二千十九年三月二十四日にYさんに送った
現在音信不通のYさんへ宛てた手紙。
知り合って一週間くらいでこんな手紙を送ったら、とても仲良くなれた。
また、仲良くなれたら、と思う。
先ほど、自分のメールボックスを調べたら、三ヶ月間で千通(954通)ほどYさんにメールを送っていた。
少し、送りすぎた。送りすぎたので、音信不通になった、というわけではないのだが、色々と事情があるのだが(双方に)、多分、この世界を平和にできれば、Yさんとも仲直りできると思っている。
世界平和→個人的友情の復活。
セカイ系の逆パターンである。
彼女が今、健やかだと嬉しいけれど、確信が持てない。
ひどい文章も送ったし、というか、千通のうち八割くらいがひどい文章なのであった。
だが、(だが、とここで逆接を用いる点がああ、まあうん)うまく伝わらなかったし、多くの面で(僕自身が僕自身の)我欲に流されてしまっていたけれど、なにかとても、面白い何かが僕の頭の中に詰まっていて、組み立て中で、自己崩壊中で、創造中なのは事実なのだった。
Yさんには、いつだったか、「あなたの頭の中をもっとみせて。」と言われた。また、見せたい。途中なのだ。そりゃ、俺はある種の虚無主義者だけれど、虚無主義者虚無主義者というなら、カラオケで歌い騒ぐ人間誰もが、虚無主義者だろう(そんなことしてなんになる?でも楽しいじゃん!)。俺はある種の虚無主義であることは事実なのだが、楽しい虚無主義者なのだ。俺の頭の中は、このディズニーランドよりも、どこの何よりも、面白い。Yさんに、また、俺の頭の中で、遊んでもらいたい。
メルマガ入ってくれるっと思っていた人に断られた。
まあ、こんなものかな。
さて次どうするか。
働きたくないなあ。
小説書こうかなあ。
五分の一で人が入るなら、分母増やして少しずつ、お金が足りなければ、バイトで補う、のつもりだったけど、
どーしよっかなあ。希望価格2000円が高かったかなあ。けど、投げ銭だから、100円しか払いたくないなら、それでもいいってつもりだったのだが。
結局商業的戦略なのかあ。大阪どうしようかなあ。本名出しちゃったなあ。まあ、100人当たれば一人くらい入るかなあ。分母増やせばいいのかなあ。
結局金かあ。うーん、正岡子規。
ファンの方が一人いるって思っていたから、まあ、あれこれ追記で書いたけれど、一人芝居はつらいなあ。
うーん、頓挫。
ジモティで、広告代2400円購入したから、それだけ打とうかなあ。
でもなあ。
うぬぼれが強いのかもしれない。でも、人間一人一人違うからなあ。
今日どうしよ。昼寝しようか。大阪のシェアハウスの人に相談しようか。
もう一人、読書の方を、有料級と言ってくれた学生さんがいるんだが、まあ、2000円は払わないだろうなあ。
別に、2000円払ってくれなくてもいいんだが、そのそも、有料級って、級だもんなあ。有料っぽい、くらいの意味だろうからなあ。
50万くらい貯金はあるから、大阪で週三日バイトしながら、やや赤字でも一年くらい続けようかしら、と思っていたのだが、
まあ、どうなんだろう。期待が外れたからやめよう、思うのは、熱意が足りなかったんだろうなあ。
さて、気分切り替え。
(と言いつつ働きたくはない。いや、こんなんじゃあかん。どっかにでっち修行しなくちゃ、だめなのだろうか。面倒臭いなあ。いや、違う。)
ダメだなあ。
わかったと思ったのに。
ああ、そういうことか、ってわかったんだけどなあ。
どっちゃでもええんじゃ。
まあ一日寝たらアイデア湧くだろう。
からかわれてただけかなあ。
どうでもいいや。
けど、やっぱ、俺の方が太宰より文才あるとか思ってしまう。
ろくに読んでいないのに。はてさて。
そもそも、そんな書きたくないやろ。
そもそも、そんな書く動機ないやろ。
あーあ。
乞食なろう。
乞食でいいじゃないか。
うーむ。よくわからん。投げ銭やから、100円でもいいし、明言はしなかったけど、0円でも初めは仕方ないくらい思っていたのだが。
分母の問題かなあ。本当に、売文のつもりでした。まあ、手抜きは多少あった。いや、結構あった。もっと緻密にできたし、もっと項目の厳選もできた。
100個アイデア出しして、100個使うより、1000個アイデア出しして、100個使った方がよかったのだろう。
金なんか正直どうだってよくって、金を稼ぐというモチベーションで続けられそうにない。社会的にいいこと。海外青年協力隊。
つかれたー。
いろいろ相談っぽいことも乗ってもらっていた人だったし、まあ、力不足でも、応援してくれる感じの人かなあ、と思っていたのだが。
いや、力不足などとは思っていない。いろいろと考えていた。いろいろと誰も指摘していないことをさりげなく指摘してきた。
