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夜鴉の求愛  作者: きい
3/4

フリューゲル城

 ……遠くから心地よい旋律が聞こえた気がして、フワリ、と意識が浮上していく。

 薄目を開けて見えたのは精巧な石造りの天井。優しい日溜まりのような温かさ。優しいそよ風が頬を撫でていく。

 ここはどこだろう……?

「あぁ、起きたな」

 ぼんやりと瞬きをしていると、ベッドの隣から聞き覚えのある声が聞こえた。

 視線をゆっくりと向け、何度か瞬きを繰り返す。

 次第にぼやけていた輪郭がはっきりとして見えてきたのは、心配そうな表情を浮かべた長髪姿の友人の姿。

「ディー……」

 声が掠れている。体が重くて熱くて動かない。

 ディーがそっとキラの額に手を当てた。少し骨張った大きな手が冷たくて気持ちいい。

「まだ熱がある。寝ていろ」

「……?」

「翼の骨折と《転移》の反動だ。お前は一日半眠っていた」

「ふぇ……?」

「なんだその可愛い反応は」

 キラのぽわぽわとした様子にクスッと笑ったディーが、キラの体をそっと抱き起こして水を飲ませる。飲み込みやすい温度の水だ、とても美味しい。

 キラがむせることなく水を飲み込んだことを確認して、ディーは再びキラを優しくベッドに戻した。

「痛みはどうだ?」

 そう問われるまで翼が折れた事実を忘れていた。痛みがまったくなかったのだ。

「何ともない……」

 呟くと、ディーがほっとしたようにため息をついた。

「応急の対処はした。痛みを感じないようにしてあるが、治ったわけじゃないからな。俺が良いと言うまで翼は具現化せずにしまっておけ。いいな?」

「う、うん」

 天使や大天使の翼は常に具現化しているものではない。体力やチカラを温存するために、普段の生活では翼は具現化しない状態が普通だ。

「何はともあれ、熱を下げてからだ。……今はゆっくり休め」

 そう言ってディーは首を傾げて穏やかに微笑んだ。

 エグシスで会ってきたディーとは異なる姿、異なる気配……。それでもあのディーなのだという感覚が不思議とあって、今のディーと接することに違和感がない。

「眠れそうなら眠った方がいい」

「うん……」

 頷くと、ディーはベッドサイドから立ち上がると少し離れた位置にあるソファで左足を組んで座り、本を開いた。眠りの邪魔にならないように気を遣ってくれたらしい。

 キラは布団に体を馴染ませて、目を閉じる。

 とても穏やかな雰囲気だ。快適な温度。心地よいベッド。窓が開けられているのか、時折さわさわという木々のざわめきと心地よいそよ風が入ってくる。

 自然とキラはうとうととしてきて――……。



 次に目を覚ました時には、すっかり夕方になっていた。

 ふわふわと微睡んでいると、パタリと本を閉じる音に衣擦れの音。静かな足音でこちらに近付いてくる気配。

 うっすらと目を開けると、ディーが様子を窺うように控えめに覗き込んでいた。

「悪い、起こしたか?」

「ううん、ちょうど起きた……」

「そうか」

 残る眠気に目を擦っていると、ディーが額に手を当ててくる。

「ああ、だいぶ下がったな。明日には良くなっているだろう。頭痛とかはないか?」

「ん、大丈夫」

 体の重怠さもかなり楽になり、ディーの手伝いなしでも体を起こすことができた。ディーが差し出した水をゆっくりと飲む。

「何か食えそうか?」

 問われ、軽く首を傾げて考える。

「んー……、どうだろ? わかんないや」

「果物ならどうだ?」

「……ん。たぶん、大丈夫」

 そう返事をすると、ディーは安堵したように微笑んで立ち上がった。そして。

「いい子で待っててくれ」

 キラの左のこめかみに優しく軽い口付けをして、退室していった。

「…………えっ? ええぇっ?!」

 な、何という自然な動き……っ!

 ディーが口付けた場所を指先で触れ、思わず赤面してしまう。……そういえば助けられた時にもさりげなく口付けをされたような?

