「過去を語らない理由」
午前の講義が終わり、僕は昼食の時間を避けて学園裏庭のベンチへと足を運んでいた。表の中庭では貴族の子息たちが華やかな昼食会を開いているが、ああいう場所は僕には似合わない。
静かな場所に腰を下ろし、パンと紅茶だけの簡素な食事を広げる。味に文句はない。食べることに贅沢を求めてはいけない――これは、僕が《影の手》にいた頃から染み付いた習慣だ。
影の世界では、誰が毒を盛るかわからないからな。
「……あんた、本当に貴族の子なの?」
ふいに声をかけられた。振り向けば、そこにいたのはクロエ。だが、今はメイド服ではなく、学生に紛れるための普通の制服姿だった。影の任務では、彼女もさまざまな“顔”を持つ。
「そう思えないなら、僕の演技は成功してるってことだね」
パンをかじりながら軽く返すと、クロエは静かに首を振った。
「違う。“影”の長としてのあなたは、誰よりも冷静で、誰よりも正確。だけど時々、ふと――“壊れた人形みたいな目”をしてる」
その言葉には、何かを見抜こうとする痛みが滲んでいた。
僕はしばらく沈黙した。紅茶の香りが風に乗って流れ、その匂いが、いつかの記憶を揺さぶる。
まだ、貴族の家にいた頃。兄たちに囲まれて、ただ“無価値”と嘲られていたあの頃。
魔力がない――それだけで、存在を否定された。
僕が“ノイシュタット家の三男”である意味なんて、ただの“家系図の隅っこに名前がある”ってだけだった。
誰にも期待されず、誰からも見放されてた。ただ、それだけだ。
「……壊れたってわけじゃないさ。ただ、ああするしかなかった。それが僕の、生き残る方法だったんだ」
クロエはそれ以上、何も言わなかった。ただ静かに、僕の隣に腰を下ろし、一緒にパンをちぎった。
風が、ゆっくりと吹いていた。