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故郷ファダンに、お帰りなさい!

・ ・ ・ ・ ・



「ねえアイーズ。ファダンまでって、遠いの?」



 プクシュマーごうから細い道を進み、ようやく首邑みやこファダンへ通じる≪切り株街道≫……の、そのまた支線に出たあたりでヒヴァラが聞いてきた。


 肩掛けかばんの革帯しめつけも弱まって、馬上に揺られるのに少し慣れてきたらしい。



「きのう、こんな道を通ったっけ?」


「通ったわよ。……憶えてないの?」


「あんまり。さっぱり。ぜんぜん」



 まぁ、あんなよれよれ・・・・じゃね、……とアイーズは思った。



「この先をちょっと行くと、ナナハムの町に出るの。わたしは昨日そこへ行って、帰りに君を拾ったのよ? この辺りじゃなかったかしらね」


「うーん……。木がいっぱいありすぎて、よくわかんない」



 前を見たままのアイーズに表情はわからないが、ヒヴァラはまじめに言っているのかふざけているのか。木がいっぱい、って……。



「そういう君は、逆にメイム方面から来てなかった? ファダン大市を目指していたんでしょうけど、どういう経路で歩いていたの?」


「ん-とね、それもぜんぜんわかんない。も~とにかく、南に向かってって海に出れば何とかなるじゃん、としか思わなかった」



 駅馬の手綱を握って前を向いたまま、アイーズは首をかしげた。



「あのねえ、ヒヴァラ。そもそも君は、船でテルポシエまで帰ってこれたんでしょうが。そこから素直に標識に従って、イリー街道を歩けばまっすぐにファダン大市よ? 何をどうしたら、こんな辺鄙へんぴなところへたどりつけるのよー」


「へんぴて、アイちゃん……。プクシュマー郷は、一応首邑圏だぞい」



 赤犬ルーアに伴われて、隣をかぽかぽ行く鹿毛馬上の父バンダイン老侯が、もしゃっと突っ込んだ。



「えっ? え、でも……。テルポシエなんて行ってないよ、俺」


「……は?」


「ふねで着いたのはね、フィングラスのはじっこにある山なんだ。ばさばさ乾いたとこなんだけど、そこ越えたら一挙に風景が緑色になってって、……寒くなって…… けものが、ようさん…… いてて……」



 のんびりしていたヒヴァラの口調が、どんどん尻つぼみに低く、重くなってゆく。


 アイーズは真横で手綱を取っている父を、ちろっと見た。父もアイーズを見て、もしゃもしゃ軽くうなづいてみせる。



「大丈夫か、ヒヴァラ君? また気分が悪くなったんでないのかい」


「止めよっか? ヒヴァラ」


「だい……じょうぶ」


「深呼吸しよう、ヒヴァラ。わたしのお腹に手を回しても、いいんだからね」



 アイーズがそういうと、震える手が前のほうに回ってきた。アイーズのおへその上あたりで、両手のひらの長い指が、がたがたと組まれる。



「ごめんよ……アイーズ」


「いいのよ、大丈夫よ。大変なこと思い出させちゃって、わたしこそ悪かったわ」


「君は故郷へ帰って来たのんだからね。ヒヴァラ君はファダン騎士団の庇護下にあるんだ、もう心配さすけないんだよ」



 父娘に言われても、その後しばらくヒヴァラはアイーズの後ろで縮こまっていた。かすかな震えが、背中や肩を通して時折アイーズに伝わってくる。


 恐ろしい体験をして、つらい年月を過ごしたのだ。ヒヴァラがわけのわからないことを口走るのも、仕方のないことだろうとアイーズは思う。



――船で山に着く、だなんて……。さすがに常軌を逸しているわね。脱出前後の話には、まだ触れないほうがいいのかもしれない。あ……、そう言えば?



 アイーズはふと思い出した。きのう追手の襲撃をやり過ごした直後、ヒヴァラはやっぱり震えながら口走っていたっけ。



≪呪われちゃってるんだ……俺≫



 首邑みやこうまれの都会育ち、呪い・・だなんてのは田舎の森の闇がつくりだす虚構うつろごとなのだ、とアイーズはとらえている。


 もっとも彼女の訳す物語の中には、その手の摩訶不思議な要素は多いから、子どもだましと馬鹿にすることもなかったが。



――あの・・ヒヴァラが、こんなに苦しむはめになっちゃったこと。それ自体はたしかに、呪いみたいな悲惨な状況だけど……。



 その状況を何とか晴らして、ヒヴァラを解放してあげたい。アイーズは今、ひたすらそう思っている。どうしてそう思うのか、深く考えてはいなかったけれど。



・ ・ ・ ・ ・



 その後も長いこと、ヒヴァラは何もしゃべらなかった。


 まさか寝てしまったのでは、とアイーズは思いもするが、一応かばんの革帯がしっかり握られている。


 大市へと通じるファダンの国内南北主要路、≪切り株街道≫に出た。


 徒歩の人、騎乗の人、驢馬ろばあるいは馬に引かせた荷車を御す人……。道幅が広くなるにつれて、交通量もどんどん多くなる。


 気を緩めるわけではないけれど、アイーズは少しだけほっとした。人目の多いところの方が、危険は少ない。ここまででも父がいるのだから大丈夫、とは思っていた。けれど昨日のようにいきなり道の真ん中で、ぶすりと狙撃なんぞされたらたまらない。



「あっ……!」



 久しぶりにヒヴァラが声をあげる。小さな叫びに、喜びがつまっていた。


 新緑の林と農地の段々の向こうに、灰石づくりの堅牢な市壁が見える。その後ろにファダンの街並み、寄り添う数多あまたの建物がのぞいていた。



「そうよ、わたし達のファダンよ」



 アイーズもささやいた。



「おかえり。ヒヴァラ」



 答えはなくって、ぐすんと盛大な鼻すすりがアイーズのすぐ後ろに聞こえる。




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