まあ、反応からして、そこは些細なところだよ、もっと本筋に反応して欲しいなあ、とは思っていた。
笑い話だ。
このメールも、まあ、笑い話だ。
小説は本気だが(といいつつどうせ、小説なんて書いても意味などない。)メルマガは、当座糊口をしのぐための売文のつもりだった。
とはいえ、甘ったれていた。でもなあ。甘ったれる以外に社会に対する接し方を思いつかない。だいたい、この世の中にまともな仕事などほとんどないじゃないか。
本当に、こんな仕事いるのかなあ、って仕事ばかりじゃないか。
ネットにいくらでも転がっている情報、と言われたが、じゃあ逆に、ネットに転がっていない情報などあるだろうか。
って、流石に愚痴が長いですね。
働きたくない、それが本音で、
+
まあ、楽しい感じにできたら、とは思っていました。
自堕落ですが、社会性はあるつもりです。
ブログの方は、閉鎖するかもしれない。見てくれてありがとう。
正直、Yさんのことはよくわからない。まあ、年長者ですし、からかい半分なのかなあ、とは思わなくはないです。
メールの方は、プライベートで使ってきたものなので、まあ、何か書きたいことがあったらご自由に。
でも、何がいけなかったんだろう。金額自由に決めていいって言っているのに。振込手数料分も払いたくなかったのかなあ。
ATMまでのガソリン代と時間とアドレス登録の時間が惜しかったのか。あるいは、俺の人間性か。
人間性を見抜かれていたのか。しかし、人間性ってなんだ。自堕落かもしれないが、たぶん、いい人のはずだ。たぶん。
仮に、振込手数料を含めて、月400円の出費になったとしても、でも、そんなに払いたくないものなのかなあ。
あるいは、記事の内容が気に食わなかったか。何か、気持ち悪さを感じた。このメールも気持ち悪い。と思う。
社会的に訴えたいことは事実あった。殺人事件を未遂にする方法とか考えていた。
結論、俺の利他性が足りなかった。
いや、そうなのか。
愚痴りたいから愚痴を書いている。なんじゃこりゃ。
でも、いい小説を書いたはずなんだ。たぶん。わからない。別に、商業的な戦略を練って、それで売れたいわけじゃない。
ED。ED。
どうでもいいや。おもちゃにされた気分。というのは嘘だろう。そんな酷いことはされていないから。
あまちゃんなのだ。
どうでもいい。
人生は続く。
躁鬱になったことなどない。たぶんない。本物は違うのだろう。よくわかんないけど。
人の気をひくのに、自暴自棄になるしか方法がない。でも、何か高度な手を使ってなんになる。
オームみたいに洗脳するか。仕方知らないけど。
善良すぎた、というのも嘘だろう。
だいたい、メールでやりとしていても、肝心のところを外されているなあ、と感じていた。
つまり、そこは違うよってことだろう。しかし、なぜ違うのだろう。なにか、教育的配慮があるのだと思っていた。
まあ、いいや。あまちゃんなのだろう。しかし、よくわからないなあ。何かが足りないのだろう。しかしなあ、
競馬場の話。
競馬場で、ある競走馬の顔が友達の顔そっくりに見えた。
もう、ダメだと思った。
友達がいやいや走っている、と思った。
あかんなあ、と思った。好い気なもんだ。馬の命などなんだっていいだろう。
競馬場で、競馬好きの女の子たちが、仔馬を可愛い可愛いと撫でていた。
でも、彼女たちと似たような女の子たちが、二階のレストランで、馬刺しを食べたりするんだ。
なんなんだ。変だろう。おかしいだろう。
というのは、ある種の当たり前の義憤であり、僕は、その義憤を振りかざして、その陰でこっそり、「働かなくて済む方法ないかなあ」と考えていたのであった。
この社会は矛盾を孕んでいるかもしれない。しかし、その矛盾を修正する必要などないかもしれない。
なぜならば、どうせみんな死ぬからだ。競馬楽しい。いぇい。みんなで興奮すると、楽しい。いぇい。
半分自作自演ですなあ。まあ、いいや。
俺だって本当は悲しくない。そもそも、なんで悲しいのだ。馬刺しは肉だろう。肉は生き物じゃないだろう。
そもそも、生き物だって。あれ。
身体中が寒くなった。
太極拳は上手くなった、と思う。たぶん。でも、わからない。師範は手を抜いてくれていたのだろう。
大阪の教室で、25分かけていた99式が、ここ半年で80分かけれるようになった。状況が整えば二時間行けるだろう。
それが、どうした。
本当はこのメールもそろそろ書き終わらないと、と思っている。
思ってはいない。
人から褒められる時、いつだって、上手く褒めてもらえるように伏線を張っている。無防備だ。
誰だって悲しい思いを経験している。気が狂ったら自由になれると思っていた阿呆。
善意だろう。善意だろう。きっと、善意だろう。善意がなければ、わざわざ己の時間を裂けるはずがない。本当か?
