54.閉ざされた扉の内側
ディディエはまるで氷のような目をあたしに向けていた。
何かまずいことを口にしたみたいだけど、あたしにはそれが何なのかわからない。
「オレが何故雨宮に話をしたのか理解できないのか? 敢えてお前ではなく、雨宮に」
「ど、どういう意味よ」
「そのままの意味だ」
視線同様冷たい声だった。話もしたくない、というのが伝わってくる。
……単純にあたしが嫌いだから、という理由だけじゃなさそうだけど……他が思いつかない……。
話をしながらゲームで得たディディエの情報を思い出してみても、なかなか思い当たらなかった。
「そういう話をしたくないくらいに嫌ってわけ? あたしが」
「それだけじゃない」
「じゃあ何なのよ……」
ディディエの態度は頑なな上に、彼がこんな態度になる理由がわからなくて困惑した。
静かな廊下に控えめな音量の言い合いが続く。兄弟の部屋がある階だからか、使用人は不必要に近づかないみたいで、他よりも一層静かだった。
ディディエの態度と静けさとが、あたしを追い詰めていくよう。
あたしは諦めたように溜息をついた。
「ちゃんと言ってくれなきゃわからないわ。
大体、兄弟なのにどうしてザインとカミルにそこまで遠慮するのよ。
普段ずっと一緒にて、あんなに仲が良いじゃない。話ができない仲じゃないんだから、思うことがあればちゃんと――」
言いなさいよ、と続けようとしたところで、自分のミスに気付く。
……今、ディディエの地雷を踏んだ。
暖房が行き渡っていて適温のはずの廊下が寒く感じる。
ディディエの冷えた視線が突き刺さる。
「……遠慮? するだろう、普通に考えて。
本当に仲が良いようと思ってるなら、お前は随分とおめでたいな」
吐き捨てるように言うディディエ。
そんなことないと言いたいのだけど、あたしがそう言える根拠はゲームの知識だから言えない。
自分のミスを恨みつつ、黙り込むしかなかった。
「あいつらがオレに構うのはただの同情だ。
ザインもカミルも、下に見れる人間を傍に置いているのは気分がいいだろうな」
「ちょっと! そんな言い方しなくてもいいでしょ?! っていうか、あんたそれ本気で言ってんの?!」
流石に黙っていられなくて思わず食って掛かってしまった。
……こいつ、ずっとあの二人と一緒にいて何でここまでひねくれるの?!
「本気も何も事実だ。――あいつらは”可哀想な兄弟”を見捨てられないだけに過ぎない」
そう言ってディディエは顔を背けてしまった。
自分の言葉に自分でダメージを受けているのがありありと読み取れる表情。
――ゲームの中でも、ヒロインとのやり取りにこんなシーンがあったことを思い出しながらディディエを睨みつける。知らず知らずのうちに拳を力いっぱい握りしめていた。
「なんで……ずっと一緒にいるのに、そんな風にしか考えられないのよ……!」
こんな話をしにきたわけじゃないのにと思いながらも言葉が止まらなかった。
静かな廊下にあたしの声がやけに響く。頭に血が登っているせいで、廊下に他の人の気配が増えたことに全く気付かなかった。
「ずっと一緒にいるからわかる。あいつらはオレのことをずっと”可哀想な人間”を見る目で見ている」
「馬鹿なの!? どう考えてもそうじゃないでしょ?! あの二人はずっとあんたのことを――」
「うるさい! 周りに守られて恵まれた環境にいるお前にわかるわけがない!」
ディディエの言葉がぐわんぐわんと響く。
頭は真っ白になっていた。
あたしが……恵まれてる……?
