Mさんとへの手紙(今朝の参議院選挙結果発表を受けて)
この経緯は、僕自身が投票棄権行ってきており、その事実を胸を張って彼女に告白したことから始まる。
僕としては、自己開示の一環だったのであるが、Mさんからは強い反発を受けた。
以下の文章は彼女反発に対する反発であり、理知的で内面は疑いえない。
そっか。
(選挙結果はまだ見ていません)
僕は逆の見方をしています。(ただ、Mさんの意見も正当だと思う。視点が違うだけで、根本は大差ないと思う。)大半の思考停止な人たちが投票行為をやめてくれた方が、まともな選挙結果になる。
みんなにとって理想となる未来がどのような社会であるか考えた事がある人、もし自らが政治に関与する場合具体〜超抽象まで政策を(行政文書がかけなくてもいいです)少なくとも100程度思い浮かべられる人、現状をデータ、事実に基づいて分析できる人、しか、まともに投票先を選べる能力(能力であり、権利ではありません)はないだろう。
これは、差別的に響くかもしれませんが、例えば、アルツハイマーなどの自覚症状がある場合、自主的に棄権したほうがいいし、僕自身はそうする予定です。また、先天的な知的障害などで、知的年齢が4才、3才と認定されている人たちが、親が認めた投票用紙で投票行為をする事にも疑問がある(なぜならば、三、四歳児には選挙権は与えられていないから)。彼らの権利を侵害するという意味ではなく、彼らの選挙行為には、妥当ではないと思っています。というのも、本来投票とは、一人一人の意見を反映させるではなく、みんなにとって幸せな未来になるために、誰に投票するか?を考えた上で投票するからです。(一人一人の意見の反映なら、数の暴力になる。数の暴力とは、49%の人が犠牲になったとしても51%の人がしわせならそれでいいという事です。)そのためには、ある程度の知性がいる。ただ、知識の対象を、憲法政治史と限定したのは、言葉足らずでした。もう少し広い意味で知性を捉えています。
また、選挙権が与えられたからすぐに投票へ出向くというのも、それはそれで思考停止であり、「はたして、今の自分に、betterな投票行動ができるだろうか?」と自問して、ある程度納得できなくては、投票行動へ移らないほうがいい、と思います。仮にそのように、場当たり的に投票をした人たちの多くは、自分たちの選んだ人たちに対して、後から文句を垂れるだけです。
そもそも、投票行動以外に、政治への参加は可能です。こうした意見交流も間接的な政治参加であるし、政治献金、選挙活動のボランティア、単純に良い政治や必要な政治とは何か?を考えること、も政治への参加だろうと思います。国が定めた年齢に達したから、権利が付与されたから、即投票はおかしい。どこに投票したらわからない、場合は、投票しない、という選択肢=自分以外の(投票権ある)人たちの知性を信任するという道も本来あるべきです。
前言撤回ですが、
憲法とか政治史を「知っている」人だけが選挙に行く素質がある、とは思いません。
憲法や政治の機能などについて「考えたことのある」人だけが選挙に行った方がいい。
あと、政治そのものを離れて、人々は幸せに生きることはできる。
学校に行かなくたって、図書館で本読めば学習ができるように、政治によって社会が是正できなくても、自分自身の働きかけで、人と人との関係を良好にして行くことは可能です。
人間には時間が限られており、よくある政治に大きな時間を割くという選択もありうる一方、それ以外の活動に大きな時間を割くという選択もあり得ます。僕は後者に属します。ただ、今回のように、明確に応援したい人がいる時だけ、投票に行きます。投票にかかる30分前後の時間で、こうした文章が一本かけます。こうした文章を書くことも、なんらかの働きかけになると思います。
と、ちょっと硬くなってしまった。正直、お気楽が好きです。
今だって何処かの誰かが強姦されているし、戦死しています。でも、その事実を指摘しても、みんなヘラヘラ笑います。正直、僕はそうしたヘラヘラ笑いに疲れた、という面がある。悲しいといえば、生まれてからずっと継続的に悲しいです。
あ、大人に期待しないのはいいことです。でも、話せばわかる人はたくさんいます。
