表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
その傘をはずして  作者: L.Y
2/31

(2)

 僕の通う高校は最近まで女子高だったが、生徒数が減少傾向にあった為、僕が中三の時男女共学になった。自宅から一駅という交通の利便性に惹かれ、何の考えもなしに同高を受験した。それが悪夢の始まりだった。

 

 入学してクラスに入った時、まず男女比率に驚かされた。クラス四十人に対し、男子五人。学年の男子を総計しても三十人にも満たないという状況に、いきなり暗雲が立ち込めた。男女共学になったのだから、女子目当てで入学してくる男子がかなりいるだろうという甘い目論見は打ち砕かれた。


 一度入学したからには、きちんと勉学に励まなければならない。波風を起こさずに、べた凪のような三年間を過ごすには仲間が必要だった。

 それは他の四人も同じだったようで、僕らはすぐに打ち解けた。特に僕の一つ前の出席番号の高木尊は、僕ら男子だけではなく女子とも仲が良好で、女子に用がある時はよく彼を介していた。


 月日が経つにつれ、僕らの中でも見えない上下関係のようなものが生まれ始めた。

 初めは尊の頼みで売店に飲み物を買いに行かされるくらいのことだったが、次第にエスカレートしていき、終いには尊を含んだ四人の都合のいい使いっ走りに僕は成り下がっていた。


 クラスメイトの横暴は日に日にエスカレートしていき、ついには掃除当番や特別授業で行う面倒な資料作成まで押し付けられるようになった。たちが悪い時は、尊が女子の注目を得ようとするために、僕をからかうこともあった。


 クラス替えのない学校だったのでそんな状態が続き、気づいたら三年になっていた。

 良いようにこき使われているが、買出しの際はちゃんとお金をもらっているし、たまにお菓子をくれることもある。だからこれはいじめではないと自分に言い聞かせていたが、高校最後の夏休みが迫ったこの日、事件が起こった。


 いつものように憂鬱な気持ちで教室に入ると、尊の席に男子が集まっていた。

 僕も挨拶をして自然な流れで会話に加わろうとしたが、尊の様子がおかしかった。いつもこちらが黙っていても無駄に絡んでくるくせに、今日はどこか元気がない。少し機嫌が悪いようにも見える。


 近くにいた男子にこっそり事情を聞いてみた。彼は声量を絞って、昨日尊が恋人に振られたのだと説明してくれた。

 少しでも彼の体調を案じたことを後悔していると、尊はその時になって初めて僕の存在に気づいたのか、片手をあげて疲れたように、おはようと言った。


「歩、俺昨日振られちまったよ」

「……それは、災難だったね」

「本当だよ。これから夏休みだっていうのに。まだ付き合って三ヶ月しか経ってないんだぞ」

 

 こういう時に何と言って慰めればよいのか分からなかった。それは他の三人も同様で、皆一様に苦笑いを浮かべている。

 その沈黙が彼の機嫌を損ねたのか、尊は何かを企んでいるような目で僕を見た。


「傷心の俺を慰めてくれよ」

「……どうやって?」

「そんなのお前が考えろよぉ」

 

 いつものふざけた口調でそう言って僕を小突いてきたが、瞳の奥は一切笑っていなかった。それはいつか彼が僕を生贄にして、女子の注目を得ようとした時と同じ目だった。

 尊の悪ふざけが始まる。それを素早く察知したお調子者の男子が僕と尊の間に割り込む。


「月島は今まで彼女いたことないから、慰め方が分からないんだよ。だから困らせるなよ。なあ、月島」

 

 他の男子もこの機を逃すまいと、剣呑な雰囲気を取り払うように尊の機嫌を取ろうとする。いつもならこの辺で尊が引き下がって他愛のない笑い話になるのだが、今日の彼はしぶとかった。


