「観察と対峙の始まり」
その日の夜、僕は学園寮の自室で、ローズティーの香りに包まれながら机に向かっていた。仄暗い灯りの下、クロエから届いた報告書に目を通す。学園生活という表舞台と、《影の手》という裏舞台。その両方を器用に、時に面倒そうに行き来するのが僕の日常だ。
「……ふむ。彼女は神殿関係者との接触を数回、密室での会話。加えて、貴族議会関係者とも“非公式”に会っている……」
ミレーヌ・グレイス。今日の出会いで、彼女がただの“お飾り”ではないことははっきりした。そして彼女の動きは、単なる令嬢の興味本位では済まされない。
クロエの報告によれば、彼女は神殿の一部改革派と繋がりを持ち、王太子アシュレイにとって“新たな基盤”となるべく動いているらしい。
「自分の立場を使って、王太子の周辺を整理してるのか……いや、それとももっと別の思惑が?」
指先でペンを転がしながら、僕はゆっくりと考える。仮に彼女が“王家そのものを掌握しよう”としているなら、それは極めて危険な思想だ。だが、ただの政略上の行動なら、まだ“警戒の範囲内”に収まる。
問題は――彼女が、今日、なぜ僕に接触してきたかだ。
無能な三男坊としての僕に、わざわざ近づく理由など普通はない。けれど、もし彼女が《影の手》の存在を仄かにでも察知していたとしたら。
「……先手を打ってきた、か」
そうだとすれば、こちらも応じなければならない。表で笑い、裏で刺し合う――それが“貴族の遊戯”というやつだ。
ふと、窓の外に目を向けると、月が高く昇っていた。ミレーヌ・グレイス。その名の裏に隠された本当の目的を知るまで、少しの間、観察を続ける必要がありそうだ。
「さて……彼女が次にどう動くか。少しだけ、楽しませてもらおうか」
紅茶の香りが静かに揺れていた。