(まあ、僕は面倒臭がりなので、草の根民主主義は行わないけれど)
僕の本音をわかりやすくかけば、
「僕が生まれる前にこの世界をまともにしておいてくれよ、馬鹿野郎。
この世界がまともじゃないから、ちょっと息苦しいじゃないか。
あ〜あ、自分以外の奴らほとんど何も考えてない顔してら。
俺がなんとかしなくちゃならないのか。やだなあ。かったるいなあ。
片手間で世界変えたいなあ」
とはいえ、Mさんのような方と出会うことが喜びであることは確かです。
(うーむ、上の文章、誤解されないと良いのだが。。。まあ、誤解されても良いのだが。)
ーーーーーーーー
塩の行進、という方法もあるし、そもそも、選挙や国会がなかった時代に、あれやこれや活躍した人たちもいる(一休宗純など)。
方法は、無限にある(ゲバラ、ガンディ、釈迦、イエス、一休、空海、幸徳秋水、大杉栄、福岡正信、山川均、水木しげる、、、自分自身)。
僕自身は、投票行為が、正直趣味に合わない。すっごくつまらない。退屈だ。紙に書いて投票して、それが一票。自分らしいやり方だとは思えない。
不真面目に感じられるかもしれませんが、そんな心理から、僕は、これまでおよびこれからの投票をほぼ棄権する人です。
うーむ。なんか朝っぱらごめんなさい。
ーーーーーー
ごめん。もう一つ。
やはり、
「憲法とか政治史を知っている人だけが選挙に行く素質があるんですかね?」
には、YESだと思う。
じゃなければ、何の知識もない3才や4才 の子達にも選挙権を与えなくてはならない、という話になる。
選挙権に年齢制限があるのは、ある程度知識や経験を獲得した後でなくては、投票が難しいから、という前提があるからです。
あと、補足として(いうまでもないことだろうけれど)投票とは、自分自身の利益を増やすためではなく、みんなの幸せのために行う行為です。なので、投票者は、投票権のない人たちのこと、もっといえば、世界中全ての人、未来の人、動植物、地球外の生命のことなども踏まえて投票先を選択することが理想です。
また、先ほど山本さんの落選知りましたが、当落そのものが結果の全てではありません。
この選挙を通して、これまで繋がりのなかった人と人とが繋がったり、また、考えるきっかけ、知るきっかけを得た人たちがたくさんいると思います。また、一つの失敗例として未来において参照できる。「このやり方では、失敗したのだな。じゃあ、別のやり方を考えるか」と未来の人たちが考える材料になる。
だから、なんだ?といえばだからなんだ?とも言えるけれど。
政治史について、付言すれば、これまでの政治は全て「失敗」です。証明。いまだに戦争、性的搾取、虐待、差別などが終結していない。おわり。
となると、政治史を学ぶことは、これまでの失敗のパターンを知ることに繋がる。僕自身ほとんど未学習ですが、これまでのだいたい概ねの失敗例を学ぶことを通して、これまでにない新しいパターンを生み出せるかもしれない。エディソンいわく。10000回の失敗は、10000回の「これでは無理な方法の発見」です。
と、これ以上書くと、なんかあれなので、この辺で。
うーむ。長々とごめんなさい。
ーーーーーーーー
うん。
うーん。
喧嘩風ではなく、冷静な意見の交流にしたい。
こちらも、説明不足の上で、我を出しすぎたと思います。反省。
三日くらい期間置いて冷静になれたら。
ただ、こちらも、様々な可能性を検討した上で、特定の方法を暫定的に選択しているということは、わかってほしいです。責める口調は気分がいいものではないです。
ーーーーー
一点。
MさんにはMさんの方法があり、僕には僕の方法がある。
→「私は革命家になって社会を大きく変えたいわけじゃないし、」
僕は僕自身の生き方を素直に開示しただけであり、それをMさんに押し付けたつもりはないです。
一つ一つの主張全てを否定されたくはなかった。
だが、僕自身彼女の気持ちに寄り添えていなかった。
彼女は単純に、れいわ新撰組の敗戦がとても悲しかったのだろう。
悲しい時には共に悲しめば良いわけであり、むやみに理屈をこねる男はモテないのである。
(と、こんなふうに、ふざけたオチをつける不謹慎さを僕はどこで覚えたのか。)
いずれ、僕の政治への思考は、ある程度詳細に描こうと思います。