ヒヴァラの伯父さんは要人だったの?
「ダウル・ナ・ディルト侯……。マグ・イーレ近衛騎士長ですって??」
アイーズは低くつぶやいた。
問題の箇所を二度見したが、やっぱり間違ってはいない。
『……首邑在住のディルト侯と言うのは、この方だけのようですね。アイーズ嬢』
革手袋をはめた手で、カハズ侯がすぐ下に記載されている人名をなぞった。そう、≪ディルト侯≫は他にも何人かいる。しかしどの人も、地方在住の分団幹部ばかりだった。
「……ヒヴァラの伯父さんは、近衛騎士だったの……?」
アイーズは、お腹のあたりに言いようのない不快感をおぼえた。
イリー諸国において、騎士団編成に一貫性はない。各国そのお国柄に応じて地位役職に重要性をもたせているが、≪近衛騎士≫はどこでも精鋭武官であることがほとんどだ。
宮廷内での政治的発言も強くなる≪騎士団長≫は、文武両道・人徳重視で選出される。対して、文字通り王室を直に護る近衛騎士には、腕っぷしの強さが最も求められた。たいていの場合は、首邑出身のえりぬきで占められる。その筆頭である近衛騎士長は、言うまでもなく重職だった。
――そんなすごい役職の人が、……ヒヴァラの伯父さん??
「ね……アイーズ、かえるさん、ちょっと待って。俺の母さんの実家が、マグ・イーレ市内にあるってことは聞いてたけど。それ、十年以上も前の話なんだよ? ひょっとしたらこの近衛騎士長の人は、そのころは地方にいたのかもしれないし……。別人ってことも、あるよね?」
やや狼狽した様子で言うヒヴァラを見上げて、アイーズはうなづいた。
「それも、ありえない話ではないわよね」
現時点でマグ・イーレ市内在住の≪ディルト侯≫は、この近衛騎士長だけだ。しかし十数年前は、また別のディルト侯が当地にいたのかもしれない。
『……と言う可能性も踏まえて。次はヒヴァラ君がさらわれた頃の騎士名鑑を、見てみましょうか』
最新版の目録を広げたまま脇に置いて、カハズ侯はイリー暦165年版を手に取る。アイーズは166年度版を広げてみた。
……そうして三人とも、押し黙る。
『……変わらずに、ダウル・ナ・ディルト侯は首邑在住で近衛騎士長ですね』
「こっちもよ」
つまり。ヒヴァラの母の実家であるディルト家と言うのは、マグ・イーレ王室の近衛騎士筆頭ダウル・ナ・ディルト侯の家。
ヒヴァラをファダンから連れ出した伯父と言うのも、当時からのマグ・イーレ有力者だった、ということなのか。
三人はその後も、ダウル・ナ・ディルト侯の名を過去の騎士名鑑で追っていった。
カハズ侯が、梯子をふわりとのぼって書棚から布巻き本を取り、さかのぼれるだけの経歴を調べてみる。
「……それまでは中央配属の一般騎士だったのが、158年に近衛になっているわ」
『164年に近衛騎士長に昇格していますね。同時に、163年まで表記されていた父親らしい人の名前が消えて、ダウル・ナ・ディルト若侯だったのが老侯を名乗り始めている……』
「父親が引退して、家督を引き継いだのがその時点と言うことね」
知れば知るほど、むこうに回しているダウル・ナ・ディルト侯、ヒヴァラの伯父が強大な存在に思えてくる。それにしても、ヒヴァラの母の影が見えてこないのはもどかしかった。
「伯父さんのほうに直に接触するのは、いかにも危なさそうだし、そもそも会う機会を作るのが難しそうね。何とかお母さんだけに会えないものかしら? と言うか、今も市内の実家に住んでいるのかしら」
あとはもう、それこそ地元住民にこそこそ聞いて回るしかないのかも、と三人は話し合う。しらみつぶしというやつだわ……そう思って、アイーズが口をすぼめた時だった。
「そろそろ、灯りを入れますねー」
手燭をもって、書店主が入って来た。
静かな本屋、他に誰の耳もない閲覧室。誠実そうな店主、町に一軒だけの書店……。
アイーズはちらりとヒヴァラを、カハズ侯を見た。小さくうなづく二人を見て、アイーズは意を決する。
「あの、ご主人。ちょっとおたずねしても、よろしいでしょうか?」
「ええ、何でしょう? お嬢さん」
三人の座した長机の上、燭台の蜜蝋に火を移し玻璃覆いをかぶせた書店主は、何気なく答えた。
「実はわたし達、ひと探しをしているんです。ディルト様、と言う方をご存じないでしょうか?」
ひゅっっっ!
息をのんで固まってしまった書店主を見て、……やっぱりこれはやばい話なのかしら、とアイーズは直観した。