 「お前、付き合ったことないんだろう?」


 なるべく尊の顔を見ないようにし、僕は無言で頷いた。


「そりゃ、俺の気持ちなんて分からないよな」

「高木、もういいじゃん。月島困ってるって」

「よくねえよ。俺らは、みんな恋愛の喜びや痛みを分かってるけど、こいつは分からないだろう。だから、付け焼刃の慰めなんかされても迷惑なんだよ」

 

 一方的な言いがかりだったが、何も言い返せなかった。


「高木くん、ちょっと今日は月島に絡みすぎじゃないか?」

 

 四人の中だと、比較的一番話しやすい男子が尊を制すように言った。しかし尊は制止を振り切ってとんでもないことを口にした。


「おまえ試しに誰かに告白してみろよ」

「……告、白?」

 

 背筋に嫌な汗が落ちていくのが分かった。


「ここにいる奴らは、みんな恋愛の痛みを知っている。だから痛みを分かち合えるんだ。だからお前も味わってみろよ。そしたらお互い恋愛相談もできるだろう」

 

 実に馬鹿馬鹿しい提案である。嫌なことや不満があっても大抵のことは流すことができるが、この時ばかりは激しく反論した。

 その行為が彼の感情を逆撫でしたようで、さっきまで口元だけは笑っていたのに、いつしか彼はむきになり顔を真っ赤にして告白を強要してきた。もはやただの八つ当たりである。


「お前、好きな人はいないのか?」

「いるわけないだろう」

「じゃあ、俺が選んでやる。大丈夫、かわいい子選んどくから。どうする? 万が一付き合えたら?」

 

 尊は取り巻き全員が引いていることにも気づかず、一人で愉快そうに笑っていた。

それからいくら反論しても暖簾に腕押しで、結局僕は名前も知らない女子に告白することになった。


 最後まで断れなかったのは、一概に僕の気が弱かったからだけではなく、心のどこかでこの悪ふざけを断ると、仲間外れになるのではないかという危惧があったからだ。


 だとしたらものすごく嫌ではあるが、ここで尊のピエロになっておけばきっと彼の気も収まるだろうし、これから告白するどこぞの女子にひどいことを言われても、夏休みの間に幾分かその心の傷も癒えると思った。


*******


 授業が終わり、尊に指定された時間に屋上へ向かった。

 屋上の策にもたれて、眼下に広がる街並みに目を細める。空には雲一つなく、少しだけ太陽は西に傾いているが、まだまだ真昼並みに明るかった。ただ立っているだけで眩暈がするほどの熱量を浴びながら来訪者を待った。


 不意に後方で、ドアの開く音がした。上靴のゴムがコンクリートを踏む音がゆっくりと近づいてきて、その足音が僕のすぐ後ろでぴたりと止まった。


「あの、月島くん……ですか?」

 

 高くも低くもない、聞く人を安心させるような柔らかみを帯びた声。

 僕は声を上ずらせながら返事をし、覚悟を決めて振り返った。その瞬間にさらさらと吹いていたぬるい風が止まった。


 艶のある漆黒の髪。少しつり目気味の大きくて意志の強そうな瞳。妖艶で大人びた唇と、磨かれた硅石のような白い肌。そして仄かに赤らんだ頬。

 僕は彼女のことを知っていた。というより、この学校で彼女のことを知らない人間はいない。


「ええと、雅田さん? 生徒会長の?」

「うん、そうだよ。それにしてもあっついねー」

 

 彼女は、掌をうちわ代わりにしてぱたぱたと仰いでいた。

「それで、私に何か用?」

「いや、それは、ええと……」

 

 よりによって、何故こんな有名人に告白しなければならないのだ。こんなことになるなら、朝の段階でもっと強く拒むべきだった。


 適当に話して、告白したふりをするか。それで、尊にはこっぴどく振られたと言ってごまかすか――。

 そう思っていた時、突如彼女の背後で慎重にドアが開き、そこから尊とその取り巻きたちがこちらを伺っている光景が見えた。僕が寸前で怖気づいて告白しないかどうか見張っているらしい。