誰かが駆け寄ってくる。誰かを確認することもできず、ただ立ち尽くした。
「ディディエッ!!」
あたしとディディエの間に割り込んできたのは――コウセイさんだった。
まるであたしを庇うように腕を広げてディディエを睨みつける。怒っているのが背中越しにも伝わってきた。
ディディエはコウセイさんの登場に動揺している。
「……兄さん」
「お前ッ、ロゼリアさんの境遇を知っていてそんなことが言えるのか……!?」
コウセイさんはディディエの胸ぐらを掴み上げ、怒りを抑えながら言う。その言葉にディディエがハッとなった。
――あたしの境遇。
八歳の時、両親と伯父様の奥さんであるエリーゼさんが事故に遭って亡くなった。
表向きは事故ってことになってるけど、……会の関係者であれば、あれが事故じゃないことを知っていても不思議じゃないし、そもそも九龍会に起きた不幸な事故は有名な話だった。怒り狂う伯父様と、ショックを受けて塞ぎ込むあたしも、当時は相当話題だったと聞く。
胸ぐらを掴まれたまま、気まずそうに顔を背けるディディエ。
気が付くと、あたしは俯いて両手を握りしめて震わせていた。
「――悲劇のヒロイン気取りもいい加減にしろ。不幸自慢なんて下らないことをするな」
淡々とした声。けれど、怒っているのがはっきりと伝わってくる。
コウセイさんはぱっと手を離して、あたしを振り返った。
そして、今度はあたしの手を取って踵を返し、ズカズカと大股で歩き出す。
「ちょ、コウセイさん!?」
「行こう。君がディディエに構う必要はない」
引き摺られるように歩きながら肩越しに振り返る。ディディエは俯いていて、何を思っているのかはわからない。
あたしの手を引くコウセイさんの背中を見つめながら、やけに早い鼓動を感じる。
彼の手は熱いくらいで、じんわりと熱が伝わってきた。
……まずい。
まずい、まずい。どうしてこの人が急に現れるの。
どうして、こんな風にあたしの手を引くの――。
ディディエの部屋の前から遠ざかり、コウセイさんに手を引かれるままに向かった先は別の部屋。
コウセイさんが扉を開けて、あたしを振り返る。
「入って」
これまで案内されてきた応接室や客室とは違う。
――多分、コウセイさんの部屋。
開いた扉から見えるのはヴィンテージ調の家具と、落ち着いた雰囲気の壁紙だった。
心理的な抵抗感を感じながら、どうしても拒否できずに誘われるように足を踏み入れてしまった。
パタン、と背後で扉が閉まる。二人きりというのをやけに意識させる音。
不意に、コウセイさんがガバっと頭を下げた。
「ごめん、ロゼリアさん」
「え?」
「ディディエのこと。多分甘やかしすぎた。昔からずっとああなんだ……。
……どうしても俺達とは違うって意識があるみたいで……ザインとカミルはディディエをすごく気にしてるけど、当の本人はひねくれた受け取り方しかできないんだ。
まさか、君に対してあんなことを言うなんて思わなかった。本当に申し訳ない……」
戸惑うあたしをよそに沈鬱な表情を浮かべるコウセイさん。
別にコウセイさんが謝ることじゃない……。あたしはどう答えたらいいかわからずに俯いてしまった。
「……いえ、あの……気にしないで頂戴」
「気にするよ。だって、傷付いただろう?」
「えっ」
思わずコウセイさんを見上げてしまった。
……傷付いている? あたしが?
頬に触れてみても普段と同じ感触があるだけ。泣くのは大嫌いだから、涙なんて零してない、はず。
コウセイさんがゆっくりと手を持ち上げて、あたしの頬に触れようとする。
けれど、指先が触れるか触れないかのところで止まり、そっと降ろされてしまった。
「泣きそうな顔をしていたから」
「……そんな、ことは……」
思いのほか優しい声に揺さぶられる。否定したいのに声が震えて、上手く話せない。
認めたくないという気持ちと動揺が伝わったのか、コウセイさんは視線を伏せてゆるく首を振った。
「――ああ、そうだね。ごめん、俺の気の所為。心配しすぎだったかな?」
そう言ってコウセイさんは笑った。おどけたような口調で。
内心安堵して、ようやくまともに彼の顔を見ることができた。
無理やり口の端を持ち上げて笑うと、コウセイさんも安心したように笑った。
「ええ、そうね。流石に心配し過ぎだわ。
あんなことで一々傷付いたり、ましてや泣いたりしないもの」
「そっか、君は強いんだね」
「……。……でも、ありがとう」
囁くように礼を口にすると、コウセイさんが目を見開き――優しく笑う。
さっきは頭が真っ白になって動けなかった。
だから、コウセイさんが無理やりその場から引き剥がしてくれて助かった。
あのままディディエの前に立っていたら――あたしは無様に泣いていたかも知れないから。
もう一度、ゆっくりとコウセイさんの手が伸びてくる。
指先があたしの髪の毛にそっと触れた。
「……君には、もっと早く出会いたかったな」
「え……?」
「わけがわからないことを言ってごめん」
コウセイさんのセリフは、あたしの頭をもう一度真っ白にしてしまった。
何も考えられず、呆然と――彼の悲しそうな笑みを見つめる。
暗い瞳には微かな後悔が見え隠れしていた。




