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AM0:17

作者: ***

 九月二十一日午前零時十七分、私の住居であるワンルームのマンションのすぐ近くにある線路を貨物電車が通過した数秒後。私は手首を切った。


  +


 「手首を切った」と言えばあたかも腕の末端部を切断したかのように聞こえてしまうかも知れない、と言う可能性を考慮して敢えて表現を変えるならば、「リストカットした」と言う台詞が一番適当だろう。大してレベルが変わっていないような気もするが。

 理由は、と問われれば迷わず「持病の中二病が…」と少女マンガに出てくるイケメン男子ばりの爽やかさでもって答えよう。だが今現在、私の心の住処であり且つ身体の住処でもあるワンルームマンション、その名も「ムーンライト月見坂」の四階、その一番奥であるところの四〇五号室に於いて存在している二足歩行が可能で火が使用出来て言語を駆使することの出来る生物は私一人なのである。

 つまり、つまり。誰も理由を問うてはくれないのだ。ああ、一人暮らしの何と寂しきこと。誰か私のこの溢れんばかりの魅力、雌蛾の如く発散されるセクシュアルなフェロモンに気付くのだ、さすれば世界は救われるであろう!

 などと下らない思考に脳細胞を消費している間に、溢れ出た赤い体液がフローリングの床を濡らし始めた。後で綺麗に拭かねばならぬ。面倒だ。頭を抱えようとして、左腕の先の方が血だらけであることに気づいて踏みとどまった。流石に頭部血みどろは余りにもホラーだろう。しかし、この中途半端に持ち上げた私の腕はどうすればいいのだ。

 そこで私は、この真白で美しい手首に約五ミリメートル程の深さ迄カッターナイフを食い込ませるに至った経緯を述べることにした。尚、手首についての描写、真白で美しいという表現には嘘が含まれているので注意して欲しい。何故なら私の手首は既に傷だらけであったからだ。


  +


 九月二十日、間も無く日付も変わろうかと言うような時間帯、私は通っている美術大学のサークルの友人たちと酒を飲み交わしていた。参考までに記しておくが、別に何か嫌なことがあってヤケ酒を飲んだわけではなく、ただいつものノリと勢いでアルコールを摂取していただけである。

 深夜の公園は私たち五人以外には誰もいなくて、時間が止まっているかのように静かだった。電灯の白い光に照らされて、私は石で出来た小さな石碑の様なモノの上に座った。甘酸っぱく淫らな関係を日々構築中のケンジとユウカはベンチに並んで座り、熱く長い接吻を交わしていた。ショウコは私が座っている石碑にもたれ掛かるようにして座っていて、そしてリョウヘイは一人立ったまま照れくさそうに、ケンジとユウカの唇が、舌が、ディープなキッスを交わしている様を観察していた。

「照れるなら見んなよ」

 とショウコが煙草に火を点けながら呟く。リョウヘイはさらに照れて、頬を赤くした。酷く眩しい電灯に照らされた紅潮したリョウヘイの顔は、オブラートに包んで表現するならば、非常に気色が悪かった。

「で、どうなのさ。」

 ショウコがそう問いながら、頭部を後方に傾けて私を見上げた。

「何が?」

 と聞き返してみたものの、何を聞かれているのかは分かっていた。だが女には分かっていてもトボケなければならぬ時がある。申し訳ない、自分でも言っている意味がよく分からなくなってきた。

「課題終わりそう?」

 課題、課題。そうだ、課題である。実はトルコ語でも同じように「カダイ」と発音する奇跡の単語、「課題」だ。と言うのは嘘であるが、その真偽には何の関係もなく、私にはやらねばならぬ課題があった。それは、明日までに「私と街」と言うテーマで油絵を完成させねばならん、と言うほぼ完遂できる可能性がゼロパーセントに近い課題なのであった。近いと言うかもう二割ほどマイナス側に振り切れている気がする。

「と言うことで無理。百パー無理。ショウコやってよ」

「仕方ないなぁ、コーラ五リットル分でやってやる。」

 五リットルと言うことは二リットルのペットボトルを二本と、五百ミリリットルのペットボトルが二本で計算が合う筈。ああ、この出費は一人暮らしの学生には痛い、痛すぎる。けれど背に腹は代えられない。私は腸を引き裂くような思いで「お願い」と言った。

「オッケー。明日買ってきてね。」

 こうして私は大学の単位を一つ手に入れるのであった。コーラ五リットルで手に入るのなら安いものさ。まあ買うわけ無いけど。そんなモノ買うくらいなら本屋で目を瞑って適当に掴んだ本を買った方が数倍マシだっての。


