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夜鴉の求愛  作者: 神代きい


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8/11

恋人になろう

 キラがフリューゲル城に来てから約一ヶ月。城での暮らしにもだいぶ慣れて、レンの協力によって少しはそれらしい所作もできるようになってきた。

 それで自分が夜鴉公(よがらすこう)に相応しい相手なのかと訊かれるとまだ自信はない……。そんな風に悩む程度には、キラの心はディーへと大きく傾いていた。 

「ああ、俺のキラ。今の俺はすっごく疲れていて弱っている。頼むから優しく慰めて癒してくれぇ……」

 今夜もキラの部屋を訪れたディーは、入室した流れで雪崩れ込むようにキラに接近すると、そっと左のこめかみに口付けをした。

 キラは趣味であるビーズのアクセサリー作りをしていたのだが、ディーの訪問と同時に作業の手を止めて道具を箱にしまう。一人でできる細かい作業は時間を忘れて没頭できるから、ビーズの刺繍やアクセサリー作りは天界にいた頃から好きなのだ。

「も~っ! 来るなりそれはどうなの?」

 キラの抗議にディーはクスクスと笑って、おかわりの口付けを狙っている。こめかみへの口付けが魔族の求愛行動だとキラにバレて以降、ディーは一度の口付けだけで足りないとばかりに繰り返し何度もしようとしてくる。ディーを好きにさせておくと一度の機会に十回は口付けをしてくる熱烈ぶりだ。

 適当なタイミングでディーの胸を押し止めて拒むと、ディーは無理強いすることなくおとなしくソファに深く腰掛けた。

「こめかみが擦り減っちゃう……」

「お望みならこめかみ以外の場所でもいいぞ? どこがいい?」

「望んでないからどこでもダメっ」

「ああ、お前にそんな風に言われると俺は悲しい……」

「しょんぼりする演技をしてもダメっ!」

「演技じゃないのに……」

 そう言いながらもディーは楽しげだ。キラと過ごす時間のすべてがディーにとって至福の時間なのだろう。

 まったく……。昼間の毅然とした夜鴉公(よがらすこう)モードはどこへ行ったのやら……。

「どっちがディーの素なの? 今みたいな感じと、真面目な夜鴉公(よがらすこう)としての顔」

 キラの問いにディーはとても不思議そうな顔をする。

「両方とも素の俺だ。どちらも無理をしているわけじゃない自然体だからな。……とはいえ、お前には甘えたくなるからなぁ。執務室にお前がいたら常にこの俺になるかもしれないな」

「側近の人達とか色んな人に示しがつかないことになるからやめて」

「他人がどうこう言おうが関係ない。俺は魔界の序列第三位、夜鴉公(よがらすこう)だぞ?」

「……え? 待って。何それ? 序列って何? 初耳なんだけど」

 慌てるキラの言葉にディーはキョトンとして……、そして「あぁそうか」と呟いて自分の中で納得したようだった。

「キラは天界から来たんだから、魔界の地理や情勢なんて知らなくて当然だったな」

「魔界の地理、情勢……?」

「魔界は天界の比にはならないほど広大で、チカラを持つ上位魔族が治めている領域が各地にある。で、上位魔族には序列があるんだ。一番天辺がいわゆる魔王的な魔族で、魔界の原初から存在している愉快犯(バケモノ)だ。その次が神界から魔界へ堕ちた魔神だな。俺はその次に位置する序列第三位だ」

「……」

 自分は今とてつもない話をされていないだろうか? ディーは魔王と魔神の次に位置するほどに強大な存在だって……?

 混乱したキラは半ば思考が硬直しているが、ディーは固まったキラの様子でさえ可愛いと思っているのかふふっと目を細めて笑っている。

「そんな俺が治めているからフリューゲルは魔界で三番目にでかい領域だ。まっ、我ながらフリューゲルは他の領域と比べて平和なもんだ。この俺が治めているんだからな」

 ディーはすかさず宣伝してアピールしてくる。これも一種の求愛なのだろう。

 与えられた情報の処理に頭痛がしてきたキラは軽く頭を押さえる。

「あの、ちょっと……。そんなにすっごい夜鴉公(よがらすこう)が大天使を番にしたくて求愛するって変なんじゃないの? そ、そもそも私は異性と付き合った経験とかないのっ! それがそんなに凄くて偉い夜鴉公(よがらすこう)に求愛されるだなんてっ」

