H氏への教育論書簡
昨日、塾講師のH氏へ送った私信二通。昨日は引っ越しということもあり、精神的に不安定で、様々な人に様々な手紙を送った。その結果、やや決裂しかけている関係もある。
本日新しいバイト決まったのだが、こんどはそのバイトへの怖さ不安から鬱々としている。正直、死んで楽になりたい。が、唯物論者なので、死んでしまえば、それまでと認識している。だから、死ぬに死ねない。が、唯物論者であるからこそ、死んでしまえば、本当に「楽」になれると思っている。と、暗い話になってしまった。本編に暗さはない。
電車移動中、主婦たちの受験談義を聴き続けています。そうじゃないのに!子供を見ろバカ!ってすみません。ほんと、これはガス抜きです。子供の成績上げるためだけに生きているのか?なんだ、こいつら?
と、すんません汗
なんでこんなに自分の頭で考えられない人だらけなんだろう。。。
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(以下とりとめないです。まあ、いつものことですが。)
ふう。引っ越しというより、出戻り完了しました。
本を読もうか文章書こうかの二択で、今夜は文章を書くことに、文章書くこと=僕の生き方みたいな感じで捉えていただけると。
(移動など、なにか普段と違うことあると、ついついあれこれ書きたくなる、と。)
えー、ちと、お疲れモードなので、ラフにあれこれ。
愚痴の続きなのですが、なんというか、彼女たちの話し方、がやなんですよね。
我が子を褒めたり自慢したりしたいのか、それとも我が子を貶したり貶めたりしたいのかどっちなんだ?と聴きながら感じるんです。
いわゆる、謙遜ってやつですよね。我が子のことをガリ勉しないと学校の勉強ができないと断言しちゃうのは、子供の側からしたら、結構嫌だと思うんです。
塾に通わせるって行為も、ある意味、我が子の能力や未来を信じていないわけで、でも、表面的には、信じているふり、みたいな。
私の子供は、「できが悪い」から、塾に通わせるけれど、でも、本当は「できがいいから」、ちゃんと勉強したらいい学校行けるのよ。みたいな。
と、こりゃあ、悪口だ。
あ、一応、付言しておくと、Hさんのような人が運営している塾に通うことは子供にとっていい刺激になると思ってます。
うーむ、眠いような眠くないような。
もともと、学校というものは、親がまともなら必要ない機関だと思うんですね。(極端な発想かも)
わかりやすさ優先ですっごい極端な例を出せば、母親がキュリー夫人で、父親がソクラテスだったら、まあ、一般的な学校に通う必要ないだろう、と。
でも、現状の日本の各家庭では、いろんな親がいるから、大半の親より教養だったり、思慮深い大人たちで学校ごっこを演じた方が良いだろう、と。
うーむ。いじわるな表現に。
逆に言えば、学校って制度は、親の知性を舐めに舐めきっている。
うむむ。さらにいじわるな感じに。
☆
実は、「自己肯定感」という言葉に対してすごく違和感というか、完璧子供や大人を縛る言葉だと思っているのですが、ちょっと、整理できません。
例えば、一般に不登校=自己肯定感少ないから学校行けない。登校してる子=自己肯定感ある。みたいな見方多い気がしてて、それあほだろう、と。
クラスの中で自分だけ学校行かない。それって相当、自分の方が正しいんじゃぼけえ、という思いが(潜在的にでも)ないとできない、と思うんですね。
いつだったか、知り合いの元不登校の子が、「不登校、未成年売春してたなんて自己肯定感なかったんだね」ととある教育関係者に評価されて、腹が立ちました。
「自己肯定感」って肯定感がある=いいもん。肯定感がない=だめ。という線引きをするための道具に過ぎなくって、ようは、人間を差別する機能しかないように思うんです。
と、「自己肯定感」への違和感、なんだかんだ整理できた。よかった。
☆
ちなみに、僕が簡単に?嬉しがれるのは、禅をちょこっとかじっているからかも、しれないです。
禅とかヨーガとかって、身もふたもない言い方しちゃえば、瞑想によって、脳内状態を自由に操る技術、とも捉えられます(もっと宗教的にも思想的にも深い解釈できると思うのですが、僕にはまだよくわからない。。。)。
座禅しまくってたら、ドーパミンの量とかセロトニンとか、脳波とか、専門的なことはわからないですが、これらの脳内状態を、感覚的に強めたり弱めたりできるようになったぽいです。
で、僕は、嬉しいことがあると、ぐああああ、とドーパミン出しまくって、ぐああああ、と嬉しくなるみたいです。先天的な性格もあるのだろうけれど。
逆に、Hさんは、スポーツマンとして、常に冷静に状況分析する練習を積んできたから、嬉しさも恐怖不安などの感情もある振れ幅に収められるのかもなあ、と思いました。
☆
これは、やや塾批判になるのですが。以前から、塾の経営時間って塾本位だよなあ、と感じていました(現状仕方ないとは思うけれど)。夜遅くまで子供が塾で学習→成長期の子供たちの睡眠時間が必然削られる。塾=子供たちの学習を深めるため、のはずが、睡眠時間削らせて、子供の成長阻害してしまったら本末転倒だろう、と。
子供たちの自己判断で、多少の睡眠犠牲にしてでも、この塾に通いたい、と選択しているならよいのだけれど。と、部外者がすみません。ただ、わりと、みんなスルーしている社会的矛盾だよなあ、とは思ってて。
☆
以下、Hさんに勧めたい?本など。(結構、思いついたまま書いてます。あまり厳選していないです。)
福岡正信「わら一本の革命」
直に会った際お渡ししようと思っていた本。
内容要約しちゃうと、バイアスになっちゃうから書きませんが、自然農業の本。
作物を育むことと子供の成長を見守ること通じると思います。
苫米地英人「脱・洗脳教育論」
苫米地さんの本の教育関連でわかりやすかな、と。
こちらも直に会った際お渡ししようかと予定していた本。
岡田斗司夫「東大オタク学講座」
ゲスト講師陣がすごい。
冨樫義博「HUNTER×HUNTER」
説明不要ですね。我が聖書。
シュレーディンガー「生命とは何か」
これは直感なのですが、Hさんの心臓の疑問へのヒントがありそうな気がします。
内容は忘れました。
読みかけなのですが
ジョン・R・サール「マインド」
心について考えたいなら。
マーヴィン・ミンスキー「心の社会」
同上。
羽生生純「ワガランナァー」
福音書。
徳田雄洋「離散数学「ものを分ける理論」」
数式ほぼ読めない僕でもよくわかった。
とても面白い。
☆
もう一項目書こうと思っていたのですが、忘れました。まあ、忘れっぽいのです。
長々と失礼しました。それでは、小説家モードに沈潜します。
26歳。それは太宰が初作品集を出版した歳。我が人生に悔いなし。
全て、うまくいく。
色々と錯綜している。希望なんてないよ。