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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

終わり良ければ全て良し

作者: のむヲ
掲載日:2026/03/21

生きる楽しみを見出すことができなかった男の最後の五日間

何も無い人生だった。

楽しいことも悲しいことも、どちらも無い平坦な人生だった。

周囲の人や環境が悪かった訳じゃない。

ひとえに、四十年も生きていて何にも興味を示さなかった私の生き方が悪かったんだろう。

これから先、平均的な寿命まで生きるとしたら、まだ四十年残っている。

生きている理由は一つもないし、こんな私が社会のリソースを食い潰すのも忍びない。

金曜日の夜に人生を終えよう。

月曜日の朝にそう思った。


最期の五日間、これまで興味を持ってこなかったことを色々とやってみることにしよう。

まず最初に、二十年近く勤めあげて、一つも昇進することのなかった会社を無断欠勤してみた。

風景未満の存在感しか無かった私が居ないことに、気づく人はいるのだろうか。

いつぶりに感じたかも分からないドキドキした気持ちを携えて、いつもの出社時間に私服で家を出る。

試しに、朝からやってる居酒屋にでも行ってみよう。


スーツを着た人達が往来するいつもの通りを私服で歩く。

感じたことの無い高揚が自分の中にあるのがわかった。

存在は知っていたが入ったことのない居酒屋で、とりあえずビールを頼んでみる。

店員さんから「お休みですか?」なんて聞かれてしまったので、それとなく肯定して返しておいた。

流石に午前中は暇なのか、余程私が寂しそうに見えたのか、店員さんはいくらか雑談を振ってきてくれた。

他愛のない話を誰かとするのも久しぶりだったので最初は言葉に詰まってしまったが、店員さんの話が上手いからか、気づけばとても楽しく談笑できていた。

程よく酔いが回ったので会計を済ませて店を出る。

大した量を頼んでもないのに数時間居座った私に、店員さんは溢れんばかりの笑顔で挨拶をしてくれた。

店を出たあとはゆっくりと、知らない道を通って帰ってみる。

家の近所のはずなのに見たこともない景色が沢山広がっていて、新鮮でとても楽しい帰り道だった。

まだ時刻は昼過ぎだが、酔いが回ってきて気持ちが良い。

折角だし昼寝でもしてみよう。


気がつけば夜中の一時だった。

癖で携帯の通知を見てみるが、何も来ていない。

どうやら私の不在に気づく人はいなかったようだ。

特に寂しさは感じなかった。

そりゃそうだ、とだけ思った。

我ながら虚しい存在だと思うけれど、それもあと四日しか無いと思えばなんてことは無い。

今迄は用事の無い休みの日にも、無駄に規則正しく生活するようにしていたから、深夜一時に二度寝なんてしたことがなかった。

だけど、未来を考えずに潜る布団の心地良さに囚われて意識を手放してしまった。


火曜の朝、今迄で一番良い目覚めだった。

出社時間をとうに過ぎた時間に目を覚ますのはこんなにも気持ちよかったのか。

携帯の通知には会社からの電話が一件架かってきていた。

折り返してみたら、「今日いらっしゃらないようですが何かありましたか」と心配そうな声で言われた。

昨日も居なかったのだが気づいていない様子だった。

とりあえず適当な理由をでっち上げて、今週いっぱいの臨時有給ということにしてもらった。

呆気なく申請は通り、残り四日の自由を手に入れる。

たった四日間の休みでも、残る人生が後四日ならば一生分の休暇だ。

生涯の自由を手に入れたと思うと、少し心が浮き足立った。


火曜日は一日中映画を観てみることにした。

世間で流行っているもの、流行っていたもの。

どれも見た事はなかったので一通り見てみようと思った。

適当な軽食を用意して、日がな一日ダラダラと映画を見た。

感動系もアクション系もホラー系も、どれもとても面白かった。

こんな面白いものに興味を示していなかったのであれば、そりゃあ面白くもない人生になるはずだと腑に落ちた。

気づけば寝落ちてしまっており、水曜日の朝になっていた。


水曜日には少し遠出をすることにした。

行こうと思えばいつでもいけるが、ついぞ行くことのなかった観光地に足を運ぶ。

平日の昼間だと言うのにそれなりに人が居た。

十中八九観光客だろう。

事前に休みを申請して、予定を立ててここに来ただろう彼らのバイタリティが少し羨ましかった。

観光地の雰囲気を楽しんで、割高な値段の食事処で昼食をとる。

対して味も質も変わらないのに何故高いのか疑問だったが、この人の多さと喧騒からくる従業員の方々のストレスを鑑みれば妥当な金額なんだろう。

膨れたお腹をさすりながら店を出て、観光地特有のお土産屋に入る。

ありきたりなご当地キーホルダーを購入し、カバンに着けて帰路に着く。

斬新さや目新しさを感じるものではなかったけれど、観光地を訪れたという分かり易い思い出のシンボルとしては優秀だと思った。

今まで休みの日は特に外に出ず何もしてこなかったが、こういう過ごし方も悪くない。

来世がもしあるのなら、私はきっと旅行好きに育つだろう。

揺れる電車の中で眠りに落ちて、起きた頃には見慣れた街だった。

移動の疲れからか、帰ったあともまたすんなりと眠りに落ちてしまう。


気持ちよく目覚めた木曜日の朝、無駄に溜まっている貯金だけはあるので、折角なら散財をしてみようと思った。

手始めに高級料亭に行ってみるため、仕事に行く訳でもないが最低限のドレスコードと思いスーツを着込む。