「俺だって恋愛初心者だし童貞だぞ?」

「?! どッ……?!」

 当たり前の情報のようにサクッと言われてしまい、キラは羞恥心やら何やらで大混乱だ。初心(うぶ)な自分には生々しくて刺激が強すぎる。

 顔を真っ赤にしているキラにディーは臆することなく続けた。

「俺は長く生きてきた存在だが、女魔族共にはこれっぽっちも興味が湧かない。たまに俺を目当てに迷惑行為をする女魔族が湧いて騒ぎ立てるが醜悪としか思えない。俺がこんな気持ちになったのはキラ、お前だけだ。お前だからなんだ。キラ、心の底から愛している。お前と番になりたい。お前と一緒に生きたいんだ」

「れっ、恋愛初心者の上位魔族が大天使に真っ向から求愛って、それってどうなの……っ?」

「? 初心者だからこそ正解がわからない。だから俺は俺がしたいようにしているだけだ」

 さも当然といった風に話しているディーを見て……、キラは「あぁ……」と納得した。

 ディーは圧倒的な強者だ。フリューゲルを治める上位魔族の公爵、序列第三位の夜鴉公(よがらすこう)なのだ。道を阻む者がいないからこそストレートに思いを告げて、行動することができるのだろう。

 ……だからといって、自分がその思いと行動を受け止められるか否かは別の話だ。ディーの言葉と行動は強火すぎて、初心(うぶ)な自分にはあまりにも苛烈極まりない。

「ま、魔族にはゼロか番かの二択しかないの? その……恋愛って普通は交際から始まって、お互いのことを知ったり、仲を深めたりするものなんじゃないの?」

 焦りから口走ったキラの言葉が予想外だったのだろうか。ディーはピタリと動きを止め、不思議そうに何度も瞬きを繰り返している。

 そして……。フッと自嘲して、改めてキラと向かい合った。

「キラ、好きだ。俺と付き合って欲しい。俺の彼女になってくれ。恋人になろう。将来的には番になって、この先の人生を一緒に生きたい」

「……」

 真剣な眼差しに、あまりにも直球が過ぎる告白。……なの、だが……。

 初めてディーに求愛をされてから一ヶ月、すでに何度も愛を囁かれて求愛の口付けを毎日されてきたのだ。今さら過ぎるような気さえして、この状況が何だか可笑しくなってきた。

 キラがふふっと笑っていると、ディーはどこか不安そうな目で見つめてきた。その姿はまるでこちらの様子を窺っている雨に濡れた子犬のようだ。

 その姿も可笑しくて……、少し可愛いとさえ思えてしまって、キラはどこか吹っ切れた気分になった。

「……恋人の在り方とか私にはわかんないから、ガツガツ迫ったりしてこないでね?」

「っ! いいのかっ? その言葉は了承と受け取っていいのかッ?!」

 今度は期待に目を輝かせて尻尾を全力でブンブンと振る大型犬のようだ。

 ディーってこんなに可愛かったっけ……? そう思ってしまうくらいにはすでに心を許している自覚はある。

「あくまでも、お付き合いだからね? ガツガツ禁止だからね」

「もちろんだ。キラが嫌がることはしない。もっとたくさん話をして、一緒に時間を過ごして、お互いのことを知ろう。ああっ、キラが俺の恋人だ……!」

「もう……」

 ディーは子供のような浮かれっぷりだ。

 キラはそのはしゃぐ姿につられることなく、むしろ冷静になって苦笑してしまった。

「そんなに喜ぶことなの?」 

「こればっかりは本能だから仕方がない」

「…………本能、かぁ……」

「そうだ、本能だ。我ながら驚いたさ。初めてお前に求愛の口付けをした時も勝手に体が動いたからな」

「……」

 ディーは本能で求愛行動をしてしまう。

 なら、自分は……? 自分の本能はどんな風なのだろう?

