だから、≪呪われちゃってる≫の?
「それでどうなったの、ヒヴァラ……? 森もり山やま、ものすんごいフィングラス山中を君は歩いて抜けてきたのね……その後は??」
その後ヒヴァラは、ひたすら歩いた。
ひもじさに悩まされたが、疲れはあまり感じない。さらにこれまで使っていた数々の理術が、やたら冴えるように発動できる。
「おかしいんだ。本当なら、≪聖樹の杖≫を持ってないと、術を使えないはずなのに」
アイーズの手を握ったまま、ヒヴァラはふるふると頭を振る。かがやく赫髪が、炉の炎のように揺らめいた。
「砂舟の船頭役のところで、さっきも言ってたわね? 理術士って、みんなそれを持っているの?」
「うん、そう……先っぽがこぶこぶ団子になってる杖なんだけど。それを持たないと、ほんとの力の半分も出せない感じなんだ。なのに沙漠で倒れて起きてからは、杖の代わりに髪が光って、それでがんがん理術が使える」
自分にいったい何が起こったのか、ヒヴァラにはわからなかった。
わからないままにその力にすがり、理術を行使して、歩きに歩きつづけたのである。
南へ、東へ。時おり見かける標識の中に、なつかしいイリー地名をみつけ出しながら。
フィングラスからマグ・イーレの辺境に入り、地図上の線としてうっすらおぼえている≪山間ブロール街道≫を通らないかと思いつつも、実際には支線ばかりをたどった。
人びとの姿を遠目に見ても、近づかず速足で通り過ぎた。ヒヴァラはおよそ全てのものごとにおびえていたから、ただの通行人と目を合わせることもできなかったのだ。
何となく後ろに感じる、追手の剣呑な気配も恐ろしかったから、≪かくれみの≫を多用した。
そうしてガーティンローのいなか林道を過ぎ、いつのまにかファダン領に入っていた時……。倒れそうなよれよれの身体を、ファダン大市に帰りたいと言うその気持ちだけが前に進めさせていたのである。
歩いている最中にも、意識がふっと途切れることはしょっちゅうあった。
何かおそろしいものが目の前に迫った時に、頭の中がまっさら真っ白になってしまうのである。
かたんと力が脱けて、眠りに入るような感覚でもあった。そういう時、唇が勝手に動いてどうも理術を詠唱しているような気がするのだが、全てがぼんやりとしてしまってわけがわからない。
≪沙漠の家≫を脱出して以来、何度も何度も……何十回となく、そんな感覚をヒヴァラは体験していた。
そして経験の結末はいつも同じだ。
はっと我に返ると、何ごともなかったのように自分は歩き続けているのである。
奇妙だ、気持ちがわるいと思いつつも、ヒヴァラにはやはり説明なんてつけられない。
これは一体、何なのか。
少し温かくなってきたヒヴァラの手のひらを軽く握ったまま、アイーズは聞いてみる。
「だから、呪われちゃってるって思ったの?」
「うん……」
ヒヴァラは、やぎ顔をうつむけるようにしてうなづく。
「それに時々、頭ん中で変な声がするんだ。俺じゃない誰かが、俺の中にもう一人いるみたいに。≪かくれみの≫だとか、理術を使ってるのはたしかに俺なんだけど、そいつが力を出しているから威力がぐいぐい上がってる、って言うか。さっきのおっかない水棲馬のときみたく、ぼんやりしちゃってるのに身体と口がかってに動くときもあるし」
アイーズはうなづいた。
最凶精霊と対峙したヒヴァラは、なんだか別人みたいだったが……一応自覚はあったらしい。
――でも変ね。身体と口が、勝手に動くって……??
くっ……。アイーズの手を、ヒヴァラが握りしめる。
「アイーズ、見たろ。プクシュマー郷の近くで会った時……俺。追っかけてきたやつらを」
アイーズはうなづいた。やはりあれは、見間違いではなかったのだ。
「あの人たちは、君に矢を射かけてきた。ヒヴァラが理術を使わなければ、命を奪われていたかもしれない。わたし、それだけは絶対に嫌よ」
「でも。俺、ひとを消すだなんて……。殺すなんて、できるはずがなかったのに。さっきは水棲馬も……」
語尾が震え出す。アイーズはどう声をかけていいのか、ためらい迷う。
「ね、ヒヴァラ」
「……」
「君が生きて、帰ってきてくれて。わたしは嬉しいの、ほんとに」
「……」
「だからありがとう、ヒヴァラ。それに、さっき水棲馬をやっつけたのは、わたしを助けるためにしてくれたんじゃないの」
「うん……」
「たくさん話してくれて、本当にありがとう。これからどうするかとかの色々は、また明日一緒に考えよう。今日はね、大冒険いっぱいでかなり疲れたし……。そろそろ休もうか」
「うん」
「最後にちょっとだけ、お白湯つくってくれる? それ飲んだら、わたし外へお手洗行くから」
震えて冷たくなりかけていた手が、また少し温かくなってヒヴァラは微笑する。
さみしさと悲しさをたたえて、それでもアイーズを見てヒヴァラは笑っていた。