「え、ええと……」

 キラは少し混乱しながら、気絶する前のことを思い返そうと頭をひねる。

 私は絶体絶命の危機に陥っていて、そこにディーが駆けつけて、そして――――……。

『――キラ、俺の番になれ』

『何って、お前に求愛をしている』

『お前は連れて帰る。俺の手元に置く』

『お前のすべてが欲しい』

『何度も体を繋いで、何度もお前に精を注いで、お前を魔族側にしないとな』

「っ! ひぇぇ~……っ!」

 思い出した途端に急激に恥ずかしくなってきて、思わずガバッと両手で顔を隠した。

 か、顔が熱い……っ。熱がぶり返してきたのかもしれない。

「…………。と、とにかくっ!」

 キラは恥ずかしさを誤魔化すように咳払いをして考えを整理した。

 自分は魔族のディーに助けられて、ディーに連れてこられた。つまりここは――……、魔界?!

「……っ」

 キラは慌てて室内を見渡す。

 アンティーク調の上質な家具がある広い部屋だ。華美過ぎず、それでいて品がある。ディーが出ていったドア以外にもう一つドアがあるので別室があるのかもしれない。

 頬を撫でたそよ風に顔を向けるとバルコニーがあった。白いカーテンが風でふんわりと膨らんでいる。聞こえてくるのは小鳥のさえずりと木々のざわめき。……とても平和な雰囲気だ。

 続いて自分の状態を確認する。汚れていた身体は綺麗になっており、白いワンピースのような寝間着を身につけていた。

「……魔界とは?」

 自分が抱いていた魔界のイメージと現状があまりにもかけ離れていてキラは戸惑う。先入観って怖い……。

「ええぇ……?」

 キラが狼狽えていると、ドアが開いてディーが戻ってきた。

「桃を持ってきた」

 ディーはそう言いながら当たり前のようにベッドサイドに腰掛けた。手に持つ白い皿には丁寧に皮を処理され切り分けられた桃が並んでいる。

「ほら、食べな」

「う、うん。いただきます……」

 キラは気を取り直して、差し出された小さなフォークを使って桃を口に運ぶ。柔らかく瑞々しい果肉。……美味しい……。

 食べ進めているキラの様子を、ディーは安心したような表情で優しく見守っていた。

「ここってディーの家?」

 食べ終えた皿とフォークを回収するディーを見ながら問い掛けると、ディーは少し苦笑しながらこちらを見た。

「そう、俺んち。フリューゲル城」

 一瞬ポカンとした……が、そういえばディーは夜鴉公(よがらすこう)だった、と思い出す。

 確かにディーは姿が変わって高貴な雰囲気はあるが、威圧感や恐怖心は特にないし、ディー自身も前と同じ調子で接してくる。いや、むしろ前より優しいような……?

「ここはお前の部屋だ。好きに使っていい」

「えっと……。私がここに住むのは決定事項?」

 戸惑いつつ訊ねると、ディーは軽く眉を潜めた。

「決定事項だ。お前は俺の手元に置くと言っただろう? 離さないからな」

「と、閉じ込めたりはしない?」

 キラの言葉にディーが唖然としている。

「はぁ? お前は俺をなんだと思っているんだ。心外だな」

「……ご、ごめん……」

「まったく……。とにかくここはお前の部屋だ。好きに弄っていいからな。俺なんて自室の壁をぶち抜いて自分好みに改造している」

「…………あの。私、その……、()()、してないよね?」

 キラはディーの様子を窺いながらおそるおそると訊ねた。

 寝込んでいた間の記憶がまったくない。まさか熱に浮かされて誤解を招くようなそれらしい言葉を口走っていたのでは……?

