第16夜
――――――ピロリロリン♪
まだ春休みに買ったばかりで真新しい私のケータイがメールの着信を告げた。開いて送り主を見ると、ゆかりちゃんからだった。
『ただいま補習中。早くも泣きそうですww』
そう本文が書いてあって、添付されたファイルを開くと、
「免れてよかったぁ」
教科書を丸めて持っている凜君と遠峰先生の二人に挟まれる陽ちゃんと大ちゃんが写っていた。写真に写る二人は早くも涙目になっていて、見ている分には大変面白かった。
――――――ピロリロリン♪
写真を眺めていると、またメールを着信した。開いてみると、ゆかりちゃんからだった。
『面白いから見に来なよ。あたしんち分かる?』
折角のお誘いだし、今日はこれといってやることもないからいいか。
私はゆかりちゃんに行く、と返信し、いつもお出かけセット一式を詰め込んであるバッグを掴むと、不思議そうな顔をしている母に、行ってきますとだけ伝えて家を飛び出した……ところでふと考える。差し入れでも持っていってあげようかな。
駅へ続く道を歩きながら、お財布の中身と駅近辺のお店に考えを巡らせる。よし、あそこなら私のお財布事情とも兼ね合いがつく。
私は駅の近くにある小さなお菓子屋さんでクッキーの詰め合わせを購入すると、ゆかりちゃん家へと向かうべく、電車に乗り込んだ。
「お邪魔しまーす」
「あ、美月ちゃん! いらっしゃい。遅かったわね」
「ちょっと寄り道してて。あ、そうだ。これ、差し入れ」
「わざわざよかったのに。でもありがと。みんなあたしの部屋にいるから先に上がってて」
ゆかりちゃんはそうとだけ言って、自分はお菓子の袋を持ってキッチンがあるのであろう方向に消えた。私もさっさとゆかりちゃんの部屋に向かった。私もだんだんこの人たちに付き合うの、慣れてきたな。
私が部屋に入ると、真っ先に気づいて声をかけてきたのは大ちゃんだった。
「お! 美月ちゃんだ!! いらっしゃい!」
「大知、お前俺の前で問題から気をそらすとはいい度胸だな。50問追加」
「え、嘘! そりゃないよ大地さん!」
「……さらに30問追加するか?」
「嘘です嘘です。謹んでやらせていただきます」
……噂には聞いていたけど、補習中の遠峰先生って本当に怖いんだね。教科書丸めて持ったままその冷笑は怖すぎます。
何も言わないけど、大ちゃんの隣で凜君に見張られながら問題を解いている陽ちゃんも怯えているのが分かる。
「大ちゃんも馬鹿ね。こうなるって分かってるなら最初からテストちゃんとやればいいのに」
「それで出来れば今ここで勉強してないっつうの!」
「大知……20問追加」
「ごめんなさい!!」
うわー、ホントに鬼だ……。こんなにスパルタな人、今では滅多にいないんじゃないかな。
私が変なところで感心していると、陽ちゃんが後ろにパタリと倒れ込んだ。
「お、終わったぁ……」
「お疲れ、陽平」
どうやら陽ちゃんは終わったらしい。凜君も陽ちゃんの肩を叩きながら労っている。そんな陽ちゃんに大ちゃんがちらりと一瞬羨ましげな目を向ける。
「お疲れ、陽平。でもこれでだいたい間違ったところは分かっただろう」
「はい。自分の苦手なところも分かりました」
遠峰先生が陽ちゃんが書いていたノートを取り上げると、そこに書かれている文字にざっと目を通す。そして満足そうに一つうなずくと、ノートを陽ちゃんに返した。
「俺が気になってたとこもちゃんと直ったみたいだな。陽平のそういう物分かりがいいとこ、俺は好きだぞ。それに比べて大知は……」
遠峰先生は大ちゃんに怒りとも呆れとも諦めともとれる視線を向けると、一つため息をついた。
「漢字こそ違うとはいえ、同じ名前の奴がこのありさまなのは情けない……」
「大地さんは悪くないですよ」
「大兄は悪くない」
「大地先生は悪くないですよ」
「遠峰先生は悪くないと思います」
大ちゃんを除く子供4人の声がハモった。
それを聞いた大ちゃんの顔が驚きからみるみる泣きそうな顔に変わっていく。
「あ、うう、そんな……」
大ちゃんはキャパを超えてしまったらしく、言葉も出ないようだ。
「あ、そうだ。美月ちゃんが差し入れでお菓子持ってきてくれたのよ。ひと段落ついたんなら食べようよ」
「悪いな、如月。あ、大知はちゃんと問題解いてろよ」
「そんなぁ」
「終わらなかったお前が悪い」
半泣きの大ちゃんを遠峰先生はばっさりときって、さっさと背を向ける。
「あ、分かってると思うが、俺が目を離したからといってちゃんと問題解いてなかったら、問題量倍にするからな」
遠峰先生の黒い微笑みと共に発せられた言葉に、大ちゃんはぶんぶんと頭を大きく縦に振って答える。
「じゃ、折角だからいただきましょ。美月ちゃん、ありがとね」
「そんな大したものじゃなくて申し訳ないけど……」
私が持ってきたクッキーはお皿に綺麗に盛られていて、ゆかりちゃんが一緒に持ってきた紅茶からはとてもいい匂いがしていた。センスいいな。
「やっぱりゆかりが淹れてくれる紅茶は最高だな」
紅茶のカップを持った凜君が言った。この人に紅茶とか似合いすぎる。逆に陽ちゃんは猫舌なのかしきりにカップに息を吹き込んでいる様は幼い子供のようで全然似合っていなかった。
私もゆかりちゃんが淹れてくれた紅茶を楽しみながら、クッキーへと手を伸ばす。私たちの間には和やかな空気が流れていた。
「俺の分、残しておいてね……」
「うるさい」
ゆかりちゃんにばっさりときられた大ちゃんはがっくりと肩を落とし、問題に向きなおった。