ダンジョン書店へようこそ!
つるっとゆで卵のようなきれいな頭に柔和な表情をのせ、マグ・イーレの書店主は言った。
「検索もいたしますので、お気兼ねなく言ってくださいね!」
『それでは、うかがいますが……』
すいっと後方から現れ出た影に、アイーズはぎゃふん!? とすんでのところで言いかける。
人間大になったカハズ侯……、つまり怪奇かえる男仕様のカハズ・ナ・ロスカーンが、ぬーんとヒヴァラの横に進み出たのであるッ!
『ご主人、こんな格好でたいへん失礼いたします。歯痛で顔を腫らしてしまいまして……。布を下げないぶしつけを、どうかお許しください』
しかしカハズ侯は年代ものの上質黒外套の頭巾をかぶり、高く上げた苔色の首巻布で口元を覆っていた。そう、ちょうど風邪をひいた人がするように。
「ああ、お気になさらず! いいんですよ。歯痛はつらいですよねぇ」
ひとの好さそうな書店主は、カハズ侯をいたわる表情になった。
『いたみいります。……それで、最新版の≪騎士名鑑≫がありましたら拝見したいのですが。どちらの書架でしょう?』
「ええ、こちらです。奥へどうぞ」
本の壁に挟まれた中を、書店主はひょいひょい進んでゆく。
顔を見せないままのカハズ侯にうなづかれ、アイーズとヒヴァラは一列になってその後ろに続いた。
――カハズ侯ったら、いきなり大きく現れるんだもの……。びっくりしちゃったわ! でも本のことをすらすら言ってくれて、やっぱり頼りになるわね。
かくっ!
書店主が突如右側に折れ、カハズ侯もつられて折れて、あれ? とアイーズは思う。
そこには低い長椅子と、いくつかの子ども用腰掛が散らばって、棚の中には巻き本とぬいぐるみが同居していた。
「……子ども用の本?」
不思議そうにつぶやくヒヴァラの声が、アイーズの後ろから聞こえた。
とっとっと、書店主はそこの一角にある石の中階段をのぼって、壁の中に消えてゆく。穴のようなそこをくぐって、アイーズは驚いた。今度は長細い広間に出たのである。修練校の図書室のように、長い机が四本つないで置かれた空間を、ぐるっと書棚が囲んでいた。ここの書棚も、なんて背が高いのだろう……!
天井には明り取り窓が大きく開いている。長机の上の手燭台に火はなかったけれど、四方から迫って来る蔵書の圧力はよくわかった。目がくらみそうである。
ぽかんとしてしまったアイーズとヒヴァラに気付いて、書店主がふふふと笑う。
「初めて来て下すった方は、皆さん驚かれます。あの狭い間口からは、ちょっと想像できないでしょう?」
壁の一角から梯子を持ってきてのぼり、目当ての書を上の棚から取り出しつつ、書店主は言った。
最初は本当にささやかな店だった。しかし何世代もかけて近接する建物を買い上げ、壁と天井をぶち抜いて大きくしたので、こんな迷宮みたいな本屋になってしまったらしい。この長広間の閲覧室からも、さらに中階段が三か所のびているのをアイーズは見て取った。
――どこへ通じているのかしらね??
「はい、こちらが本年度版のマグ・イーレ騎士名鑑です。他の年度はよろしかったですか?」
極太の巻き本を片腕に抱いてはしごを下りて来た書店主を前に、アイーズとカハズ侯は顔を見合わせる。
『うーむ。……過去のものは、いつまで所蔵していらっしゃるのです?』
「ここの一般閲覧用には、イリー暦125年までそろえています」
書店主は即答した。
『では、165年と166年の分も、あわせて閲覧できますでしょうか』
「はい」
カハズ侯はよどみなく、ヒヴァラのさらわれる直前時期の名鑑を所望する。
『それでは、こちら三点で勉強させていただきます』
「はい、ごゆっくりどうぞ。他にもご要りようがありましたら、お声をかけてくださいね。わかるようでしたら、書棚からご自分で取っていただいてもかまいませんよ」
嬉々とした様子で、書店主は通ってきた中階段の方へと姿を消す。
……と見せかけて、くるりと引き返してきた。
「そうそう、申し上げるのを忘れてました……。ここの室なら、どの書架の本でも閲覧していただいて構わないのですけど。そこの隅にある中階段の奥だけは、関係者以外立ち入り禁止の資材置き場につながっていますので。どうかご注意くださいね」
「はい」
『こころえました』
「はーい」
従順なる返答に書店主はにこりとうなづいて、また店の表側方面へと去っていった。
がらんとした長広間に、三人は残される。
『……ではさっそく、見てみましょう』
カハズ侯が机の前に席を取り、最新の≪マグ・イーレ騎士名鑑≫をひもといた。
幅広の大判筆記布に、つらつらと細かく≪家系の樹≫がえがかれている。マグ・イーレにおける貴族各家の人員が、本家から末家まで記載されていた。
文字順なので、中央在住も地方配属もごっちゃになってしまっている。しかし名前さえわかれば、その老侯あるいは若侯が騎士としてどのような地位役職にあるのかを、大まかに知ることができるのだ。
「デの行……。あ、あったね」
長い巻き布を、革手袋をはめたカハズ侯の手がくるくる回して展開していった。その中に目的の箇所を目ざとく見つけて、ヒヴァラが声をあげる。
ヒヴァラの指がさすところを見つめて、アイーズとカハズ侯は息をのんだ。
「ダウル・ナ・ディルト侯……。マグ・イーレ近衛騎士長??」