目ざめ一発・謎の存在と対峙……よくしゃべるわね?
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どうしてそんな風に、アイーズはひとつ天幕にこだわったのか。
たしかに寒いのが嫌なのは本当だった。けれどヒヴァラの理術草編み天幕は実に暖かいのだし、一人だとしても朝までよく眠れそうである。
未婚女子が、肉親以外の男性と同室なんて言語道断ざます! という貴族令嬢の心得は、初めからどうでもよかった。
ここまで自分を信じて頼り切っているヒヴァラが、いきなり手のひらを返して彼女に男性本能を叩きつけてくるなんてアイーズにはどうにも想像しがたかったし、さっきも自分で言ったけれど二人は≪昔からの仲良し≫、友達なのである。
それよりもっと恐ろしい不安が、アイーズの胸の底にあった。
――ファートリ侯の手中から逃げ出した時、ヒヴァラは一人で行くと言った。あの時みたいに、急に考えを変えて……。一人でどこかへ行かれてしまったら?
そうなったら今度こそ、自分は泣くのだろうなとアイーズは思った。
身体に巻き付けたふくろ外套の中に、首を引っ込める。目を閉じてもぐりこむ暗闇の中、かなしい想像を振り払って、アイーズは眠りに落ちてゆく……。
くるまった外套の向こう、背中がじんわり温かい。ヒヴァラはすぐそこ、近くにいる。
それをはっきり確かめていたいから、アイーズはひとつ天幕がいいのだ。
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鳥の声を聞いた気がして、アイーズは目覚めた。
……いいや、まだちょっと早い気がする。夜は明けていないし、外光をわずかに透かすはずの草編み天幕の壁が暗かった。
くるり、と頭を回して天幕の反対側を見た。
闇の中、あおむけ静かに横たわっているヒヴァラの胸のあたりが、ゆっくり上下している。そのやすらかな横顔を、アイーズはじいっと見ていた。
そのくらい長くかは、わからない……。けれどそのヒヴァラが、おもむろに目を開けた。同時に髪が、ぼんやりと赫く輝きだす。
くる……。
横顔が動いて、アイーズの方を向く。
にっ、と笑ったその笑い方を見て、アイーズの身体に緊張が走った。
――かれだ。
「よう。蜂蜜ちゃん」
「……おはよう」
アイーズは横たわったまま、すぐ脇に置いておいたさくら杖を引き寄せて、両腕に抱く。
「警戒すんなや。ヒヴァラのやつが起きるから、騒がしくはしいひんよ。……寒くて起きたんか?」
おっかない感じはしなかった。
むしろ問いかけの部分に、何気ないやさしさのような響きがあった……。末っ子のアイーズに、兄たちのどれかが時折かけてきた日常の言葉と、同じたぐいのものだ。
ふるふる、アイーズは小さく頭を振る。
「あなた、一体誰なの」
おたがい、草の床に横たわったまま。
ヒヴァラの身体をのっとっている何かが、ヒヴァラの長い腕を伸ばせばつかまってしまう場所に、アイーズはいる。
「どうしてヒヴァラにとりついたんよ?」
かすれた声にティルムン抑揚をのせて、アイーズは言った。
読み書き聞き取りに比べると、ティルムン語を話すのは得意ではない。けれどぎこちないアイーズの問いを聞いたとたん、ヒヴァラ内の何かは目を細めて大きな笑顔になった。
「俺のために、ティルムン語まねしてくれるんか? やっぱし、かわいいやっちゃな! 蜂蜜ちゃんは」
「……あなたは、ティルムンの人だったの?」
「せや。これでもな、めっちゃ優秀な理術士やったんやで。けどなぁ、ずーっと昔に死んでしもうて。な~」
ヒヴァラの中にいる何かは、嬉しそうに話し始めた。相変わらずの早口で、ぼそぼそと低く囁き続ける。
彼はずうっと長いこと、≪白き沙漠≫の砂丘の上をうようよとさまよっていたらしい。どのくらいの年月をそうしていたのかも定かではない。けれど焦げつくような想い一つを抱えたまま、空腹も渇きも感じないままに、砂の地平をくる日もくる日も眺めていた。
――焦げつく思い、って?
アイーズは疑問に思ったが、ヒヴァラの中の何かは早口でささやき続ける。……