「おーい、月島くーん」

 

 尊たちに気を取られていると、彼女が僕の眼前で手を振っていた。さっきよりも距離が近づいているような気がする。

 背は僕の方が大きいはずだが、こうして近づかれると彼女の方が高いようにも見える。彼女の場合、足が長いのだ。


「何か用事があるんでしょう?」

「うん、まあ、そうなんだけど……」

「ていうか、すごい汗! 大丈夫?」

 

 彼女はポケットの中からネズミのキャラクターのプリントされたハンカチを取り出し、僕の額に当てた。その行為は逆効果で、拭った汗はすぐにぶり返してきた。


「これ、貸してあげるからあとは自分で拭いて」

 

 彼女からハンカチを受け取り、緊張で止まらない汗を控えめに拭った。ハンカチからは香水とは違う何か異世界のおいしい果物のような香りがした。


「とりあえず、用があるなら図書室にでも行こうか」

 

 そう言って彼女は、ドアの方向へと踵を返そうとした。

 その時いち早く危険を察知した僕は、彼女を呼び止めた。

ドアの向こうには尊たちがこれから行われる僕の愚行を見守っている。今振り返られるのは非常にまずい。


「ん? どうしたの?」

 

 一度大きく深呼吸をし、それらしい言葉を頭の中で組み合わせる。


「好きです。僕と付き合ってください」


 その言葉を口にした瞬間、体内で別の生き物が息づいているように激しく胸が高鳴った。そしてその鼓動の大きさと比例して、すぐに後悔の波が打ち寄せてきた。たった一行足らずのその言葉は僕の脳裏に刻み込まれ、本気で自分が嫌になった。


 尊。これが君の求めていた恋愛の痛みというものか? これで君は満足か? 君はこれで、僕を仲間にしてくれるのか?

 空が青い。さっきはなかった飛行機雲が、空を割るように延びている。このまま、この青の中に溶け消えてしまいたい――。


「……はい」

「…………はい?」

 

 辛辣な言葉を浴びせられると覚悟していた僕の耳に、まるで予想していなかった反応が返ってきた。その瞳に光るものがあり、彼女は頬を赤らめながら泣き笑いの表情でこちらを見ていた。


「実は私も、月島くんのことが好きだったの」

 

 彼女は人差し指で涙の滴を拭うと、口を半開きにして放心している僕に、その日一番の笑顔を振りまきながら言った。


「嬉しい。こちらこそ、よろしくお願いします」


******


 ここに至るまでの経緯を話し終えると同時に、彼女が頼んだクリームソーダとブルーマウンテンが運ばれてきた。


「そんなことだろうと思ったわ」


 ふてくされたように言うと、彼女はクリームソーダの方に手を伸ばした。僕は自然な流れでブルーマウンテンを手に取ろうとした。するといきなり手の甲を叩かれた。


「それも私のよ」

「じゃあ僕のは?」

「水があるでしょう」

 

 彼女はブルーマウンテンを自分の領域に移動し、おいしそうにクリームソーダのバニラをつまみ始めた。

 

 それにしても、今更ながら彼女の二面性には驚かされた。

 屋上で会ってから下校する途中までは、イメージ通り可憐でおしとやかな佇まいだったのに、学校から離れるにつれて化けの皮が剝がれてきた。

 これが彼女の本性。彼女は猫をかぶっていたのだ。

 

 彼女が半分くらいクリームソーダを食べ終えるのを蛇の生殺しのように見せつけられながら、僕はきっとこれから本格的に振られるのだろうと思っていた。悪ふざけで告白したことがばれてしまったのだから、これ以上彼女が僕と関わる理由はない。


「君を傷つけたことは本当に申し訳なく思っているから、もう勘弁してくれないかな」

 

