あなたは、ティーナ!
ヒヴァラの中のにいる何か。
遠い昔に死んでしまったというティルムン人の理術士(自称)は、ヒヴァラの声をかりて早口でささやき続けた。
「ほんでな? ある日ある時、ある瞬間。その砂の地平の向こうで、≪ぼっきゅーん≫って、でっかい音がいきなり響いたんよ」
彼がそちらへ感覚を向けると、巨大な火柱が立っていた。
「びっくりしたでー。俺が現役の人間やった頃に、ぶちかましてた攻撃理術とそっくり同じなんやもん。何やろう、思うて近寄ってみたら。……人がいっぱい、死んでってなあ?」
水緑帯の中に、家と小屋とがめちゃくちゃに壊され焼かれていくのを見て、彼はさらに驚いたという。と言うのも、彼はだいぶ長い年月の間、その辺りをさまよっていたはずなのに。そこに人間が住んでいたことを、彼はまったく知らずにいたのだ。どうして集落を見逃していたのだか、彼には不思議でならなかった。
「……それにな。俺は生きとった時、人間あいてに戦ったことなんてないねん。せやから理術くらったら、こんな風になってまうのか……って。どぎも抜かれたまんま、廃墟ん中を見て回ってたんや。そしたら一人だけ、生き残ってるやつがおった」
それがヒヴァラだった。
暗く夜の落ちた中、ヒヴァラが瓦礫の下から這いずり出て、折れた足を理術で治すのを彼は見ていた。
やがてヒヴァラは砂の上を歩きだす、……しかし水緑帯を出たところでヒヴァラはあえなく倒れてしまう。
ヒヴァラに彼の姿は見えず、その存在すら感知できないらしかった。だから彼はぐうっと近づいて、凍えかけたヒヴァラのうめき声を聞いた。
「何やこいつ。一応は理術が使えるらしいのに、こないなひょひょろのへぼへぼで、あえなく死にかけしよる……。そのくせ、生にしがみつく気持ちだけはいっぱいや。こらーこのまま行ったら、こいつも俺みたいになってまうのやろうなあ、と思うて」
それで彼は、ヒヴァラの身体に触れてみた。すると難なく、瀕死のヒヴァラの中にはいれてしまったのだ、と言う。
「ほいでどうにか、ヒヴァラは持ちこたえたっちゅう話。俺の力を少々まわして、ヒヴァラを生きながらえさしとる」
早口で語られる話にようやく間があいた時、すかさずアイーズは言った。
「じゃあ、何よ。あなたは、ヒヴァラを助けてくれたってことなの?」
「へっ」
ヒヴァラの身体をかりた彼はわざとらしく、横に視線をずらした。
「もういいかげん長いこと、砂の上でぼーっとひましとったからな。ちっと興味もっただけや。このどーしょもないへたれもやしが、そんだけ執着する理由にな」
「理由なんてどうでもいいわよ。わたしのヒヴァラを助けてくれて、あなたはいい人だったのね? 本当にありがとう」
「やめよし。俺はわるもんや、でもってヒヴァラを呪ってるのは変わらへんよ?」
「え? どうして?」
「あのな、蜂蜜ちゃん。俺がこうして一緒にいてるおかげで、ヒヴァラのやつはぴんぴんしとるけど。瀕死なのは今でも続行中なんよ」
アイーズは困惑した、……日中あれだけ元気に食べて飲んでいるヒヴァラが……瀕死?
「身体のほうとちがう。何ちゅうの、……なかみの方がな、今もよれよれのくたくたやねんか。そないな状態で俺が抜けてみ? やっぱヒヴァラは死んでまうで」
「そんな……」
「俺みたいな悪もんおばけにくっつかれて、離れたら離れたで死んでまう、て。この状態を呪われてる、て言わんと何と呼ぶん? まぁもっとも、言い方あってるんか俺は知らんけど~」
彼の言うことはもっともだ、とアイーズは思う。
けれど何てことだろう、ヒヴァラがこの精霊に生命をつながれ、支えられているだなんて……!
「……プクシュマー郷の近くで、二人の襲撃者を焼き滅ぼしたのも。イヌアシュル湖の水棲馬を倒したのも、あなただったのね?」
「せや。ヒヴァラの身体と声かりて、俺が理術詠唱してん。て言うかな、沙漠こえてイリー入ってから~の山々森々した道でも。狼とかー、わけわからんけもの、ようけ倒したで~? こっちって色々こわいの居るのんな。でっかいふさふさが、二本足立ちでがおーって寄って来た時は、さすがの俺もけっこうびびったわー」
「それ、阿武熊って言うのよ」
「あぶくま」
ほんとうの空の下に闊歩すると言われる、イリー世界最大級の野生獣である。たいへん危険なので、みつけても刺激してはならない。
彼に小さくうなづいたものの、ヒヴァラの呪いの内容を踏み込んで知った今、アイーズは頭を抱えたくなった。しかし事実は事実、向き合わなければいけないことがこれから見えてくるだろう。
「……どうもありがとう、たくさん教えてくれて。ところであなた、名前なんて言うの?」
「人間やった頃のか? 忘れてもうてん。何かな、……嫌やったから努力して忘れた気はすんねんけど。てきとう呼んでくれてええよ、蜂蜜ちゃんならな」
アイーズは微笑する。
自称わるもの、不良ぶっているところがあるけれど、兄ヤンシーに慣れきっているアイーズにはわかってしまった。いいやつなのだ、彼は。
「……炎の術、得意なのよね?」
「まーな」
「それじゃ、正イリー語で名前あげる。ベイルティーナ・マーハ」
ぷっ、彼はヒヴァラの口をすぼめて噴き出した。
「長っ。何や、イリーの言葉で俺はそんな風になるんかい」
「ええ。貴き炎、善きもの。あなたは、ティーナ」
「蜂蜜ちゃんの、好いように言ったらええよ」
まんざらでもない様子、ヒヴァラの顔をくるりとあおむけにして――ティーナは目を閉じる。
「外、明るくなってきたっぽいし。そろそろヒヴァラ起こすで」
「また話してね、ティーナ?」
「くくく。蜂蜜ちゃんと長いこと、まくら語りしたったとわかったら。ヒヴァラのやつ、激おこになるかいなー」
くあっっっ!!
小さな丸い目をいっぱいに見開いて、次の瞬間ヒヴァラがアイーズを見据えていた。
「なんかー! 今いっぱい、話してなかったー!?」
目覚め一発、壮絶なる恐怖に引きつったやぎ顔が、むしろ面白い!
「大丈夫よ、ヒヴァラ」
もそり、と上半身を起こして、アイーズはそんなヒヴァラに笑いかける。
「彼。ティーナは、いい人だったわ」
「誰それぇぇぇぇぇぇ」