こうして文章を書いている俺は、善意で自分の時間を費やしているわけではない。
まあ、内心予想はしていたことだ。しかし、その予想を想定するのも、時間の無駄だし、行動が妨げられると感じられていた。
あれ、人が面白がる文章ってなんだろう。エログロバイオレンス。そもそも、そこまで冷静にならない方がいい。
節約から、経済へつなげるつもりあった。
結局、節約など極めたところで、コールドスリープが究極でしかない。となると、節約して余った資源をどう用いるか、後世に残すか、という話になる。
ただ、こんな話は俺から言われるまでもなく、当たり前に議論されていることだ。いや、当たり前に議論されていることなのか。じゃあ、なんで、あんなに自動車が走っているんだ。自動車の助手席も後部座席も余りまくっている。
僕は人間不信なので、変なことをするしかない。
それで相手の反応を確かめる?
うそくせー。甘えてみたいだけだ。そして、騙されやすい。
よくわからない。全部夢なのではないか。
別に、メルマガで辿り着きたい先などなかった。わからなかった。ただ、まあ、いろいろ社会的に見逃されていることはある。だが、まあ、もし、そういう見逃されていることをなんとかしたいなら、素直に新聞社にでも入ればいい。でも、自分の人生を犠牲にしたくはなかった。そもそも、あーあ。信頼。他人。博愛かあ。
この先がわからないなあ。もっと現実的な手。
好かれていると思っていた。
好きとは。
希望を感じていた。今も感じている。
だが。
人間万事左往が馬。いいかげん、長い。
ネタにされる。自動機械。意識がない。無意識で夢のように取り止めがなく。涙が枯れるまで書き続けよう。
しかし、この涙って所詮、自己愛の涙だよなあ。思うようにいかなかったから泣いているんだよなあ。
そうだなあ。案外涙があっさり枯れそうだ。そういうことかあ。
語尾が曖昧になってきたってことは、もう特に書きたいことはないのだろう。障がい者なんて大っ嫌いだ。障がい者福祉なんて大っ嫌いだ。
狂人になる方法。しかし、まあ、あるrだろう。ドグラマグラ読めばいいじゃね。しらんけど。
甘ったれるな、その一言で事足りる。
世界で一番すごいのは俺だと思ってきたし、そう思っている。
でも、それはなにも、他者を顧みないとかそういう話じゃなくって、鳥や豚や魚や牛を無意味に殺したくなくって、肉を食わなくなったくらいなのだ。普遍性は高いのだ。しかし、生命って。ぶっちゃけ、生命をどのように定義するか次第だ。しかし、定義は可能か。
障がい者施設で働いていて、利用者さんが、魚を食べたくないって、魚を投げ捨てるんだ。投げ捨てられた魚は廃棄されるんだ。じゃあ、なんのために魚は殺されたんだ。投げ捨てられるためだ。いいじゃん。それで。
リッツカールトンでバイトしたよ。二日。たくさんの肉が捨てられるんだ。たかが人間ごときがどんちゃん騒ぎするために。それでいいんだ。それでいいんだ。
それでいいんだ。
大豆を食べよう!美味しいよ!大豆を食べよう!美味しいよ!
