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日記&書簡集  作者: dok
5/31

Kさんに書いた自己中、自己不信について

Kさんが自己中自己不信であることを気に病んでいたため、自己中・自己不信を肯定的に評価してみた。

当人にはうまく伝わらなかった。残念だった。かなり軽く書いている。

自己中、自己不信について。

かなり、楽観的で能天気な意見なのですが、(ただ、自分の経験実感に基づいています。)

他人から、自己中じゃないよ、信じてるよ、と率直に言われると。なぜか、自己中性とか自己不信とか拭える気がします。

論理に飛躍があるけれど、痛いの痛いの飛んでいけ、と母から言われると、子供はなぜか痛みが和らぐ感じに近いかな。

他人への依存につながるのかもしれないですが、自分の中で、評価が不確かなこともやもやしていることが、他者からの言葉によって解消することも多いです。


あと、自己中心的なのは、実はそれ自体では、良くも悪くもないと思います。自己中心的に考える、とは、自分自身を見つめる、自分というものを意識しながら、考える、ということでもあるから。と、ややこしい言い回しになってしまった。要は、自己中心的に考えることと、たとえば人の痛みに共感することは矛盾しません。病気で苦しんでいる人を前にして、もし、自分が同じ状況だったら、辛いな、と想像するのは、自己中心的な発想だけれど、同時に、共感、同情です。


自己不信も、自己不信それ自身いいも悪いもないと思います。こじつけ?かもしれないですが、デカルトの方法的懐疑は、もろ自己不信ですが、彼はその自己不信を方法的に用いることで、近代西洋哲学の出発点を作ったとされています。

常識的に、否定的にみなされている言葉も、視点を変えれば、積極的に捉えなおせる。

多くの場合、以上のような論理展開は詭弁とみなされる。


実は、Kさんには、以上の文章をほぼ完全にスルーされ、かなり、虚しかったのだった。

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