すべての人たちが僕らを祝福し、盛大な賛辞で会場内が埋め尽くされた。
鳴り響く拍手の中、牧師がちらちらとどこかを見ていた。視線の先には真央さんがいて、真央さんは彼を煽るような仕草をしていた。
「ええと、それでは、その……誓いのキスを」
「えっ?」
「えっ?」
僕と伊織が同時に言うと、彼女の友達が奇声に近い叫び声を上げた。施設の入居者も子供の戯れごとを見るような表情で僕らの行動を見守っており、当惑している僕らをよそに、皆が期待をこめたまなざしをこちらに向けていた。
そんな止まらないざわめきの中、いつの間にか伊織が僕に顔を向けていた。
「私は、いいよ」
僕にしか聞こえない声で言うと、彼女はゆっくりと瞳を閉じた。同時に会場は今日始まって以来最高潮の盛り上がりを見せた。おばあちゃんを見ると、おばあちゃんも、孫娘との接吻を許可すると言わんばかりの笑顔をこちらに向けていた。
「……ほら、はやく」
「う、うん」
急き立てられるまま伊織の肩に触れると、彼女は顎を少しだけ上げた。崩壊しそうな平常心をかろうじて保ちながらゆっくりと顔を近づけ、僕は息を止めた。
妖艶な鎖骨が目の前にあって、目のやり場に困った。改めて正面から見る彼女の顔は現実感のないような美しさだった。
近くに香る華やかな匂い。彼女の肩に触れる手が徐々に震え、手のひらが汗ばんでくる。自分の心臓が耳の真横で鼓動しているように大きく聞こえ、代わりに会場の声や音がかすんでくる。
「……大丈夫よ」
彼女の唇が後数センチに迫った時、そんな言葉が聞こえた。
その瞬間に、会場にあるバルーンスパークの一つが割れた。会場には生まれたての小さな風船が宙を舞い、見計らったかのようなタイミングで壁時計が鳴った。式を終了する時間で、会場内の意識が一瞬その音に逸れた。
「時間がないので、このまま写真撮影に移ります」
伊織がそう言うと、一部の客から少しくらいいいじゃないかとのブーイングがあった。僕もこのタイミングを逃すまいと、残りのバルーンスパークを割るように促し、結局その場の雰囲気で僕らは難を逃れることができた。
肩の力が抜けるように安堵していると、次の瞬間、伊織が突然抱きついてきた。
心臓が止まるような思いで硬直していると、伊織は僕の耳元に唇を寄せてつぶやいた。
「――歩、ありがとう」
そう言って彼女は、全員での記念写真を撮るために所定の位置へと移動していった。舞い踊るバルーンと全員が動き回っている中での一瞬の出来事だったので、誰も僕らのことを見てはいなかった。
あの時伊織は、大丈夫よ、と言った。
タイミングよくバルーンスパークが割れたことも、壁時計が鳴ったことも彼女はすべて計算していたのだろうか。それとも緊張する僕に対して、私はあなたとキスをしても大丈夫、という意味で言ったのか――。
疑問は残ったが、その後何枚かの写真を撮った後、最後におばあちゃんや真央さんとのショットを撮り式は終了した。
すべての片づけを終え、関係者全員にお礼を述べた後、僕らは再びおばあちゃんの部屋に行った。今日の感想を少し話した後、いきなりおばあちゃんは変に改まって僕らの正面に座り深々と一礼した。
「今まで生きてきて、こんなに嬉しかったことはないわ」
そしておばあちゃんは、その幸せを閉じ込めるように伊織の手をそっと握った。
「伊織ちゃん、とても綺麗だったよ。幸せな時間をありがとう」
「……うん」
伊織は顔をくしゃくしゃにしながら唇をかみ締め、涙を堪えていた。おばあちゃんはそんな彼女の手を優しくさすっていた。
「歩くん。これからも伊織ちゃんのこと、よろしくお願いしますね」
そう言って、おばあちゃんはゆっくりと頭を下げた。
「はい」
僕が言うとおばあちゃんは頷いて、目じりの皺を一層深くした。窓から差し込んでくる夕焼けの光の中で、おばあちゃんは優しく笑っていた。




