怪奇かえる男をおやつに招待したわ!
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古城の上階、室部分。
天幕の脇、湖にむけて開いた窓際にヒヴァラがこしらえた草編み腰掛に座って、怪奇かえる男は実に心地よさそうにくつろいでいた。
優美とすら言える手つきで草編み湯のみを持ち上げ、大きな口の先っちょで白湯をすすっている。
『温かいものなんて、生きていた時以来です……。ああ、おいしい』
外套の頭巾を後ろにさげて、今は頭ぜんたいがすっかり見えるが……かえる、である。
古めかしいゆったりとした麻衣に、繊細な編み文様の浮く毛織ものを着ているところは人間でしかない。しかし、やわらかそうな首巻布からのぞく喉のあたりから口までは白。毛のない後頭部にかけては、くすんだ緑色だ。
「……かえるさん。今もばっちり、生きてるように見えるんですけど……?」
おだやかに輝くヒヴァラの髪の灯りに照らされて、怪奇かえる男は金色のまるい眼球をきょろッとさせた。
『ええ……? ああ、さようですね。人間として生きている時、と言うつもりだったのです』
干しりんごと貯蔵りんごを少しずつ食べ、白湯をすすった怪奇かえる男は、穏やかな調子でアイーズとヒヴァラに話している。
その話し方がやたら丁寧なものだから、アイーズもついお嬢様作法で接していた。
「前は人間でいらしたの?」
『ええ。ときにアイーズ嬢、いまはイリー暦の何年なのでしょう?』
アイーズが答えると、怪奇かえる男は宙に視線をさまよわせ、頭の中で計算をしているようだった。
『そうですか……。では今から、二十年ほども前のことになりますね。わたくし、そのころカハズ・ナ・ロスカーンという名だったのですけれども。病気でいのちを落としてしまいまして』
ガーティンロー市内の貴族出自だったが、幼少時に大きな病を越え、以来生涯を通して病弱であったという。
都会の喧騒を避け、静養のために両親の買い求めたこの塔の古城で使用人とひっそり暮らしていたが、さいごは天涯孤独になってしまった。享年四十歳くらいだったらしい。
「まあ、まだまだお若かったのに」
『ええ。最後は風邪をこじらせたのですが、本当に悔しくってたまりませんでした……。見たいものや行きたい場所が、わたくしにはたくさんあったのです』
両親が存命だった頃は、大量の書物をたずさえて会いに来てくれていた。
生きていれば必ず元気になれる日が来る、身体をじょうぶにする薬や治療法が発明されるだろう。だからその時に備えてたくさん勉強しておきなさい、やがて広がる世界を楽しむために!
『わたくしは両親の励ましを信じて、ほんとに楽しみに勉強してまいりました。それなのに、せっかく書物から得てたくわえた知識を、ほんものと照らし合わせる機会のとうとう来ないままに人生を終えるのだとさとって……。とてつもない悲しさ、悔しさにおそわれたのです』
病床のカハズ・ナ・ロスカーン侯はなげき苦しみ、やるせなさにむせび泣いた(彼は正式に騎士だったわけではない。しかし他にきょうだいがいなかったため、ロスカーン家の末裔として、父親の死後に形式的な侯の称号を得ていたのである)。
泣いて泣いて、なみだの中に意識が溶けて薄れていった。
……そしてふと気づくと、たった一人で湖のふちに立っていたのだと言う。
若いころから杖にすがり、後年は人に支えてもらわねば立つこと歩くこともままならなかったカハズ・ナ・ロスカーンだったのに。
その彼が、何にもたよらずに一人、たたずんでいた――。