美味しいんだ。美味しいんだ。嘘じゃないんだ。嘘じゃないんだ。
この冬俺の部屋で何匹ものカメムシが死んだ。
カメムシ食べよう。美味しいよ。カメムシ食べよう。美味しいよ。
食べたことはないよ。でも、まあ、まずくはないだろう。
なぜ、なぜ、
そういうことはね、脇へ置いておくんだよ。あるいは、何か、特別な、
脇へ置いておくんだよ。
脇へ置いておきたまえ。
脇へ。
脇腹。
こんな文章を毎日原稿用紙換算25ページ書いて、文章の修行と称する。
ちょっと前まで、50ページ書いていたけれど、メルマガの方に精を出すようになって、ちょっと疲れた。半分にした。
演劇をしたい。演技をしたい。
歌を歌いたい。歌したい。
セックスしたい。知らん。
どうせ、ネタにされる。寿司ネタにされる。
悲劇はいつだって個人的なものだよ。
だから、誰も共感してくれないよ。そういうものなんだよ。わからないんだ。わかりようがないんだ。
羽生結弦くんにだって、悲劇はあるだろう。だが、俺はよくわからない。
文章を書けば、いつか気が狂える。ストーカー。困らせる。困らせてしまうのか。
本当のところはどうなんだ。
前の職場の所長は俺のレポートを読んで泣いたそうだ。嘘だろう、と思った。嘘だろう。きっと。何かの社交辞令だろう。
しかし、その言葉はなんだ。なぜそんな言葉を西村さんは発した。文章の仕事をしたらいい、となぜ言った。
福祉法人の課題レポートで「(性)愛について」とか、そんなタイトルで、書いた。大学の卒論さぼったから、卒論を書き直すつもりで書いた。嘘ではない。嘘かもしれない。記憶に信用は置けない。
こないだ、頭がフランスパンになった。そういう気分になった。嘘ではない。が、やや自演があった。ちょっと縦長になった気がしたなあ、と感じた。フランスパンみたいかもしれない、と連想した。そうだ、これが、おでこのチャクラが開く感覚なのだ。そして、その感覚を直感的に表現すると、頭が、フランスパンになる感じなんだ。
冷静なつもりだが、酒を飲むたび、帰らされる。今だって、冷静だけどなあ。本当かい。知らんがな。
客観がないが、しかし、客観性が実現可能であると、認めた覚えがないぞ。
いちいち反論できても、反論の意味が理解されない。実は僕はこう見えて、誤字脱字が少ない。タイピングに慣れているためだろうが、だが、だが、ねえ。誤字脱字とは違うところ、てにをは、とは違うところ、その違うところが違うんだよ。そうだねえ。
高橋源一郎さんの文章を音読したら、なんかいい感じだった。でも、途中で秋田。君が代は千代に八千代に。
ああ、原稿印刷して集英社に送らなきゃ。送りたい。でも、印刷機こわれたー。ネットカフェ使おう。
いろいろなずれ。
仏教でいう、縁起も、イエスの愛もなんとなーく、わかったつもりにはなっていた。悟りはちょっとこわいよ。わかりすぎていたのは、やはり事実じゃないか。やはり、わかりすぎていたんだ。じゃあ、もう、やることなんかない。
文章は書けば書くほど、人格が書き換わる。あるいは書き足される。あるいは、誤謬が生まれる。というのも、文章とはとどのつまり、縁起だからだ。論理じゃないから。縁起とはなにか、人間の認知を超えて、物事と物事との連関性を実感すること。だろうか。違うかも。どうだろうか。わからん。鉄の女、という比喩は、どう考えたって、阿呆じゃないか。女は鉄じゃないし、鉄も女じゃない。しかし、鉄の女とは鉄=女と文章の上でそう強制的にしてしまおうということなのだろう。つまり、文章を扱いすぎると、いろいろ繋がりすぎる。って、どこで読みかじった考え方でしょうねえ。
基本的に、人間に対しては、好き、という感情くらいしか抱けない。
博愛主義者。スティービー・ワンダー。嘘じゃない。博愛主義者。いや、どうかなあ。放射能まみれの人を抱きしめられるか。
一曲歌いまーす。
中島らもさーん、中島らもさーん。
らもさーん。
いいんだぜえ。
いいんだぜえ。
いいんだぜえ。
君が
ああ、歌詞なんて覚えてねえよ。
君が北朝鮮でも、君が基地外でも。
君がどめくらでも、いいんだぜえ、、