 彼女は口元にバニラをべったりとつけながら、僕を訝しそうに見つめていた。

 その怪訝そうな顔もそれはそれで魅力的だったが、今の僕には山で鉢合わせたヒグマのようにしか見えず、最初に出会った時とは違い恐怖で胸が高鳴っていた。


「何を言っているの? 私はあなたの告白を了承したのよ。だから私とあなたはもう恋人関係なの」

 

 おかしなことを言いながら、クリームソーダをかきこみ、彼女は次にブルーマウンテンに砂糖とミルクを入れた。


「君は僕のこと好きじゃないでしょう?」

「ええ。赤血球の厚さほども好きじゃないわ」

 

 赤血球の厚さはおよそ2マイクロメートル。1マイクロメートルは100分の1ミリメートルだから、赤血球の大きさは0.002ミリメートル。


 要するに、彼女が僕のことを好きだという要素はほぼ皆無なので、ここまでくるともはや嫌いだと言われているのと同じだ。


 かなり遠回しな表現だが、正直かなり堪える。これが尊の言っていた恋愛の痛みというものなのだろうか。ちょっと違う気がする。


 しかし好きでもないのに付き合うなんて、彼女は一体何を考えているのだろう。


「告白を受けたのにはちゃんと理由があるの」


 ティースプーンを三周ほどさせて受け皿に置き、そっと一口だけ口に含むと、ため息とともに彼女は嘘の告白を了承した理由を話し始めた。


「私ね、事情があって今おばあちゃんと二人で暮らしているの。でもおばあちゃん、最近体調が悪くて元気がないのよ。それで私も家事とか炊事とかできることは全部自分でやって、おばあちゃんに楽をしてもらおうと思って頑張っているんだけど、全然だめで……」


 家での彼女は信じられないくらい不器用で、料理などもできず掃除もやる前より汚くなってしまうので、家事に関してはほぼすべてそのおばあちゃんに任せていたらしい。


「自分がこんなに不器用だなんて思いもしなくて、ある時それで落ち込んでいた私を見かねておばあちゃんが言ったの。伊織ちゃんにもいい人がいたら安心なんだけどねって」


 それから彼女が汚名返上とばかりに家事を手伝っても逆に仕事を増やすだけで、その度におばあちゃんは孫娘の未来への不安をしげしげとこぼすらしい。


「だからそんなダメな私でもしっかりしたパートナーがいて、尚且つそのパートナーは、私の悪いところをちゃんと理解してくれているってところをアピールしたいのよ。そしたらおばあちゃんも安心すると思うの」


 彼女は湯気の乏しくなったブルーマウンテンを一口飲んだ。辺りを見回すと、いつの間にか店内の客は僕ら二人だけになっていた。


「……その役を僕がしないといけないってこと?」


 彼女はいじらしい笑みを浮かべながら、そうよと言った。


「もちろん、ずっとじゃないわ。私はやればできる人間なの。だから私がおばあちゃんを安心させるくらいの技術と信頼を手に入れるまで、あなたには恋人のふりをしてほしいの。あなたは一見すると不器用そうだけど、実際はどうなの?」

「君はさらりと失礼なことを言うね。ちなみに掃除は好きだし、料理も簡単なものならできるよ」

 

 僕の家は共働きで、よく洗濯や風呂の掃除を任されたり、遅く帰ってくる父のために簡易的な夜食を作ってあげることもあった。


「でも仮に僕が家事や炊事を人並にできたとしても、君のおばあちゃんを安心させるような人徳のある人間ではないよ。だから僕なんかよりもっと賢そうな人を代役に頼んだ方が賢明だと思うけど……」

「確かにあなたはちょっとさえないけど、見方を変えたら落ち着いていてしっかりしているように見える。変に元気すぎるよりいいと思うわ。おばあちゃんが気に入りそうなタイプよ」

「それは褒めているの?」

「もちろん」

 

