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翌日から僕らはすぐに行動を起こした。最初僕は、衣装をレンタルして施設の庭などで写真を撮る程度にしか考えていなかったが、ある時施設でそのことをお世話になっている職員に相談したら、レクリエーションの一環として部屋を貸し出してくれることを許可された。
そこから話が広がり、結果僕らは二週間後の土曜日に施設の食堂を借りてものすごく簡易的な疑似結婚式を執り行うことになった。後々調べてみると、職員同士の結婚や式に列席できない祖父母のために孫が老人ホームで結婚式を挙げるという事例は全国的にも多くあるようだった。
それらのホームページなどを参考にし、僕らは授業が終わってから連日準備を進めた。いろいろな制約があるため、職員と入念な打ち合わせを行う必要もあった。
一番問題なのは資金面だった。備品類は施設が貸し出してくれるが、当日の衣装代や食事、内装の材料費など、ざっと算出するだけで二人ではとても補てんできないような費用が必要になった。
伊織は最後まで私が何とかすると、求人雑誌で短期のアルバイトを探していたが、もちろんそんなことをしている暇もなく、それならどうするのかと揉めている時に助けてくれたのはやはり真央さんだった。
「もう! 早く言いなさいよ!」
結果的に資金面の足りない部分は真央さんが補てんしてくれることになった。真央さんは美容室を開く時におばあちゃんに援助してもらったことがあるそうで、恩返しをしたい気持ちは僕らと同じだった。
それでもすべての費用を出してもらうのは気が引けたので、僕は今持っているゲームソフトを伊織に内緒で売りに行くことにした。
とても一人で運べる量ではなかったので困っていると、ちょうど尊がアルバイトに行くところだったので相談した。彼が僕に対して未だに引け目を感じているという自覚があったため、その後ろめたさを利用しようと狡猾にも企んだのである。当然彼は断るはずもなく、すぐに自転車で僕の家にあるゲーム類を引き取りに来てくれた。
「あれ? 月島くんじゃーん」
店で積算をしてもらっていると、たまたま店内にいたカタクリコに声を掛けられた。彼女は僕がすべてのゲームを売り払っていることを知り驚愕していた。
「何で売っちゃうの? もうゲームしないの?」
「ちょっと、お金が必要なんだ」
「いおちゃんにプレゼントでも買うの? もうすぐクリスマスだもんね」
確かにそうだな、と思ったが否定した。
「そっかぁ。もう、月島くんとゲームの話できないのかぁ……」
カタクリコが落ち込み始めたので、僕は仕方なく事情を話した。その場には尊もおり、二人とも僕の話を思いのほか真剣に聞いてくれた。
「何で言ってくれないのよ!」
カタクリコは真央さんと同じように憤慨して、すぐに携帯電話で何かを入力し始めた。その数分後伊織から着信があり、受話器の奥から彼女の当惑した声が聞こえた。
『何故か友達が怒っているんだけど、何かした?』
どうやらカタクリコは僕から聞いた情報を友人たちに一斉送信したらしい。伊織には後で怒られることにして、僕はとりあえず電話を切った。
「私も何か手伝うよ」
「君、受験勉強があるでしょう」
彼女は難関と言われている都心の国立大を受験するのだ。しかしカタクリコは僕の心配を払いのけるように鼻で笑った。
「勉学と遊びを両立できて、初めて充実という言葉を使う権利があるのだよ」
「君が言うと説得力があるね」
結局カタクリコの意志は強固だったので、僕は彼女の好意に甘えることにした。
清算をして思いのほか高く買い取ってもらえたことに胸を躍らせていると、尊が突然、そういえば、と呟いた。彼は一瞬何かを考え、答えにはたどり着いたがそれを否定するように頭を振った。気にせず帰ろうとしたが、一部始終を見ていたカタクリコが尊に詰め寄った。
「言いかけたなら最後まで言ってよ」
「でも……」