手足あたまがしびれてきた、やばい。過呼吸ってやつ?わからん。看護師とか、おらんし、母親は一階だし、落ち着こう。
おちついたら、ちょっと治った。脳溢血とかやばいからなあ。
いいんだぜえ。いいんだぜえ。
君が、えっとなんだっけ、君が障がい者でも、
君がちんばでも、君が、なんだっけ、君が、頭がよくなくても、
いいんだぜえ。
ぶちこんでやるぜえ。俺がぶちこんでやるぜえ。
いいんだぜえ。いいんだぜえ。
なんの話だ。
なんの話か。
メルマガはやめたほうがいいぜ。なにかもっと、見世物のようなものなら、まだ、ありかもしれない。
奇妙田礼太郎さんのことは、よく知らないけれど、尊敬しているよ。
らもさんの歌を歌うなんて。すごいよ。
ああ、でもよかった。全身が震えた。手足が痺れた。ただ単に、ずっと座り続けて、時間感覚無視して、それで、書いていたからかもしれない。ただ、の血行不良かもしれない。いつだったか、オナニーのしすぎでショック死した中学生がいたなあ。彼の存在のおかげで、やりすぎちゃいかん、ということを覚えた。
こまったことに、俺は躁鬱になったことがない。サヴァンでもない。あとなんだ、高機能なんとかでもないだろう。多動症でもない。わかんないけど、自閉症でもないだろう。まあ、そんなの外側からつけた名前だ。障がい者認定受けたほうがいいのかもなあ、と思わないでもないけど、年金この頃払ってないから、障がい者年金はもらえまい。なので、どうだっていい。
こないだ、大西つねきさんって政治家に寄付をしたよ。選挙にはうんざりしていたけれど、でも、投票以外にやれることがあるんだって、知ったから、寄付をした。祖母からもらった遺産で。
ああ、ダメ人間。
ここに書いたことを、何か節をつけて歌にしたら、なんかもらえるかなあ。
違うか。
文章とはなんだろうか。
どうにも、涙もろく。泣くということに一切の躊躇がない。だいたい二、三年ぶりに会う人を前にすると泣く。それでいい。いつだったか、50くらいの男に殴られたのだ。「男なら泣くな」と殴られたのだ。その時僕は、泣きたくなったら、泣こうと決めた。反抗する。涙で反抗する。好い気なものだ。太宰さーん。太宰さーん。駆け込み訴え書き直してよー。ありゃ、ちょっと違うよ。多分。
人格。
与太話が始まったので。終わろう。そもそも、メルマガ購読者ゼロで悲しい、というのは、実は全然悲しくはなかった。どうだってよかった。大阪のシェアハウスどうしようかなあ、は本当にどうしようかなあ。もう速攻で移住するつもりだったけれど、試しに、一泊してみて、人を見て決めるほかない。やはり、知性的で、人生経験が豊富だからといって、必ずしも、相性がよいわけではないし。
失恋だなあ。
いいこと書いたつもりだったんだけどなあ。
まあ、言動不一致でしたが。でも、言動不一致じゃあかんと思って、シェアハウス行こうと決めたんだがなあ。俺は、見世物じゃねえんだよ。モルモットでもないんだよ。でも、人間は人間をモルモットか見世物としてしか認識できない。別に、いろんなことをして、いろんなことを体験してそれをレポートするから、金頂戴、ってんじゃなくて、俺っていい人でしょ、だから、金くれ、だったのだ。ひどい話だ。いい人に金をあげると、最終的に、新興宗教に入信するか、まあ、そういうことになるのだ。いいじゃないか。いい人に金やって、そのいい人が、何を血迷ったか、ほとんど、政治献金しちゃっても。いや、しないと思うけど。まあ、銀行手数料分、摩擦力がかかるよねえ。呆れているなあ。呆れられているなあ。というより、こんなに書いて、送受信できるんだろうか。いや、実はそんなに書いていなかった。まあ、あと十倍行けるだろう。なんの話だ。いっておくがね、セルフツッコミは多重人格じゃないんだからね。いくら、自己言及的な文章を書いたところでだね、多重人格のふりはできないからね。はい、わかりました。さー。