 その後もコンビニで買ってきたアルコール類を浴びるように摂取し、ついでに頭から浴びてびしょびしょになった結果、私たちは酷く酔っ払ってしまった。特にリョウヘイなどは、地面に突っ伏して動けないでいて、非常に鑑賞向けのオブジェクトになっていた。あとサッカーのボールにも適していそう。

 ショウコと二人で漫然とそのオブジェクトを眺めていると、不意に面白くなくなって、私は「そろそろ帰る。」と言った。ベンチに倒れ込んで情事を始めようとしている二人を横目で見ながら家路に着く。公園を出てから、「風邪引くなよ、あと逮捕されんなよ」と注意し忘れていたことに気付いたが、わざわざ戻って、ペッティング等楽しんでいるであろうお二人の邪魔をするほど私は莫迦ではなかった。

 フラフラになりながら、「千鳥足ガールだぜうわははは」と呟きつつ街灯の下の薄暗い道路を歩く。そのうちに口が寂しくなった私は、「ART-SCHOOL」と言うバンドの「sad machine」と言う曲を口ずさむことにした。と言うのは激しく嘘で、私はその大好きな曲を、大声で歌った。さっどましーん、おーさっどましーん。家に着いた。

 鍵を開けて、転がりこむように部屋に飛び込む。そして、いつもの如く机の上に置いてある錠剤を口に含んで、水道水で流し込む。これでマイスリーとビールのチャンポン完成。あと数分もすれば多幸感に包まれて世界がディスコボールに照らされたかのように輝きだすだろう。


 溜め息をかつてない程に深く吐いて壁にもたれ掛かったら、遠くから電車の接近してくる音が響いてきた。目の前の低い机の上には、カッターナイフが見えた。私はカッターナイフを手首にそえた。電車がマンションの前を通過した。私は少しだけ躊躇した。そして切った。


  +


 氾濫を始めた血液は一向に止まる気配が無かったので、ガーゼでぐるぐる巻きにしたその上から包帯でぎゅるんぎゅるん巻きにした。これで完璧である。ちょっと包帯にまで赤い色が染みてきている気もするけれど、気にしてたらロックじゃねえぜ。ああそう言えば元彼はジャズが好きだったんだっけ。あんな知的を鼻に付けたような気持ち悪い似非インテリ野郎、初めから私が巧くやっていけるわけが無かったんだ。夜枷だけは巧くやったけれど。

 アルコールによって幾倍にも増強された睡眠薬の所為で私の脳内は「混沌」と書いて「カオス」と読む! と言った状態になっていた。思考は全く纏まろうととせずぐちゃぐちゃで、立ち上がろうとしてバランスが全く取れずに転んだ。腰を強かに打ちつけたが、今のところ彼氏はいないので腰を痛めたところで不都合はないのであった。くわばらくわばら。そう言えば薬とか酒とか、性器にぶち込んだらすっごい効くって聞いたことがある。今度やってみよう。


 突然突如いきなりはたと急にやぶから棒に唐突に出し抜けにやにわに不意におもむろに突発的に私は外に出たくなった。さてさっきの単語群の中で誤用されているのはどれでしょう。答えはウェブで。

 あ、でも良く考えれば外に出たくなったのは別に唐突でも何でも無い。部屋の中には幻覚によって生成された人間のような者共が跋扈していたし、何となく外の空気が非常に綺麗な気がしたのだ。実際のところこれほど都会に住んでいるのだから外に出たところで空気が綺麗だったりはしないのだけれど。

 扉を開けて部屋の外に出る。エレベータのドアには「故障中」と書かれた紙が貼られていたので、その横の階段を使って降りることにした。そう言えば鍵を閉めていないような気もするけれど、大したものは置いていないから別に取られても構わないさ。大切なものって言ってもタンポンくらいだし。アレが無いと生理の時に大変だから。

 一階に下りてオートロックのドアを開けるや否や、涼しい風が私のスカートをめくるべく夜道を駆けた。だが私のスカートは非常にロングなのであった。

 ふと目線を下げると、道路には卑猥な言葉と猥褻な写真が大きく印刷された、嫌にピンクピンクしたチラシが落ちている。私はそれに手を伸ばした。何故ならそのチラシでにっこり笑っている下着姿の女が余りにも煽情的だったからだ。けれど別に持っていても仕方ないので、数回折って夜空に投げた。私の紙飛行機「コンコルド二号」(今命名した)は、緩やかに空を飛んで行って、電線に引っ掛かって墜落した。まるで人生のようだった。人生とは電線なり。いや間違えた。人生とは紙飛行機なり。何だかかっこいいじゃないか、と私は興奮して鼻息を荒くした。