「……私は本当に本能で《歌》が歌えるようになるのかな……?」

 ポツリとこぼした呟きは完全に無意識のものだった。

 その不安げな呟きを拾ったディーは、ようやくキラの異変に気付いて冷静さを取り戻したようだ。優しく目を細めてキラを見つめる。

「抗えない衝動と行動だ。未経験の感覚なのだから、わからなくて当然なんだ。だから心配しなくていい。焦らず気長にやろう」

「……」

 まるで《歌》の衝動を知っているかのような言い方だ。

 微妙な心境で俯くキラに、ディーはふぅと大きく息を吐いた。

「よし。キラ、今から俺の部屋に行こう」

「は?」

 確かにこれまではディーがキラの部屋に訪ねてくるばかりで、キラはディーの部屋に行ったことがなかったが……。

 唐突な申し出にポカンとしていると、ディーは悪戯っぽくニヤッと笑った。

「恋人になったんだし、俺はもっとお前に俺を知って欲しい。そのためにはプライベートを晒すべきだと判断した」



 案内されたディーの部屋はキラの部屋と同じ廊下に面していたが、キラの想像を遥かに越える規模だった。一部屋だけでも十分以上に広いというのに、部屋数だけで九部屋もあるのだ。

 控えの間。居室。寝室。浴室。衣装部屋。書斎……。

 残りの三部屋は趣味を楽しむためだけの部屋だ。酒を楽しむための部屋。収集したコレクションを楽しむための部屋。ピアノとヴァイオリンを楽しむための部屋。

「ひぇぇ……」

「俺が俺の(いえ)をどう弄ろうが自由だろう? ああ、俺の部屋にキラがいることが嬉しい。たまらないな」

 あまりの規模に度肝を抜かれていると、ディーが求愛の口付けをしてきた。まったく、油断も隙もあったものではない。

「ちょっとディーさん? お宅の理性くんが迷子になってどこかに行ってない?」

「理性ならここで正常に働いているぞ? そうでなければ今頃はお前を寝室に連れ込んでいるからな」

「怒るよ?」

「だから、理性はフル稼働中だ」

 ディーはクックッと笑いながらキラにソファを勧めた。

 ここは趣味部屋の一つで、エグシスのカフェバーでも取り扱っていた高級酒を初めとした様々な酒のボトルが綺麗に陳列されている。座り心地のいいソファが配置された寛ぎ空間に、小さなバーカウンターのようなスペースまであるのだ。

 そのバーカウンターを背に寄り掛かりながら、ディーはキラに左手を差し伸べた。

「何か飲むか? 安心しろ。泥酔させてベッドに連れ込もうだなんて微塵も考えていない」

「本当に微塵も考えていないなら、そもそもそういうことは言わないんじゃないの?」

「俺の理性が頑張っている」

「もう……」

 少し呆れながら苦笑したキラは、ズラリと並んだ酒のボトルを眺めた。様々な形状のボトルと豊富なラベルは目を楽しませてくれる。

 カフェバーで働いてはいたがキラ自身はほとんど酒を飲まない。酒の良し悪しもよくわからないし、何を頼めばいいのかもわからない。

 少し悩んで……、キラはディーを見上げた。

「私はお酒に弱いし、よくわからない。私が飲めそうなお酒ってある?」

「なら、甘くて飲みやすいカクテルを作ろうか」

「えっ? 作れるの?」

「もちろん」

 驚くキラの前でディーは手早く器用にシェーカーを操ってカクテルを作り上げた。南国の海を思わせる澄んだコバルトブルーのカクテルだ。

「どうぞ。度数も抑えてあるから飲みやすいだろう」

「…………」

「ん? どうした? 俺の姿に見惚れたか?」

「……だから、自分でそういうことを言うのってどうなの……?」

 残念な美人、という奴だ。

 呆れるキラの視線を受けてククッと笑ったディーは、自分用にウイスキーの水割りを作った。ディーの所作は一つひとつが丁寧で洗練されていて、カフェバーの客と店員が完全に反転している。

「乾杯しよう」

 キラの隣に座ったディーはグラスを持ち上げて悪戯っぽく微笑んだ。

 キラはふふっと苦笑して自分のグラスを持ち上げる。

「何に乾杯するの?」

「俺とキラが恋人になった奇跡に」

 そう告げたディーの穏やか目は本当に幸せそうで、キラはつられてふふっと笑った。

「じゃ、乾杯」

 軽くグラスで乾杯をして、そっとカクテルを一口飲む。

 甘ったる過ぎない適度な味わい。ほんのりとフルーティーな感じがして、とても美味しい……。

「ん、美味しい……」

「それは良かった」

 嬉しそうな声音に視線を向けると、ディーは飽きることなくキラを見つめて幸せそうな微笑みを浮かべている。……その眼差しにドキッとしたのはアルコールのせいだろうか?