尊は僕とカタクリコを交互に見ながら言いにくそうにしていたが、渋々口を開いた。
「さとしの姉ちゃんが、そんな学校に行ってなかったかなぁ、と思って」
尊から話を聞いた翌日、僕は早速井坂を待ち伏せた。ホームルームが終わった三十分後くらいに、廊下を気だるげに歩く井坂を視認し、僕はそっと彼を追いかけた。
下駄箱で靴を履き、校門に向かって歩いているところで彼に声を掛けた。振り返った井坂は、すぐに戦闘態勢に入るように眉間に皺を寄せた。
「何だよ」
お互いまだ完全に心を開ききれておらず気まずかったが、僕は彼に事情を話した。彼は黙って僕の話を聞いた後、お決まりの舌打ちをして姉に電話をしてくれた。近くにいるそうで、これから駅前の喫茶店で落ち合うことになった。
先に到着していた彼の姉はとても気さくで話しやすく、僕の相談に快く乗ってくれた。井坂とは真逆の性格であったが、笑った時に細まった目元だけは彼と似ていた。
「私も手伝うわ。さとし、あんたもよ」
「なんで俺が」
「何? 逆らうの?」
「いや……」
井坂姉が喉元に切っ先を添えるように言うと、井坂は押し黙った。そんな彼の意外な一面を見ていると、視線に気付いた井坂が不貞腐れたように、何だよ、と言った。僕が、よろしくね、と言うと彼はまた舌打ちをした。
伊織の友人たちの手助けや、施設の職員及び井坂姉に相談を行い、真央さんの全面的なバックアップで僕らの作業に光が見えてきた。
放課後は会場となる部屋に装飾するための飾りを作ったり、当日の流れを確認したりした。伊織が施設に行っている間、教室で僕が一人で作業をしていると、井坂や尊が文句を言いながら手伝ってくれることもあった。そんな風にして二週間はあっという間に過ぎ、遂に式当日となった。
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式開始の二時間前。早々に準備を終えた僕は、おばあちゃんの部屋で伊織を待っていた。
会場となる食堂には、カタクリコを含む伊織の友人たち十数名と、最後まで文句を言っていた井坂とそれに何故か巻き込まれた尊、それに井坂姉と職員が、準備の最終的な仕上げに取り掛かっていた。
「すごくかっこいいわよ、歩くん」
「ありがとうございます」
僕は眩しいくらいの白いタキシードと、光沢を放ったエナメルの靴を着用していた。髪型も真央さんが数々の道具を使って細工を施し、だいぶ垢抜けた仕上がりになっている。コテを使ったのは初めてで、整髪料も真央さんに最初に髪を切ってもらった時以来だった。
おばあちゃんと最近起きた話や進路のことについて話していると、ようやく伊織の準備ができたとの知らせがあった。休憩室の扉を開けて彼女の姿を見た時、予想はしていたしそれなりに覚悟していたつもりだが僕は文字通り息を呑んだ。
アップスタイルの髪型に添えられている、ビーズとパールでコーティングされた葉の形をした髪飾りと、氷の結晶を集めてできたような迫力のあるネックレス。
胸元から胴全体に羽のような刺繍が施され、バラのコサージュが点在したボリュームのあるスカート部分は、レースが幾重の段になっている。それらのドレスや小物が、あるべき場所に還ったかのように彼女の魅力を引き立てていた。
「このインナーの腰の締め付けがきついのよ」
何も反応することができなかった。目の前にいる女性が伊織だという現実感がなく、透明な壁を隔てた先に彼女を見ているようだった。
「ちょっと、何とか言いなさいよ」
「ご、ごめん。つい」
「つい、何?」
微かなプライドに邪魔されて、見惚れてしまって、とは言えなかった。
それから僕らはおばあちゃんの待つ部屋に移動した。伊織の花嫁姿を見て感極まったのか、おばあちゃんはしばらくの間言葉を失っていたが、次第に表情が和らいでいき、その喜びや嬉しさを咀嚼するように何度も頷いていた。
「伊織ちゃん。すごくきれいだよ」
「ありがとう。おばあちゃん」
伊織も照れくさそうにしていたが、とても嬉しそうだった。