怪奇かえる男のカハズ侯はインテリ系ね!
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だいぶ博識らしい紳士なかえる男に、アイーズはヒヴァラのたどってきた数奇な運命について話した。
カハズ・ナ・ロスカーンは、金の瞳をさらにまん丸に見開いて聞いていたが、やがて静かに頭を振る。
『何と言うことでしょう。こんなお話は、今までどこの物語の中にも読んだことがありません。……それでヒヴァラ君、彼はきみに対して何かいじわるなことを言ったり、嫌なことをさせたりはしないのですか?』
「うーん……。よく、わからないんです。何か大変なことになると、俺は頭の中がもやもや真っ白になっちゃうし……。その、わけがわからなくなってる時に、勝手に口と手が動くと言うか。自分の声が遠くに聞こえる感じになるんです」
沙漠の中で目覚めて、燃えるような赫髪になってから、そういう瞬間が何度かあった。
それを他にどう言ったらいいいのかわからないままに、≪呪われている≫とヒヴァラは表現していたのである。
だからあの東部系の少女に、さらに今カハズ・ナ・ロスカーンに面と向かって呪われているとはっきり言われ、深く衝撃を受けているらしかった。声が沈んでいる。
「ね、ヒヴァラ……。そのひと今この瞬間も、君の中にいる感じなの?」
「今はしないね。黙っているだけなのか、それとも眠っているのか。……どうとも感じないよ」
アイーズとヒヴァラの正面で、怪奇かえる男は上品に両腕を組み、首をかしげている。
『けれどヒヴァラ君の、そのお髪。そんな風に輝いているのだから、やはり彼はそこにいて、しっかり我々の会話を聞いているのだと思いますよ』
アイーズの豊かな胸の底が、ぞくりとした。
ヒヴァラと一緒にいるのは楽しいし、心地よい。けれどこれまで、そんな第三者がずうっと自分たちと一緒にいただなんて……!
『わたくしは精霊としてもまだまだ初心者でございますし、生きていた頃からして元々がもやしです。他人さまの中にとりつくだなんて大それた真似はできませんし、したいとも思いませんから、詳しいことはわからないのですが……』
かえる男は深く息をついた。
『ただひとつ、わかりますのは……。ヒヴァラ君の中にいる御仁は、とんでもなく強大な精霊である、ということです。今さっきも炎を出したりして、わたくしとは格が違うと思いました。生きているうち……精霊になる前から、同様にものすごい力を持っていたようにも感じますね』
アイーズは唇を噛んだ。
呪われている、あまり気に留めてこなかったその呪いという言葉に、今ようやく重さを感じ始めたのである。物語の中ではない、ほんものの呪い……。
「カハズ侯。そういう≪呪い≫を解くために……。わたしとヒヴァラは、何をどうしたらよいのでしょう?」
手を伸ばして、ヒヴァラの腕にそっと触れながらアイーズは言った。
「ヒヴァラはティルムンの沙漠でつらい経験をして、必死の思いでふるさとに逃げてきました。ヒヴァラがこれからファダン市民として平和な生活を送るのを、わたしは応援したいんです」
『わかりますよ。アイーズ嬢』
カハズ・ナ・ロスカーンはうなづく。人間の顔とはだいぶつくりの異なる表情ながら、かえる男は色々なことを考え考え、ためらっているようにも見えた。
『わたくしの読み漁った大量の物語の中では、≪呪い≫というものに定型はなかったように思われます。だから何をどうすればよいのか……とは、一概には言えません。しかし』
怪奇かえる男は、ひと呼吸おいた。
『……しかし、すべての呪いには≪きっかけ≫が存在します。精霊はやみくもに人を呪うわけではなく、呪いにいたるまでの背景いきさつの中に、何らかの条件や特徴があったりする。そう言った≪呪われたきっかけ≫に立ち戻って考えることで、自らを精霊の呪縛から解放した人々の話がいくつかありました。ですからヒヴァラ君も、なぜあの御仁に取りつかれることになったのか……。その時の状況を、じっくり思い出してみてはどうでしょう?』
穏やかに説明するかえる男の大きな眼に、ヒヴァラはじっと見入っている。
「あの、でもかえるさん。俺……ほんとにその前後、おぼえてなくって」
『時間をかけていいんですよ、ヒヴァラ君。わたくしも精霊になったと気づくまでに長くかかりましたし。おそらく呪われた時の状況と言うのは、きみの心身にとって非常な衝撃だったのでしょう。むりに思い出そうとすれば、体調を悪くしてしまうかもしれない。ゆっくり、ちょっとずつ考えていきましょう……ね?』
怪奇かえる男は優しく言い、そしてアイーズの方を見た。
『そしてヒヴァラ君には、頼もしいアイーズ嬢がついていてくれるのです。きっといつか思い出して、それを呪いの解除につなげられるはずですよ』
「はい」
素直にうなづいているヒヴァラの横。アイーズはカハズ侯のことを、なんて良いひとなんだろうと思って感心していた。
見かけはものすごいけれど、態度も口調も紳士だし、優しくて教養に満ちみちている。こういう人が一緒にいて話相手になっていれば、ヒヴァラもごく自然に過去を思い出せるのではないか、とも思えた。
「重大なことをていねいに教えてくださって……本当にありがとう、カハズ侯。お礼にあげられるものがなくて、残念だわ」
アイーズの口をついて出た本音に、怪奇かえる男はぱちぱちっとまばたきをした。
『……じつはお二人に、ひとつだけお願いしたいことがあるんです』
「えっ」
「なんですか? かえるさん」
とたん、カハズ・ナ・ロスカーンは下を向いて、革手袋の両手をもじもじ揉み始めた。
『えーと、ええと。ほんとに言ってみるだけです、断ってくださって全然ぜんぜん構わないのです』
「いやだわ~、遠慮しないで言ってみて? カハズ侯」
「言って言って、かえるさん」
カハズ侯の頬っぺたみどり色が濃くなっているが、これはかえる男なりの照れなのであろうか。
『わたくしを、……そのう。連れていっていただけませんか。ご一緒に』
消え入りそうな声で、恥ずかしそうに怪奇かえる男は言った。
『わたくしは、ここの湖しか知りません。そとの世界を見たいのです……。アイーズ嬢の話していた≪五つ沼≫と言うのも、ぜひこの目で見てみとうございます』