江戸川乱歩「二廃人」っていいよね。忘れちゃったけど。陽子さんの文章みてて、よく覚えているなあ、と感心してました。俺は、だいたい、1行前自分が何書いたかも覚えていない。でも、一応、小説は長編を4本書き上げて、そのうち3本は、いいかな、って思っている。まあ、このメールの一人称を、私に変えただけであろう。だから、いい気なもんな小説なのだ。
川を引き連れてあるく女の子の話。『川と歩く。』川上弘美さん+高橋源一郎さん(ジョンレノン対火星人)+うわさのべーこんって意識したけれど、いいきなものだった。何しろ、主要登場人物が誰一人死なないのだ。最後、死にそうになったので、不死身設定が付け加えられた。ひどい話だ。僕はこの小説を書き上げて、よし、俺は小説家だと、確信し、気がついたら、事業所の窓から逃げ出していた。Tさんという利用者(詳しいことは書くまい)がげたげた笑ってくれて、他の同僚が本気で心配していた。その時は。引き戻され、午後からは休んでていいから、と言われた。楽しかった。一階の窓から。だから、安全。
ああ。何書いているんだ。
もう一つは『観光地VS多重人格者』タイトルは後からつけたけれど、火星人対ジョンレノン(あれ、どっちだっけ。ほんとうはどっちか知ってる。)まんまだなあ。タイトルは。伊豆と逗子が結婚して、「いずし」という観光地の女の子を産んで、それで、その「いずし」に主人公の女の子(多重人格者)が迷い込むのだ。途中、よくわからない、戦争論が展開された気がするが忘れた。多重人格者の一人称小説(他人称小説)なので、わけがわからなくなった。後半、あまり重要じゃない人格がどんどん影が薄くなった。これを書き始める前太宰にハマった。実は、初めて読んだ。大学の頃は、斜陽の数ページを読んで、「めんどくせ」と思い、放り投げた。その斜陽を音読したら面白かった。文章めっちゃ書いてある、と子供みたいなことを思った。ぶっちゃけ、僕はそんな小説を読んできていない。カフカの城だけ読んで、読書家を自称していたような人間だから。サブカルという言い訳、サブカルという御神体の影で。教養豊かなサブカル少年。太宰っぽくしようと思ったけど、まあ、別物ができた。気がついたら、主人公のちんちんが24本になっていた。女の子だったはずなのに。いや、48本だっけ。忘れた。まあ、いいや。一応社会的なメッセージはあった。たまたま、古本屋で「女子高生コンクリート詰殺人事件」という本をタイトルだけ見たのだ。悲しくなった。まあ、悲しみ以外感じようがない。悲しみをせんじ詰めたら気が来るしかないだろう。気が狂ってどういうことだろう。時間と空間の認識能力が狂うってことだ。僕は、書きながら、「まだ、あの子を救えるんだ」と感じ続けた。嘘だってわかっているので、自作自演というか、まあ、なんだ。ひどい話だ。でも、救えるんだ、と思ったんじゃなかったっけ。思った気がするなあ。あと、THE BOOMと戦い続けた。「風になりたい」って歌と戦い続けた。太極拳で戦った。太極拳に立禅って気功法があるんだけれど、それをやりながら、イメージの中で、THE BOOMをぼこぼこにした。ずっと、頭の中で「風になりたい」が流れていて、その曲に向かって、ずっと、「楽園じゃなくても、天国じゃなくても、いいわけないだろう。バカか。くそが。もっと、らもさんみたいなまともな歌歌え。クズめ」と罵っていた。楽しかった。そうして、その頃の思い出をここに綴るのも楽しい。楽しい。でも、こういう文章はメルマガにはならないだろう。でも、楽しい。本当に、僕はTHE BOOMを血祭りにあげたんだ。メンバーの名前さえ知らないけど。僕には、忌野清志郎さんが付いていて、いつも「君を信じてる」を歌ってくれる。今も歌ってくれる。嘘じゃない。嘘だ。目には見えない。耳にも聞こえない。肌にも感じない。REMEMBER YOU。君を忘れはしないよお。でも、特に何も感じないよ。
えっと、なんだっけ。
