35.誰もいないはずの時間に
翌日、午前四時過ぎ。
あたしは眠い目を擦りながらゆっくりと起きる。
目覚ましのアラーム音を最小にしていたから、起きれるかどうか不安だったけど、何とか起きれたわ。ものすごく眠いけどね。
そっとベッドから降りて、カーテンの隙間から外を見る。
うわ、まだ真っ暗じゃない。
「……流石に早すぎたかしら。でももう一回寝たら絶対寝過ごすわね。
よし、準備を済ませてさっさと行くわよ」
自分に言い聞かせる意味も込めて声を出す。
そう、あたしがこんな早朝に起きた理由。
それは、誰もいない間に昨日のギャラリーを見に行くため!
夜動くのは流石に怪しいと思って早朝を選んだ。本気で眠いけどしょうがない。
あたしは着替えと簡単に化粧を済ませる。
服はちょっと迷ったけど、昨日ディディエに借りたスカートとニット、そしてコート。
ふふ、新しい服ってテンション上がるわね。服を着たくて早起きしちゃったとか、散歩がしたくてとか、誰かに見つかった時の言い訳も考えてる。かなり苦しいけど、ゴリ押すわ。
客室の窓側に直接庭に出られる出入り口がある。
あたしはそっと扉を押し開け、外に出た。
「さ、さっむ……!!」
外は驚くほどに寒かった。まだ日が昇ってないせいで薄暗い。
口から出る息は白く、足元を見ると雪が積もっていた。しかもまだ雪が微妙にちらついている。
……これ、もしかしたら今日も帰れないんじゃないの……?
そんな心配をしつつ、足元に注意しながらゆっくりと歩き出した。
さく、さく、さく。
雪の上を慎重に進んでいくうちに、ふと前世のことを思い出してしまった。
――小学校の卒業間際、りょーこと喧嘩した時も雪が降っていた。
理由は全然覚えてない。
けど、これまでにないくらいの大きな喧嘩だった。
仲直りできずに卒業して、気まずくて連絡ができないまま高校に上がり、そこで再会した。
二人揃って驚いて、しばらくギクシャクしてたけど、ゆっぴーとみゆきちのおかげで、改めて仲良くなることができた。それから、四人でよく行動するようになって──……。
そして、『私』は死んだ。
口の中が苦さでいっぱいになる。
だって、あの頃は楽しい思い出しかなかったから。
鼻の奥がツンとしてきて涙が出そうになった。
でも、あたしは泣くのが嫌い。涙を見せるのも嫌い。周りに誰もいなくても。
それに今は前世の感傷に浸ってる場合じゃない。
前世の記憶を振り払い、昨日訪れたギャラリーの傍へと足を踏み入れた。
「……すごい、真っ白だわ」
一面銀世界。
庭から見えるところにあるギャラリーと森の中に隠れるように建てられたギャラリーがあるけど、どこもかしこも真っ白。
カミルが昨日「神聖な雰囲気」って言ってたけど、今の方がずっと神聖な雰囲気があるように見えた。
あたしはコウセイさんに貰った見取り図を広げ、周囲を見回す。
雪のお陰で昨日の景色と今の景色が一致しない……。
困りながらもゆっくりと歩いていくと、昨日カミルが鍵を持ってきてくれたギャラリーの前に出た。
見取り図に視線を落として、場所を確認する。
「この奥にもある……けど、雪のせいで道が全然わからないわ……」
ヴィオレッタが監禁されているとしたら、森の中にあるギャラリーだと思う。出入りも多少誤魔化せるし、声や物音とかもマシだろうし……。
見取り図を折りたたんでポケットにしまう。
道が雪に隠れて危ないけど……虎穴に入らずんば虎子を得ず。行くしかない。何かヒントがあるかもしれない!
意気込んで道っぽく見える場所に立つ。
パキン。
背後で木の枝が折れる音がした。
慌てて振り返るけど、そこには何もいない。
……え。今の音、何……?
ドクン、ドクン。と、心臓が脈打つ。
兄弟のうちの誰かに気付かれて、後をつけられた?
