第2話 私は女神の事情を知りました。
花に異世界へと行ってほしい理由が思っていたよりも壮大なことに驚いていると、女神はそれを察したのか言葉を付け加える。
「ああ、別にそれに関してはあなたが責任を感じることは全くありませんよ。世界が滅びる可能性があるのは、私たち神の取り決めによるものです。ただ、どうであれあなたが生きている間に世界は滅びません。」
「それでしたら、どうして私に異世界へ行ってほしいのですか?」
「それはもう私たち神が直接してあげられることが他にないからですね。」
世界は別に神が自由にしていいというわけではない。女神たちも世界に必要以上に干渉することは避けているとのことだ。しかし、世界が危険な状態に差し掛かった時、女神が数少なく直接手を貸していいチャンスが訪れる。それが、この異世界転移だというのだ。
「地球はそういう意味では非常に良い土地です。なぜなら、他の世界ならば確実に重要な役目を担うことになるはずの魔力が高い人材を問題なく確保できます。さらに、独自の文化によって文明レベルが非常に高く、他の世界に行けば、必ずといって良いほどその世界の文明レベルを引き上げることになるからです。」
「つまり、私に向かってほしい世界は今の地球程の文明はない場所なんですね。」
「あー、はい、そうですね。嘘を言っても仕方ありません。地球の水準だと300年は前の文明くらいになるのでしょうか。普通の文明はそのレベルが上限であり、それ以上にはなりえないのです。」
「そういう意味でも地球は異常だということですね。」
「はい、本当に変わった世界です。」
なんとなくではあるが、状況は理解し始めていた。つまり、別に花がどうしても行く必要があるわけではない。どうやらそれは間違いないだろう。ただ、そうであるならば、どうして自分が選ばれたのかはもう少し気になる。単純に強いものに異世界に行ってほしいだけなのだろうか?
「あの、状況を知ると、それこそ私である必要を感じないのですが。どうしても、今すぐに世界を救うために強いものが必要、というのでしたら、私に高い才能があるから行ってくれ、という流れが理解できます。しかし、こうなると私である必要はないのではないでしょうか?」
「そのとおりです。」
どうやらそのとおりだったらしい。
「ですが、あなたはある意味では適任です。まず、家族がいません。神としてはどうしてもあまりに悲しむ人がいる状況で異世界へ行ってもらうというのは気がひけます。」
なるほど、それについてはわかりやすい理由だ。たしかに、悲しむ友人などはいるだろうが、それで人生だめになるほど落ち込んだりする人はいないだろう。
「さらに、ある程度戦う能力があることが保証されています。今の段階でもそうですし、成長も望めるでしょう。」
これはわかる。むしろ、それが一番選ばれている理由だと説明されたのだから。
「あとは、異世界行きに耐えられる人だと判断したからです。異世界は地球よりも絶対に不便です。その環境に耐えられないという人もかなり多くいます。」
ふむ、これも理解できる。たしかに花は耐えられるかどうかと聞かれたら、耐えられる方だと思っている。別にどうしてもこれが無くなったら困る、といったものが格闘技以外には思いつかなかったからだ。
「そして、ここが一番難しいのですが、世界に悪い影響を与えることがない人物であるというところです。花さんはとても良い方ですから。」
なるほど、そういわれると悪い気はしない。ただ、それは買い被りではないだろうか。
「それは保証できません。環境が変われば人は変わります。」
「そうでしょうね。それでも、元々は良い人の方が良いでしょう?」
「たしかに、それはそうかもしれません。」
この時点だと花は行っても良いかなとは考え始めていた。しかし、ここでどうしても確かめておかないといけないことがある。
「正直に言います。今の段階だと私が行くのは悪い選択ではないのかもしれない、とそのくらいには思えるようになっています。」
「そう思えていただけているだけで幸いです。」
「ですが、一つだけ不安があります。私の力はその異世界でどのくらい通用するものなのでしょう?それを確かめない限りは不安が残ります。当たり前ですが、地球での強いとそちらの世界での強いには隔離があるのでしょう。」