その後「彼女の風景」って 小説を書いた。けど、もしかしたら、「私の風景」ってタイトルかもしれない。二週間で書いた。一日二、三時間かけて、ぱっぱと書いた。書きながら、ドグラマグラを越えようと思った。読んだことないけど。ドグラマグラが読書中必ず狂気に陥る小説なら、俺は、読後ずっと気が狂いっぱなしの小説を書こう、と思った。あと、なんだっけ、大乗仏典のなんかを意識した。すっごい数の菩薩が出て来るやつ。なので、作中の桁がおかしいことになった。平均値の指数が五億になった。登場人物がみんな三十メートルの竹馬に乗っていた。あと、だいたいみんな必殺技があった。必ず殺す技なので、登場人物が死にまくって困った。死ぬのを見越して、どんどん追加した。ラッコ人間のラ子とか、タコ人間の夕子とか出てきた。いい気なもんだ。ぜんぜん太宰じゃないなあ、とは思った。登場人物の一人が、セックスのしすぎで、ちんちんが擦り切れるというエピソードがあり、彼の寝言は「ちんちんが五劫の擦り切れ」だった。俺はそれを書きながら泣いた。記憶がある。なぜ、泣いたのだろう。ここでもよくわからない戦争論が展開される。書きながら、だんだん、これはひどい、と思うようになった。本当は、ドグラマグラを二倍くらい超える大長編にする予定で、無理やり全5部構成を考えていたのだが、第一部で、自己嫌悪に陥り、「なにが、五劫の擦り切れだ」と思うようになった。登場人物をおもちゃにしている、とか思ったのかもしれない。でも、こないだ投稿のために原稿に手入れしていたら、どうにも、悲しくなってしまった。正直、苦しかった。でも、こんな苦しいもの人に見せてもなあ、と思いつつ、小説すばる文学賞に送る。高橋源一郎さん審査員だし。
これはひどい。
正直、いろいろなことがどうでもよくって、メルマガのこともどうでもいいのだが、金をどうするか、だけだった。
まあ、もう一人、読書メルマガの方を(おそらく、人生経験が少ないけど、いい人なんだろう、モテるんだろう)大学生の男の子が有料級って言ってくれていたから、
まあ、彼が参加してくれるなら、別に、月百円でも本当にいいんだ。親の脛かじるから。書き続けよう。メルマガ。すごいんだよ。この国最初の小学校の女性校長って、満十八歳だったんだって。こないだ本で読んだ。これをネタに、一記事かける。いろいろ訴えたいことはあるんだ。嘘じゃないんだ。訴えてどうする。どうもしないよ。でも、昔の大人が十八歳の女の子校長の役目を期待して支援したみたいに、今の大人たちも(って俺も大人かー。他人事だなあ)子供達に期待してあげたらいいんだ。昔の人は、歳若くても大人びてたね、って思考停止なこと言ってないで、昔の人は、子供達にすごく期待していたんあ、子供達のことをすごく大切にしていたんだ、まわりの大人がそれなりにフォローしたから、十八歳でも校長が勤まったんだ。そんなあたまり前のことさえ、わからないのか。ばかだなー、という記事を書いてやりたいんだ。でも、読者は欲しいんだ。読み手がないと、なんのために書くんだ。なんなんだ。何を訴えたいんだ。正岡子規が憑依してます。しらないけど。
これもひどい。
まあ、このメールをどこかの掲示板で実名で晒すとかしないでくれるなら、別に、なんだっていい。
ありがとう。トイレ行きたくなったから。
いつだって小説は、生理的限界ゆえに。
三時間くらい、メール書いた。暇なんだなあ。高等遊民。
Yさんとはとても仲良くなれた。
一日五万字〜十万字の手紙をYさんに送っていた。とても喜ばれた。
二、三度決裂しそうになった、でも、仲直りできた。ほとんど毎日二時間くらいラインで話した。話題が尽きなかった。ライン中の俺は、ラッパーのごとく、早口にまあ、上に書かれたような内容を捲し立てるのであった。Yさんは、それをあれこれ聞くのであった。
Yさんとこのような経緯で(怪文書を送りつける→打ち解ける)仲良くなった成功体験を引きずって、他の人々にも怪文書を送りつけた。送りつけたところ、まあ、Yさんのように仲良くなることはなかった。不可思議だなあ、と思った。
怪文書には、心優しい怪文書と、心優しくない怪文書とがある。で、俺は心優しい怪文書ばかりを書き上げて送りつけたのだが、まあ、受け入れられたのはYさんだけだった。
なんだか、なぜだか、気分が沈んでしまった。まあ、すぐに上向くだろう。おもちゃみたいな男だ。ぜんまい巻き巻き。