 褒められているのかどうかは別として、どうやら僕は彼女のお眼鏡にかなったらしい。でもどう考えても、僕にそんな大役はできそうにない。


「……やっぱりできないよ。君はとても美人だし、僕なんかとは釣り合わない。君にはもっとふさわしい人がいると思うよ」


 自信なさげに言うと、彼女は首を横に振った。


「ふさわしいのはあなたよ」


 彼女は芯の通った声で言うと、形のいい大きな瞳で射貫くように僕を見た。それは生徒会長の彼女が、ステージに立った時に見せる凛々しい表情だった。


「実は私、今まで二人の人と付き合ったことがあるの。一人は大学生で、もう一人は別の学校の男子なんだけど――」


 彼女はぽつりぽつりと昔の交際相手の話を始めた。


 一人目の大学生は車を持っていて、デートはもっぱらドライブだったらしい。だからたまに夜遅くに帰宅することもあり、その度におばあちゃんに心配を掛けたそうだ。二人目の彼は同い年の男子で、常に連絡を取り合っていないと気が済まないタイプだったそうで、彼女は慣れない家事と束縛彼氏との間に板挟みされて参っていたそうだ。


「その二人のことは好きだったわ。だから二人ともおばあちゃんに紹介したの。でも、二人とも最初はとても愛想よくしてくれていたけど、次第にうちに寄り付かなくなっちゃって。若いから街で買い物したり、遊んだりしたかったのでしょうね。でも好きだったからこそ、おばあちゃんのことも大切にしてほしかったし、私の心境も分かってほしかったわ……」


 結局最初の大学生の彼とは一か月、二人目の彼とは半月も持たなかったそうだ。それから彼女は今日に至るまで、交際を申し込まれても断っているらしい。


「あなたは今まで付き合った人とも、私に告白してきた男子ともジャンルが違うから、きっとうまくいくと思う。だからこの通り。私に協力して」


 手を合わせて懇願する彼女を見ても、やっぱり僕にはできないだろうと思った。いくら何でも荷が重すぎる。

 

 しかし僕の胸中を先読みしたのか、彼女は恐怖の言葉を言い放った。


「ちなみに断ったら、あなたから悪ふざけで告白をされてひどく傷ついたと友達に泣きつくから。そうなったらあなたは、女性優位の我が校で私を慕う皆から激しく糾弾されることになるわ」

「なんて卑劣なことを……」


 このことを口外されるのは非常にまずい。彼女は可憐でおしとやかで、花でも愛でるようなイメージを持たれているから、僕が彼女に脅されたと叫んでも誰も信用してくれないだろう。


「おとなしく私に従うか、友達から避難囂々の集中砲火を受けるか、好きな方を選びなさい。何だったら、生徒指導部の先生にあることないこと吹き込んで、あなたの夏休みを消滅させることだって……」

「わ、分かった。従うから、従いますから!」

 

 彼女は目じりを垂らして、すべて計算通りといったようにいやらしく口角を上げた。


「じゃあ、交渉成立ね」


 彼女はごちそうさまと言って、帰り支度を始めた。


 嘘の告白がこんなにも簡単にばれて、おまけにそれを理由にゆすられてとんでもない契約を交わされ、今日は本当にいろいろなことがあった。

 めまぐるしい一日に辟易していると、鞄を持って立ち上がった彼女は僕の方を見下ろして、微笑を浮かべながら手を伸ばしてきた。


「ちゃんとあなたにもメリットがあるように計らうから、あなたは黙って私に従っていればいいの。だから、改めてよろしくね。月島歩くん」


 その笑みを見た瞬間、不安で真っ黒に塗り固められていた胸の中の世界に、一筋の光が差したような気がした。

 僕はその白く細い手をそっと握り、控え目に頷いた。悪魔の化身のような彼女にも、少しだけ良い所があるのかもしれない。


「あと、これよろしくね。か・れ・しさん」

 彼女は僕の手に伝票を握らせると、颯爽と喫茶店を出て行った。

 放心状態で彼女の背中を見送っていると、グラスを洗っているマスターと目が合った。マスターはわざとらしい咳払いをして、気まずそうに視線をそらした。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