 紙飛行機、上等じゃないか。


 墜落した紙飛行機は、接触した電線によって黒焦げの無様な姿にされていた。無様だなあ、私みたいだなぁ、と呟いたら、紙飛行機は「君が僕みたいなんだろう」と反論した。だがしかし、それはおかしい話だった。紙飛行機はつい先ほどピンクチラシと言う母によって出産されたばかりの赤ん坊で、それに対する私は二十一歳。だった気がする。とにかく私の方が早くこの世に生を受けたわけで、ならば紙飛行機が私に似たと言う私の主張は絶対的な根拠を持って証明されているのである。と言うかそれ以前に紙飛行機が反論する、というのがおかしいのであった。いや、電線に衝突したところで焼け焦げるのか、と言うところからしてもう何か間違っているな。

 まあ、夜だし。そんなことがあっても良いか。


 私は真黒でひんやりしたアスファルトの上に寝転んだ。視界を縦横斜に区切る電線たち。夜空を痴漢犯のようなコソコソ具合でもって移動していく雲。何故か私の顔に足を乗せて満足そうにしている野良猫。そうだこいつの名前はドラちゃんにしよう。三毛猫だけど。

 夜空には、星が輝いていた。こんな都会では滅多に見ることの出来ない、満天の星空。今私の視神経は全力でその星々の情報を脳に送っているんだろう。そこに思考が至った私は、急に微笑ましい気持ちに包まれた。もう死んでもいいと思った。或いはヤバい死ぬしかないと思った。嘘かも知れない。両方嘘とか、どっちか嘘とか。どうだろう。どうでもいいや。

「世界はかくも素晴らしき!」

 気がつけば思わず叫んでいた。

 ほら、全てはこんなにも幸せに満ちている。全てが私たちのことを見守っていてくれている。例えそれが睡眠薬の副作用によってもたらされた幻覚だったとしても、そんなこと関係ない。

 だって、今こんなにも幸せなんだから。


  +


 私は、心の住処であり且つ身体の住処でもあるワンルームマンション、その名も「ムーンライト月見坂」の四階、その一番奥であるところの四〇五号室、一人きりの部屋に戻ることにした。

 いつまでもアスファルトと触れ合っていてもよかったんだけれど、何となく公然猥褻で捕まりそうな気がして諦めた。どこが猥褻なのかは私にも分からない。存在自体が猥褻とかそんなことは無いと信じたい。

 鍵の掛かっていない扉を開けて部屋の中を覗き込むと、机の上には血のついたカッターナイフが転がっていて、床には血液が水溜りを作っていた。世間一般の人々はきっとそれを血溜りと呼ぶのであった。

 私は溜め息をついて、ティッシュで血を拭った。バイバイ血液くん。君は今からこのティッシュに染み込んだまま焼却場で火にかけられるんだよ。

 血を拭い終えると、置きっぱなしだったカッターをペン立てに突っ込んだ。そしてきっとこのカッターナイフはこれからも活躍し続けるんだろうなぁ、などと未来を予言してみた。それは、本当に素晴らしいことだった。貴重な金属資源の有効活用である。紙を切るだけじゃあ、勿体無いじゃ無いか。

 ゴミ箱の中から血液の染みたティッシュが「早く死んでしまえよ、これ以上生きていてもリストカットとオナニーでティッシュを浪費するだけだろう」と言った。私は嫌だと答えた。

「だって、死んだら生きていられないじゃないか。」

 リストカットするような屑人間でも、この素晴らしい世界で生きていく権利を持っているのだから、生きるか死ぬかなんて私の自由だ。ああ素晴らしい、素晴らしい。日本国憲法の第何条だっけ、忘れたけれどもとにかく生存権とやらに私は深く感謝した。

「グッバイ、夜。」

 そして起きた時にはよろしく、朝。

 私は笑いながら、気絶するかのように眠りに堕ちた。

登録したので挨拶がてらに数ヶ月前書いたものを投稿させていただきます。


某所で先に公開した時に冒頭が少しくどいと言う感想をいただいたのですが、現在の実力では如何ともし難い感じでしたので、そのままの投稿となります。


これからちょいちょい投稿して行こうと思うのでどうぞよろしくお願いいたします。

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