「なるほど、わかりました。それでは、そちらを体験していただきましょう。」
「体験できるのですか!?」
「はい、それが望みでしたら。」
「じゃあ・・・お願いします。」
こうして、花の異世界疑似体験が始まった。
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神殿のような場所から急に広い場所にワープした花と女神。どうやら、ここで疑似体験ができるらしい。
「それでは、異世界を体験していただきます。この空間では地球とは違って魔力によって身体能力を向上できます。というか、今の時点で向上しています。」
「そうなんですか・・・しかし、なにも変わったようには感じませんが。」
「まあ、身体能力ってそういうものですからね。それでは、ちょっとした仮想敵を呼び出しますので、自由に戦ってください。ちなみに、ここでは怪我はしませんが痛みは多少あるようになっています。当たったかどうかわかりにくいですからね。」
「なるほど、わかりました。」
最初に出てきたのは緑の肌をした小さい人間のような生き物であった。それが5人ほど、前から迫ってきている。
「それはゴブリンという種族です。人間を出しても良かったのですが、まあ、まずは小手調べということで。」
「これは人間よりも弱い種族ですか?」
「そうですね、それほどは変わりません。一応、殺しに来るという設定になっていますので、注意してください。」
「わかりました。気を付けてやってみます。」
しかし、言葉とは裏腹に気を付ける必要なんてものは全くなかった。ゴブリンたちは確かに武器を持って攻撃してきている。当たれば怪我では済まないのかもしれない。しかし、花にとってはそんなもの当たる方が難しいような攻撃だった。振り下ろされた剣を躱し、その隙に足を払い浮いたゴブリンの身体を地面へと叩きつける。
どごぉぉおおおん!
そして、地面には大きなへこみが出来上がり、ゴブリンはダメージ的に死亡した扱いでそのまま消滅した。
その後も花の予想とは大きく異なる結果が様々に発生する。腹に肘うち一発でゴブリンの鎧は砕け散り数十メートル吹き飛ばされてそのまま消滅。顔面にジャブするだけでもゴブリンは数発で消滅、つまり死亡した扱いとなった。回し蹴りをしたら、蹴るのではなくそのままゴブリンは真っ二つになってしまう。
「これはなにかの冗談ですか?」
この様子を見た花はさすがに馬鹿にされていると感じた。今までも怪物と呼ばれてはいたが、こんなことができるわけはない。しかし、女神の方はいたって普通に答えた。
「いえ、これが実際に異世界に行ったときの花さんの戦闘力です。実際に魔力をきちんと高めて修行した人間はこれくらいのことが普通にできる世界です。」
「その世界の人間はみんなこんなことができるのですか?」
「普通の人間は普通です。地球とほとんど変わりません。魔力がそれほど多くない普通の人間は魔力で強化されていない地球の人間と同じくらいなのです。」
その言い回しでようやく花は気が付いた。魔力がないのに同じ動きができている、つまり地球の人間はそもそもが肉体が強いのだ。そして、花は自分の肉体のことを思い出していた。極限まで努力し、磨き上げてきた自分の強さを思い出していた。
「強い肉体と強い魔力による相乗効果はここまでの異常性をもたらす、ということでしょうか。」
「理解が早くて助かります。」
それからもしばらくは仮想敵を出してもらい、それと戦ったりしていたのだが、徐々に相手が巨大な獣になっていった。しかし、それでも花は普通にそれらをなぎ倒していった。最終的にはどうみても恐竜といった見た目の化け物とも戦ったのだが、ケガすらせずに余裕で倒せてしまった。
「あの・・・今のはどういう生き物なんですか?あんなのが普通にいるような世界なんですか。」
「いえ、あれはドラゴンよ。一生に一度出会えるかどうかっていうレベルです。」
「ドラゴン・・・それにすらこんなにあっさりと倒せてしまうのですか。あの、正直、私の強さってその世界ではどのくらいになるんですか?」
「そうですね、最上位の冒険者くらいだと思います。ですが、別に世界で何番目の実力者、なんてレベルではないです。ちなみに冒険者というのは今みたいに人に危害を加える生き物を倒したりすることでお金を稼ぐ人たちのことです。」
