チェリー、16歳 (4)
もともと、付き合ってほしいとそう言ってきたのはあの人のほうからだった。
それは中学3年生の夏ごろ。ちょうど夏休みが始まる前くらいだったかな。6時間目の授業が終わって帰りの用意をしていると、机の横にかけていたサブバッグのポケットに見慣れない小さな封筒が入っているのを見つけた。
封筒の中には丁寧に折り畳まれた便箋が入っていて、「放課後、校舎の裏の桜の木の下まで来てほしい」そういうようなことが簡潔に書かれていた。手紙をくれた人の名前は書いていなかった。
書かれていた通りにその桜の木の下まで私は行った。そのときのドキドキ感は今でも覚えている。
特別気になる人がいたわけじゃあないけれど、やっぱりそういうシチュエーションって所謂「告白」以外考えられなかったから。
私を愛してくれる人が近くにいたんだっていう嬉しさと、本当は違ったらどうしよう、誰かの悪ふざけとかだったらどうしよう、とかのマイナスな気持ちも合わさって、私の胸はずっとドクンドクンと大きく波打っていた。
校舎の裏側にそびえ立つ大きな桜の木の下に、その人の後姿があった。夏だから当然桜の花はとうの昔に散り去っていて、代わりに青々とした葉がたくさん伸びていた。
私の足音に、その人は振り返った。その顔を見て私はちょっとだけ驚いた。その人は、当時同じクラスにいた人だった。でも、そこまで親しくはない。近くにいたら時々しゃべったりしてたかな、そんな程度。
そして私はその桜の木の下で、付き合ってほしいと、そう言われた。
私はちょっとだけ迷った。その人と付き合うか、ごめんなさいと言うか。
その人のことは嫌いじゃなかったけれど特別好きというわけでもなかったから、正直ちょっと私は困っていた。
けれど、「誰かと付き合う」という経験も大事なことかな、と思ったし、それに何より、自分なんかを
愛してくれる人がいてくれたのに断るなんて失礼だし可哀想かも。そう思って、私は少しだけ考え込むようにうつむいていた顔を上げ、笑顔で返事をしたのだ。「喜んで」と。
今から考えたら、好きでもないのに付き合うなんてそれこそ失礼な話だけれど、まだ今よりうんと幼かった中学生時代の私はそういう「偽物の良心」に囚われてしまうところがあって、ついOKをしてしまったのだ。
それに、単純に「恋」というものをしてみたかった。街で出歩いている幸せそうなカップル。そういう人たちにどこか憧れているところもあって、自分もその幸せそうな人たちの一部のように見られたい。そう思っていた。恋をしている自分を夢見ていた。
付き合っていたころは、自分でも「なかなか上手くやってるんじゃないかな」と思うくらいに順調だったのだけれど、別れは突然に訪れた。
私とあの人との関係が「始まった」桜の木の下、私はふたたび呼び出された。今度は手紙じゃなくて、そのまま口頭で。
「別れよう」と切り出したのは彼のほうからだった。
それはまだ桜がつぼんでいた春の始めのころ。中学の卒業式が終わったあとのことだった。
私はそのとき「うん」とだけ言った。悲しいとは思わなかった。涙も出なかった。
ただ、仲の良い友達とたくさん遊んだあと「バイバイ」って手を振られたときと同じような感情しか心には湧かなかった。そっか、それはちょっと残念だね。でも、仕方ないしね。そんな感じ。
そしてまた私は彼のいない一人の生活に戻った。そう、あの人と付き合っていたころが「特別」で、また誰とも付き合いのない生活に「戻った」のだ。
それから月日は過ぎ、私はいま高校生となってここにいる。それまでの日々を私は平穏に過ごしてきたつもりなのに、なぜかときどき思い出すのだ。「そこまで想っているわけじゃない」はずのあの人のことを。