人生で初めて訪れた高級料亭の食事の味はイマイチよく分からなかった。

私の舌が貧相だからだろうか、普通に美味しい程度のもので値段ほどの感動は無い。

だが経験としてはとても良いものだった。

厳かな雰囲気の中、客も従業員も全員が品のある立ち振る舞いをしていた。

きっとこの料亭そのものや、調理技術や、食材達に乗っかっている年月、築き上げたブランド力等をを品性を携えて楽しむのが醍醐味なのだろう。

そう思うと不思議と背筋が伸びていた。

食事を楽しんだあとは、高価な時計を見てみようと思った。

一番高いものを買うほどの貯金は無かったので、所持金ギリギリの値段の物を購入することにした。

何も無い人生だったが、そのおかげかそこそこの額が残っていたのでそれなりにいい物が買えた。

高級時計を買う時も、丁寧でとても品性を感じられる接客を受けられた。

ブランド物を取り扱う人間から感じられる自信と品格は、これまでに見た事が無いものだったのでとても良い刺激になった。

あと一日しか無い人生だが、こんな良い物を身につけて終わるのも悪くない。

有り金のほぼ全てを使い切ってしまったが何の焦燥もなく明るい気持ちで帰路に着く。

腕に巻かれている時計が自分の人生の集大成に思えて心地良い。

来世では目的を持って沢山働いて、これよりも良い時計を買えるように頑張ろうと思えた。


そのままゆっくりと眠って、最期の朝が来た。

もう見ることない朝日をじっくりと堪能して、身支度を整える。

死に場所はもう決めてあるので、そこでゆっくりと最期の日を過ごす事にした。

ありふれた高層ビル、聞くところによると警備が杜撰そのもので容易に屋上へと入れるらしい。

飛び降りは多くの人に迷惑をかけてしまうけれど、残りの人生を生きるために使用されるリソースを考えれば益が勝つだろう。

色々と理屈は考えついたが、最期くらいは空を飛んでみたい、それが本音だった。

午前のうちからビルに入る。

数人の警備の人間がビルの中に居たが、スーツを着てさも当然かのように横を通り抜ければ何を聞かれることもなく屋上までたどり着けた。

噂に違わぬ杜撰さだ。

屋上の隅の辺り、人目につかない場所でじっと景色を眺める。

いい街だった、こんな何も無い私が何不自由なく暮らせて、優しい人も沢山いた。

柄にもなく人生を振り返ってみようなどと思っては見たが、思い出せるのはこの五日間の思い出ばかりだった。

自分の人生とは思えないほどに充実した日々で、人によっては自死を思い留まる程のものだったと感じる。

けれど私は考えを変えられなかった。

まさに決死だったからこそここまで能動的に動くことができたが、残る人生を同じように楽しめるほどの体力と気力はもう残っていない。

それに残りの人生を楽しめたとしても、無為に過ごした四十年を後悔し続けることになる。

若いうちに遊んでおけというのは金言なのだと今際の際に気付かされた。


紛うことなきコンクリートジャングルではあるが、よく見てみれば整然と並び立つ人工的な美しさを感じられる。

最期の景色としては上々どころかこれ以上は無いと思った。

ゆっくりと日が沈んで行き、空が暗くなってきた。

それと同時に周りのビル群に灯っていたライト達が際立ち始めている。

もうそろそろかと立ち上がると同時に、屋上へ出るためのドアが開く。

見つかるとまずいと思い咄嗟に身を隠す。

覗いてみればそこに居たのは、高校生くらいの女の子だった。

私と同じ目的で来たのだろうか。

啜り泣いている彼女を見て見ぬふりをすることがどうしても出来なかった。

このビルの人間のフリをして、慰めながら話を聞く。

最初はとてつもなく警戒されていたが、ポツポツと身の上を話し出したかと思えば、堰を切ったように涙と言葉が溢れだし始めた。

聞けば最愛の人に別れを告げられてしまったらしい。

何とも安直な聞き飽きたような理由だが自分がここに来た理由の方が陳腐な気がして、くだらないことだと言うことは出来なかった。

当たり障りなく宥めていただけだったが思いの丈を人にぶつけられて心が晴れたのか、私にお礼を言って立ち去っていった。

まさか最後の最後で人から感謝されるとは思いもしなかった。

生きることを決めた人間の眩しさを濁らせることがないように、彼女がここからある程度離れた後に死のう。

そのままビル群の夜景を数時間眺め続ける。


気づけば夜も更けており、金曜日が終わろうとしていた。

彼女はもう家に帰っているだろう。

ビル風が吹き付ける屋上の縁に立って、少し深めに息を吸う。

空への飛び込み方がよく分からなかったのでそのまま体を前に投げ出して重力に身を任せる。

風を切りながら加速していく。

地面に向かう身体は加速しているのに、意識だけはスローモーションになっていた。

俗に言う走馬灯だろうか、人生を振り返った時は何も浮かんでこなかったが、死の直前くらいはなにか思い出すものがあるだろうか。

いくつかの記憶と景色が脳裏を駆け巡るが、やはりこの五日間のことだけだった。

やりたいことを好きにやって、人から感謝までされてしまった。

私の空虚な人生においてこの五日間が刺激的で魅力的で、信じられないほどに楽しかったからだろう。


眼前に地面が迫って来て、もうすぐ終わる。

死ぬ気にならなければ楽しむことが出来なかった私の人生は次の瞬間に終わりを迎える。

無価値な生き様も、楽しい思い出だけを抱えて死ねれば間違いでは無かったと少しは肯定できる。

きっと私の死に顔は満面の笑みだ。


終わり良ければ全て良し。


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