ハネムーンを装うのよ!
ぱん屋のお婆さんの話と、ヒヴァラの地図の記憶をたよりに、細い田舎道を進んでいく。
人通りはまばらで、ごくたまに農耕馬や驢馬に荷車を引かせる人たちと行きあうだけ。
あやしい雰囲気の人や、縹色外套を着た巡回騎士とすれ違いそうになったら、ヒヴァラが≪かくれみの≫の術をかけることになっていた。
けれどその理術を使う機会は全くなくて、とうとうべこ馬は山間を抜ける裏の街道、≪ブロール街道≫へと踏み入る。
道の両脇を挟んでいる左右の樹々が、みっしり厚くなったようにアイーズは感じた。ファダン大市から高地へ通じる≪切り株街道≫と同じだわ、と思う。
「今までは、放牧用の農地もずいぶんあったけど。ここから北の森は、もう本当に入っていけない深い森ね」
「なんか、おっかないなあ……」
ここよりずっと深いフィングラスの森林を越えてきたはずなのに、ヒヴァラは自分の怖気づきに正直だった。
「アイーズ、この道を通ったことあるの?」
「いいえ、初めてよ。家族と一緒にマグ・イーレやデリアドまで旅行をしたことはあるんだけど、その時は南海沿いのイリー街道を使ったから」
しかし山間ブロール街道は、予想に反してけっこう良い道だった。
幅が広くしっかり道筋がついていて、これまでの草まじりの田舎道とはっきり異なる街道なのだ。
そしてここでは、地元農家らしき荷馬車とずいぶんすれ違った。案外、交通量は多いらしい。
「ブロール街道上に、宿場町はないはずだけど……」
ぱん屋で見た、おぼろげな地図の記憶をたぐりながらアイーズは言った。
「うん。でもこの街道に通じてる支線ぞいには、小さな村がけっこうあるんだ。だから細道を左へ曲がれば、ひとの住んでるところへ行けると思うよ」
アイーズは常足にて、べこ馬を歩かせ続けた。
今日じゅう、日の暮れる頃までにファダン領を越えてガーティンローに入りたい、とアイーズは思う。山あいのきつい道はなかなかはかどらないだろう、としていた予想は裏切られた。午後半ばにして、二人は国境を越える。
街道上には検問所があった。木材を使った藁ぶき掘っ立て小屋だが、そこには誰もいなくて、≪ファダン領≫と壁に塗り書きされているだけである。アイーズは拍子抜けした。
そこを過ぎると、数十歩ほど行った先に別の検問所があった。
こちらは石組み壁のだいぶ大きな小屋で、大きく開いた窓から内側が見える。
ぎらっ、と輝くど派手な臙脂色の外套を着た中年騎士が二人、窓際の卓子で市松将棋に興じていた。
「福ある日をー」
不審に思われないよう、アイーズは明るく挨拶をしながら通り過ぎる。
中年ガーティンロー騎士は二人同時に市松盤から顔を上げて、笑いかけてきた。
「福ある日を。蜜月旅行ですか、よろしいですねぇ」
「道中、気を付けてね!」
「そうなんですのー、ほほほー」
ガーティンロー騎士にあいきょうを振りまきつつ、アイーズはべこ馬を通過させる。
ぱん屋のお婆さんに蜜月旅行かと言われた時は、うっかりどぎまぎしてしまった。しかしよく考えればそう装っておいた方が、誰でものどかに見過ごしてくれそうではないか。演技派(?)アイーズとしては、利用しない手はない。
「なんちゃって、ね! そういうことだから、気にしないでするする流すのよ? ヒヴァラ」
はな声でおどけ気味に説明して、アイーズがふっと背後を振り返ると、ヒヴァラは何だか悲しげな顔つきである。
「どうしたのよ?」
「うん……あのさ、だんなさんになるはずだった、あの人のこと。アイーズはあの人が、好かったんだろ?」
ぎくり。
アイーズの豊かな胸、その奥底が疼いた。