「つまり、まだ私よりも強い人はいるんですね?」
「それは間違いないでしょう。」
「そうなんですね・・・」
こういうのは不謹慎なのかもしれないが、強化された自分の強さに花は少し高揚感を覚えていた。もちろんだが、これは自分で強くなったわけではない。だが、まるで今までとは違う自分の強さが少し誇らしい気持ちになってしまっていた。そして、それに気が付いた花は自分を少し恥じた。
「女神様、私は異世界で何をしたらいいのでしょう?」
「特に何もしてほしいということはありません。ただ、もしも女神の願いを聞いてくれるというのであれば、お願いしたいことはあります。」
「それはいったいなんでしょう?」
「私の世界を救ってください。ただ、具体的に何かをお願いはできません。ただ、その世界は今危険な状態であるということを忘れないでほしい。ただそれだけです。」
それは花にとっては重い言葉だ。もうわかっている、この状況はどうみても異常だ。ある意味でいうなら、全てが異常なのだ。神が人間に頼みごとをすることが異常ではないわけはない。それも、無理やりに行かせるのではなく、どうにかして行ってもらおうと頑張っている、それもまた異常なことなのだ。
じゃあ、どうしてそこまで異常なことをするのか。決まっている、この女神は本当に世界を救いたいからだ。そのためのチャンスを棒に振るわけにはいかないからだ。だから、できるだけより良い選択をするために必死なのだ。その結果が自分を異世界に送ることなのだ。
その思いを感じ取った花は、もうほとんど異世界行きを決めてはいた。ただ、それでも不安はぬぐい切れなかった。一生を決める選択になるだろう、それに新しい世界で生きていけるのかもわからない。それでも、それでも神様が期待してくれているのだ。その期待になんとか応えてはあげたかった。そこで、花から出てきた言葉がこれだった。
「ここで一週間修行させて下さい。それから決めさせてもらっても良いですか?」
「ええ、もちろんよ。それじゃあ、ゆっくり考えて決めてね。」
すぐに断れれることがなかったからだろうか、女神はあからさまにほっとした様子を見せていた。
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修練場の使い方を花に説明した後、地の女神はその場を後にしていた。
「なあ、なんであんなめんどくさいことするんだ?」
声をかけてきたのは火の女神だ。彼女からしたら地の女神がしていることはたしかに理解できないことであろう。
「私は少しでも世界を救う確率をあげたいですから。」
「それだったら、それこそ問答無用で送ってしまえば良いじゃねーか。私はそうしたぞ。」
どんな手段を使ったのかと思えば、オーガがやっている儀式に介入して、偶然を装って無理やり異世界へと送り込んだとのことだった。
「そんな無茶苦茶なことをよく平気で出来ますね。」
「大丈夫さ、『豪運』の贈り物をつけてある。どうやっても幸せになるはずさ。逆にここでの修行で贈り物を使っちまってあの子は大丈夫なのか?」
「絶対に大丈夫とはいえませんが、他の贈り物よりもあれが一番喜びそうだったので。」
「まあ、そういうタイプではあるよな。」
「ちなみに風の女神は送る人を選び終わったのですか?」
「いやー、聞いてないな。別にすぐにやらないといけない決まりもないし、ゆっくりやるんじゃないか?私は忘れそうだからすぐにやったけど。」
「ある意味、一番難しそうな役割の子を任されていますからね。ただ、あまり慎重だと、間に合わなくなる可能性もあります。」
「そういう意味では楽なの貰ったよな。世界を救えるほどの強者って判断基準が楽そうだ。」
「そうでしょうか・・・私は逆に難しいと思いますよ。」
地の女神が選ばないといけなかったのは、世界を救えるほどの強さを持った人物。しかし、強さを持てば人は変わる。それは花が言った通り。だからこそ、強さを得てもなお変わらないような心を持つものを探さないといけなかった。
(彼女はそういう意味では本当に稀有なほど条件に当てはまっている。どうか、この一週間で良い方向へと進んでくれますように。)
地の女神はそう祈らずにはいられなかった。