――いえ、仮にそうだとしてもあたしを怪しむ理由はない、はず。それに仮に何か怪しんだとしても『九条ロゼリア』に対して何かしようなんて考えるわけがない。大問題になるもの。
そう、大丈夫。大丈夫よ。
自分にそう言い聞かせ、深呼吸を何度か繰り返す。
気を取り直して一歩進もうとした。
その時。
「何をやっているのかな?」
「きゃあああああああああああああああああっ!?!!!?」
不意にかけられた声に驚いて、あたしは悲鳴を上げていた。
しかも、その拍子に足を滑らせて、その場で思いっきりバランスを崩す。
――転ぶ!
と思った瞬間、誰かによって抱きとめられていた。
その人は抱きとめたあたしを見て、表情に驚きと安堵を滲ませていた。
「……申し訳ない。驚かせてしまったみたいだ……」
――コウセイさんだった。
口にした通り、申し訳なさそうな顔をしてあたしの体を支えている。彼の腕の中にいることに気付き、慌てて離れようとして――また足を滑らせた。
「きゃっ?!」
「おっと! ……俺に捕まったままでいいから、足元気をつけて」
「は、はい、……ご、ごめんなさい」
「いいよ、気にしないで」
コウセイさんが笑う。その顔をまともに見れないまま、足元に注意しながらそっと離れた。
彼はあたしが離れた後も、転ばないように軽く支えてくれている。
ようやく落ち着いたところでコウセイさんが首を傾げる。
「それで……こんなところで何を……?」
「ちょっと散歩を……目が早く覚めちゃって。コウセイさんこそ、何をされていたんですか?」
聞きながら、彼の姿を改めて見る。
ジャージ姿だった。昨日のちゃんとしたスーツ姿とは全く真逆で、これはこれで驚く。
「俺は日課のランニングだよ。……あ、俺、今汗臭いかも……」
言いながら、コウセイさんが少しだけあたしと距離を取った。その様子を見て小さく笑う。
「そんなこと気にしませんよ」
「そう? ディディエから君はかなりそういうことを気にするって聞いてて――……っと、ごめん」
あたしは無言でにこにこ笑っていた、つもりだったけど……どうやらそうは見えなかったらしい。失言だと思ったらしいコウセイさんは自分の口を手で覆う。
ディディエ、絶対あいつ余計なことしか言ってないわ……!
認識を改めさせなきゃ……!
怒りに燃えていると、コウセイさんが不意にぷっと吹き出した。
思わずジロリと視線を向けてしまう。
「何か?」
「いやいや……噂なんて当てにならないと思っただけだよ。
ところで、散歩って言ってたけど……うちの庭に何か興味を引くものがあった?」
ゴホン、と咳払いをして話題を逸らすコウセイさん。いや、話題を戻した?
――当然、ここでコウセイさんに会ったのは想定外の出来事。
彼がここにいるのは黒幕としてヴィオレッタに様子を見に来ていたのか、はたまた本当に日課のランニングなのか。すぐに答えが出るものじゃない。
様々な可能性を考えながら、ゆっくりと口を開く。
「やはりギャラリーですね。中まで見て回れないのが残念です」
「あー、確かにタイミングが悪かった。昨日、ザインが案内したんだっけ?」
「ええ。渋ってましたけど、ちゃんと説明してくれました」
そう言うとコウセイさんは意外そう目を見開いていた。
「……へぇ、ザインが。……あいつ、興味ないって言ってたのに……」
「慣れた様子だったわ、……でしたよ」
あー、しまった。敬語が崩れた。コウセイさんが素っぽい反応するから、つい。
コウセイさんがあたしをじっと見て、それからふっと笑う。
「無理しなくていいのに」
「……い、いえ、そう言われても……」
「気にしないよ、本当に。――まぁ、でもこういうのは強要するものじゃないからな。
そろそろ行こうか」
そう言ってコウセイさんが手を差し出す。
あたしは手とコウセイさんの顔を何度も見比べてしまった。
「向こうのギャラリーを見たいんだろう? 付き合うよ。雪で道も見えないし、足元も危ないから」
彼の視線はあたしが向かおうとした森の中へと向けられている。
てっきり戻るように言われると思ったのに、予想外だわ。
これは――……ラッキーと捉えるべき? それとも、余計な邪魔が入ったと思うべき?
混乱する。
けど、流石に断れる状況ではなく、あたしは彼の手を取るのだった。