 そんなキラの反応にディーはフフッと笑った。

「ああ、返事は聞いていないなぁ。ま、焦らずそのうちでいいさ。それまで全力で口説かせてもらうがな」

 首を傾げながら「覚悟しろよ?」と怪しく笑みを向けられて、思わず胸がドキッとする。なんという色気……。

 ……いや、騙されるな。あのディーだ。これまで友人として関わってきた男だ。簡単にときめいてどうする。

「俺がお前にすることは全部ただの好意だから気負わなくていい。気楽に過ごしてくれ」

「そんな無茶な」

「何事も鈍感で図太い方が生きやすいぞ? 利用できるものは利用する、貰えるものは貰っておく。楽に生きるコツだ」

「無理だ……」

「これだから大天使は」

 ディーは呆れたように失笑して、キラの頭をくしゃりと撫でた。そして。

「そんなお前も可愛いけれどな」

 キラの耳元で低い声を囁き、再びキラのこめかみに口付けをする。……唇の感触とリップ音が生々しいっ。

「~~っ!」

 恥ずかしさに堪えきれなくなったキラは、勢いよく布団を被って丸まってしまった。

 布団の向こうからディーが「本当に可愛いなぁ」とご機嫌に笑う声がする。

「ほらキラ、出てきてくれ。紹介したい奴がいる」

 そう言われながら布団の上から何度もポンポンと叩かれて催促されてしまい、布団から渋々と顔を出す。

「レン」

 ディーが虚空に声を掛けると――……。数秒置かずに黒い霧が現れ、その中から栗色の髪の小柄な少女が身軽な動きでヒョイと飛び出してきた。

 メイド服を着ており、焦茶色の猫耳としなやかな尻尾が見える。

「お前のメイド兼護衛に付けるレンだ。俺の意に反しない限りはお前の命令を聞く。今みたいに呼べば出てくるから、真夜中だろうが早朝だろうが気にせず呼びつけていい」

「よろしくお願いします、お嬢さまっ!」

 ニコッと人懐っこい笑顔で元気いっぱいに会釈される。

 お、お嬢さま……?

 戸惑いつつディーを見ると「ん?」と不思議そうに首を傾げられた。

「不満か?」

「え? だって、メイドさんって、お嬢さまって、え?」

 使用人を付けられた経験も、かしこまった呼び方をされた経験もない。

 あたふたするキラの様子にディーは楽しそうだ。

「お前は俺の特別だ。不自由な生活はさせない」

「……その生活、庶民には荷が重いんだけど……」

 気にするな、とディーが笑う。

「レンが勝手に動くから、お前は何も気にしなくていい。コイツは仕える相手に変な気遣いをさせるような奴じゃない。なぁ?」

「はいっ、お任せください!」

 レンが笑顔で歯切れよく応えた。

 キラに仕えることが楽しみで仕方がないと言わんばかりの様子だ。ヘーゼル色の瞳がきらきらと輝き、猫耳がピクピクと動き、尻尾がゆらゆらと揺れている。元気いっぱいな子猫という印象だ。

「城の中は適当にうろついて構わないが、レンは必ず連れ歩いてくれ。俺の城でお前を害する馬鹿など俺の配下にはいないが、外部の者も多少出入りしているからな。変なのに絡まれても困るだろう? 虫除けに連れていけ」

