幸せの妖精(2)
遅くなりました;;
「優ちゃん、遊ぼー」
優希が転校してきて早くも3日がたった。
転校生にも関わらず、優希はその愛らしさとカリスマ性であっという間にクラスの人気者になっていた。
「いいよー」
優希はサッとリュックサックを肩に掛け、自分の名を呼ぶ少女たちの元へ駆けていく。
沢山の友人に囲まれて教室を飛び出していく優希を見送って、柚木は、優希ちゃん最近元気ないなぁ、とぼんやりと思惑にふけっていた。
一週間前はその整った顔全体に笑みを載せて笑っていたのに対し、最近ではどことなく笑みに影が入って、時たま悲しそうに見えることがある。
何かあったかな。
柚木はトントンと日直日誌をまとめ、席を立ち上がった。
朝職員室から日誌を持ってきて、最後に返しに行くのは学級委員長の仕事である。
廊下に出ると、窓から差し込んだ光が、無人の空間を寂しく照らし出していた。
固い廊下の床に上靴のゴムが、僅かに跳ねる。
柚木は足の裏にそれを感じながら、運動場に面した窓を覗き見た。
校舎から勢いよく飛び出していく生徒たち。
それは途中から学外と学内へと二分される。
恐らく優希は学内に残るだろう。
毎日のように放課後をクラスメイトと過ごす優希を思い浮かべ、ついと運動場に目をやると、案の定そこには優希がいた。
両手でボールを抱えている子がいるから、今日はボール遊びらしい。
踵でガリガリと地面に線を引き始めた生徒たちを眺め、柚木はぽてぽてと廊下を歩み始めた。
短い足を精一杯伸ばして階段を一段飛ばしで上る。
低学年の教室は、三階ある校舎のうち、一階部分を占めている。
職員室は二階の西側部分にあるため、柚木の教室からは一番離れた場所にあった。
「ふぅ」
上がった息を一気に吐き出して、柚木は小さな足音を二階廊下に響かせた。
突き当たりの角を曲がれば職員室だ。
柚木は足早に廊下を突き進み、勢いよく角を曲がった。
職員室の扉が開いている。
「―転校生の優希ちゃん、上手く馴染んでるみたいですね」
柚木はふいに聞こえてきた声に、ピタリと足を止めた。
なんだ…?
盗み聞きはいけないと分かっていても、やはり気になる。
柚木はそっと足を忍ばせて、職員室の中を覗き込んだ。
沢山の先生がいる中、自分の担任と、その担任と向かい合う男の姿が見えた。
隣のクラスの先生だ。
「えぇ、とても人気があるみたいです」
少し白髪が混じってきた髪を耳にひっかけ、担任の教師が笑う。
すると男は、そうだろうなぁ、と呟いて、窓の外へと視線をやった。
しかし視線は外に向けたまま、手では書類をまとめている。
次々と片づけられていく書類を見て、
何て器用な男だろう。
そんなことを思いながら、柚木もつられて窓の外へと視線を移し、思わず前へ踏み出してしまった足を、慌てて奥へと引っ込めた。
「特に男の子からは人気が出そうだ」
あはは、と声を上げて笑い出した男に、担任は不思議そうに首をかしげた。
鼻にちょこんと乗った眼鏡がほんの少しずり落ちる。
「何でです?」
ぱらぱらと顔に落ちかかる髪を、また丁寧に耳にひっかけて、担任は不思議そうに男に尋ねた。
すると男はわざとおどけたような顔をして、そりゃあーと担任にくるりと顔を向けた。
「そりゃあ、あれだけの美人さんだったら、男は放っておきませんよ。」
大きくなった時が楽しみだなぁ。
と、最後にニマリと下卑た笑いを残して呟く男に、柚木はぶるっと体を震わせる。
優希ちゃんは、お前のものじゃないぞ!
ぎゅっと拳を握り締めて、柚木は男をイーッと威嚇した。
優希がそんな対象として見られていると考えるだけで、虫酸が走る。
ムラムラと胸に湧きおこる怒りを押しとどめながら、柚木は物陰から男の様子を伺った。
小学校教員は概して、おじさん、おばさん世代が多かったりするものなのだが、この男はまだ若い。
柚木の見立てによると、まだ三十歳もいっていないのではないだろうか。
優希ちゃんが危ない!
柚木はギチギチと奥歯を噛み締めて、あぁ僕がもっと大きかったらよかったのに、と嘆いた。
すると、そんな柚木の気持ちを知ってか知らずか、中から少し遅れて、担任の小さな笑い声が聞こえてきた。
「何言ってるんですか、先生。」
くすくすと笑い続ける担任に、男は眉根を寄せる。
どうして笑われているのか分からない、といった顔だ。
担任はそんな男を見て、もう一度小さく笑いを落とすと、
「あの子は男の子ですよ」
ととんでもない爆弾を投下した。
「えぇ!?」
思わず口から飛び出した言葉に驚いて、柚木は慌てて口ふさいだ。
優希ちゃんが男!?
まさか…ね…?
頭の中をぐるぐると優希の姿がめぐる。
いつもショートパンツを履いてきた優希。
短く刈られた髪の毛をした優希。
男物の簡素なリュックサックを背負っていた優希。
思い当たる節はいくらでもあった。
しかし信じがたい、信じたくない。
初恋の相手が男だなんて…!
誰か嘘だと言ってくれ!
そんなすがる様な気持ちを込めてと恐る恐る部屋を覗くと、同様に叫んでいたらしい男が、柚木と同じように口をふさいでいた。
柚木はゆっくりと手を口から放し、呆然と廊下に座り込んだ。
優希が男…どこからどう見ても女の子だったはず…。
しかし今思うとそれも納得いく内容だった。
優希は女の子にしては、どこか簡素で無頓着なところがあった。
それは決して乱暴とかそういうのではなく、自分の容姿に気に止めることもなく、他の女の子と違って、服が汚れたりするのも嫌がったりせず、どこか男っぽいところがあった。
そ…うなんだ…。
先ほどの元気のない優希を思い出す。
今までのクラスメイトの態度からして、まだ優希が男だと知っているのは柚木だけだろう。
ということは、未だ優希はクラスメイトに言うことができないでいるらしい。
教室に来た時点で、優希はクラスメイト全員に女と認知されていた。
どこか別のところからやってきた、綺麗な女の子として―。
…もしかして、それで元気がなかった…?
ぼんやりとそんな考えに辿りついて、柚木はハッと勢いよく顔を上げた。
「あいつ…っ!」
慌てて職員室の中へ飛び込み、窓へと駆け寄る。
担任の声が後ろから聞こえてきたが、柚木は気にも止めずに窓を開け、顔を外へと突き出した。
角度的には見にくいが、運動場に面した窓。
首を出せば辛うじて運動場の様子が見える。
柚木はぐいと首を窓から突き出したまま、運動場に優希の姿を探し始めた。
ブランコ、シーソー、鉄棒、ジャングルジム、うんてい…
あ…
遠くに優希の姿を認め、柚木はじっと目を凝らした。
何だかしゃがみこんでいるようだ。
運動場の端の方に、沢山の生徒に囲まれて、優希はじっとうずくまっている。
柚木には、それが泣いているように見えた。
「優希…っ」
柚木は担任の机に日誌を叩きつけると、男の静止の声も聞かず、勢いよく職員室を飛び出した。