 キラは自分の気持ちを誤魔化すように慌てて口を開いた。 

「じ、上手だね。いつも作っているの?」

「まぁな、作る作業も楽しいからな。ごく稀にからかい目的で側近共にふるまってやることもあるさ。だがまぁ、基本的には俺一人で静かに楽しんでいる」

「そうなんだ……。それなら私は今、ディーのお楽しみを邪魔してる?」

 ディーは「まさか」と目を大きく見開いた。

「お前なら大歓迎だ。むしろいてくれ。いてください」

 急に飛び出た敬語があまりにも似合わなくて、キラはプッと笑いを吹き出した。

 そんなキラにディーもまた笑って……、次第にその笑いは物憂げなものへと変わっていった。自嘲するように目を伏せ、小さくため息をついている。

「……俺は孤独なもんだ。配下共に囲まれてはいるが、連中にとって俺はあくまでも支配者だからな」

「えっ、そんな寂しいことは言わないでよ。すっごく慕われているのに」

 レンやディーの側近達はもちろんのこと、城内の散策に会う使用人達でさえ誰もがディーのことを敬愛し慕っている。レンの話を聞く限り、フリューゲルに住む民も皆ディーを慕っているのだろう。

 だが、ディーはフッと小さく自嘲した。

「俺みたいな奴はこの魔界で一人しかいないからな、真の意味で理解者なんていない。孤独なもんだ」

「……それって、種族のこと?」

 これまでディーは自分の種族について語っていない。以前に訊いた時もはぐらかされてしまった。

 キラの問いに対し、ディーは悩むように視線を落とした。グラスを揺らして考え込んでいる。

 やがて天井に向けて、はぁ、と大きくため息をついた。

「――……ダメだな……。俺はやっぱり臆病な卑怯者だ。お前に俺のことを知って欲しいのに、お前が俺のことを知ったら嫌悪するんじゃないかと怖れる気持ちの方が大き過ぎる。恋人だ番だとほざきながら、この様だ。情けないな」

 さっきまでの喜びと威勢の良さはどこへ行ったのか、ディーは自分の前髪をぐしゃりと掴んでため息をつきながら力なく俯いてしまった。

 そんなディーの姿に痛ましい気持ちになって、キラは思わず指先でディーの肩にそっと触れる。すると少し体をビクッとさせたディーが、何故かとても驚いたような顔を向けてきた。

 そういえば……、これまでこんな風に自分からディーに触れたことなんてなかったかもしれない。

 ディーはしばらくキラを見つめて……。やがて、うん、と一つ頷いた。

「――――……ああ、そうだな……。それでキラが俺を嫌って拒絶したとしても、受け入れるしかない」

「ディー……?」

 不思議に思ったキラが呼び掛けると――、ディーは小さく息をついて自身の翼をバサリと具現化した。

 どこまでも美しい鴉羽色の羽根。

 キラの翼とは比べ物にならないほどに立派で大きな翼……!

「っ!」

 驚くキラの体をディーは片翼で遠慮がちに包み、また小さく自嘲した。

「俺は他人に翼を見られるのを好まない。魔族からしたら俺は異質な存在だからな、見世物にしかならないだろう」

「えっ……」

 予想外の言葉に絶句する。

 この翼のどこが異質なのだろう……? こんなにも綺麗で立派な翼なのに。

 不思議に思っていると、自分の体を包むディーの翼が微かに震えていることに気付いた。震える翼をそっと触れてみる。

 艶やかな鴉羽色の羽根……。極上の肌触りだ。思わずいつまでも触っていたくなってしまう。

「すっごく綺麗で素敵な翼だよ?」

「お前がそう思うのは、お前だからだ」

 ディーは微かに首を横に振り、口を閉ざした。

 再び訪れた沈黙……。キラはディーの翼を撫でながら考える。

 ……魔族からは異質と思われて、キラからはそうとは思われない……?

 ()()から、は……?

 それってどういう――……。

「――――……え」

 思い浮かんだ答えに、キラは思わず息を飲んだ。

「……ディーは……、大天使、なの……?」

 掠れた問い掛けは半ば確信した声音。

 固唾を飲んで見つめるキラに、ディーは静かに目を閉じた。

「――――ああ、そうだ」

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