「虫除けって」

 その言い方はどうなのだろうか……。

「得意ですっ!」

 それはどういう意味なのだろうか……。

 魔族ジョークについていけずにキラは思わず苦笑する。

 緊張が解けた様子のキラに安心したのか、ディーが「さてと」とベッドサイドから立ち上がった。

「俺は執務に戻る。キラはゆっくりしていてくれ」

 ディーはそう言うと、立ち去り際にまたもや軽くこめかみに口付けした。動きが自然すぎて避けられない。

「ち、ちょっと……っ?!」

 キラが抗議の声をあげると、ディーは朗らかに笑いながらドアから出ていった。

 そんな様子にレンがクスクスと笑っている。キラの視線に気付くと、こちらに体の向きを正した。

「改めまして、お嬢さま付きとなりましたレンですっ。よろしくお願いしますっ!」

 子猫のように元気な挨拶で思わず表情が綻んだ……が、戸惑いは残る。

「あ、えっと、こちらこそよろしくお願いします……?」

「敬語とかいらないのです! お嬢さまが楽なように話してくださいっ」

「えーっと……、うん」

「はいっ!」

 うっすらと豹柄が混じった焦茶色の尻尾が機嫌よくゆらゆらと揺れている。

 エグシスでも獣人のような種族を見掛けたことはあったが、こうして直接関わるのは初めてだ。

「お嬢さま、お加減はいかがですか?」

 レンは問い掛けながら少し冷たくなってきた風に窓を閉めている。

「ん、良くなってきた……のかな? というか、お嬢さま呼びは柄じゃないと言うか……」

 お嬢さまと自分とが結び付かない……。慣れなくてムズムズしていると、レンがクスッと笑った。

「主さまがお嬢さまのお名前呼びを禁止なさっているのです」

 主さま……。大仰な呼び方にキラは少し戸惑う。だが、そうか。ディーは魔界で絶大なチカラを持つ夜鴉公(よがらすこう)なのだから、配下からそう呼ばれるのも自然なのか。

 それにしてもディーがキラの名前を呼ぶことを禁じているとは、一体どういうことなのだろう?

「ええっと、それはどうして?」

「主さまはお嬢さまのお名前を一人占めしたいんですよ、きっと」

 なんじゃそりゃ……。

 破顔するキラにレンは更なる追い討ちをかける。

「他には『番さま』と『奥さま』と『姫さま』が候補に上がりましたが、すべて主さまが却下したのです。『番さまと奥さまは気が早い。姫さまは本人が嫌がりそう』って」

 うん。それはよくやった。

 ……いや、そもそも一体どういった状況で出た話なの? まさか会議でも開いたのか……?

 微妙な表情をするキラの気分を変えようとしたのか、レンはパチリと手を叩いて提案してきた。

「お加減が大丈夫そうでしたら、お風呂に入りますか? お手伝いしますっ」

 そう言われると、寝込んでいた間の汗が少しベタベタして気になるかもしれない。

「でも、別にお手伝いはしなくても……」

「お嬢さまは病み上がりなのですっ。お風呂で倒れたら大変なのです! 必要なところだけ、お手伝いします」

「……う、うん」

 熱心な説得の圧に負けてキラはつい頷いた。

 ベッドから足を下ろして立ち上がってみる。立ちくらみはない。

 挫いていた左足首の腫れと痛みは収まっているが、歩くと少し違和感がある。確かに手を借りた方がいいかもしれない。

「こちらがお風呂になっているのです」

 出入口とは別のドアを開けてレンが振り返る。

 中は洗面台のある脱衣場とゆったりとした浴室があった。三人は余裕で入れる広さの大理石の浴槽にはすでにお湯が張られている。

 レンの手を借りながら服を脱いで、体を洗い、浴槽に浸かる。さすがメイドだ、手付きが慣れていて安定感がある。キラよりも小柄なので年下かと勝手に思っていたが、実年齢と外見年齢は違うのかもしれない。魔族って不思議だ。

 そうしてピカピカになったキラは、優しい肌触りの寝間着に着替えて部屋に戻った。

「お嬢さまの黒髪はお綺麗ですね」

 玄人の手並みで魔術を操って優しく髪を乾燥させたレンが、キラの黒髪をブラシで丁寧に梳かしながら言う。

 ……正直に言うと、キラは自分の黒髪が苦手だった。天界では珍しい髪色だったし、それが灰色の翼とセットで目立ってしまい、嫌な思いをしたこともあった。

「んー……、どうだろう」

 曖昧に応えると、レンは不思議そうに小首を傾げる。

「黒は女性を強くする味方の色なのですよ? それにフリューゲルでは黒髪は憧れの対象なのです」

「そうなの?」

「主さまと同じ色ですから」

 言われて今のディーの姿を思い浮かべる。ディーの髪は黒の中に不思議な光沢を持つ鴉羽色だった。

「ディーは慕われているんだね」

「はいっ! もちろんですっ」

 レンが嬉しそうに頷く。

「主さまがいなければ今のフリューゲルはあり得ません。フリューゲルでなければ生きていけない者はたくさんいるのです。主さまに命を救われた者もたくさんいるのです。フリューゲルの民にとって、主さまは奇跡なのですっ!」

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