おそろしい災禍だわ!?
それは≪沙漠の家≫から見える西の砂丘のむこう側に、陽が沈んだ頃だったという。
空はまだ明るかったが、夜にむかって気温がどんどん落ちてゆく夕方である。だだ広い納屋の中で、ヒヴァラはひとり洗濯物の後始末をしていた。教師役のと同じく、さらわれた者たちの衣類いっさいをきれいにして、たたんでいたところだった。
「ごめんヒヴァラ、口挟んでいい? その教師たち、自分で術を使ってきれいにしなかったの?」
「しなかったね。教えるのに集中するから、そういうこまかい仕事はぜんぶ俺がしてた」
「……そう。話を続けて」
母屋の方で、何やら騒がしい声が上がった。誰かが戦略理術の実技でもしているのかと思ってヒヴァラは耳をすましたが、そうではないらしい。
声を荒げているのは教師たちだ。知らない声と、語気強く言い合っている。
毎日の詠唱で鍛えられていた分、ヒヴァラは他人の声にも敏感になっていた。全く知らない男性の声が教師たちと激しく争っているなんて、これまでに全くなかったことなのだ。
ヒヴァラは納屋を出て、その陰から母屋の方を見た。すると日干し煉瓦を積んだ平屋建ての母屋が、ぎしり! と妙な音をたてて軋む。
ど・ばああああーん!
一瞬の間をおいて、母屋の日干し煉瓦が内側からはじける。角型にかためられていた砂が粉々にくだけて、吹き散ってゆく。
慌てて顔の前にかざした両腕の間からヒヴァラに見えたのは、そそり立ってゆく巨大な霜柱だった。
その氷の樹々のあいま合間に、淡く輝く光の泡が引っかかっている。
「こ、氷の柱ですって!?」
あぐらをかいたヒヴァラは、意識的にゆっくり息を吸って吐いている……。
握りしめたアイーズの右手にすがりつくようにして、平静を保っているようだ。おそろしい過去の体験をなんとか平らかに述しようと努力しているが、アイーズの目にヒヴァラはやはり痛ましく映る。
「うん、そういう攻撃の理術があるんだ。≪氷凍≫って言って、ものすごい低温でなんでもかんでも凍らしちゃう。その間に引っかかっていたのは、≪防御壁≫を作って中に入っていた大人たちと、他の子たちだったんだけど……」
ヒヴァラはすばやく、光の泡の個数をかぞえた。けれど三つほど足りない。足りない数は、やられてしまった数……。防御の泡壁を作るのが間に合わず、凍み殺されてしまった人数だ!
瞬時にそう察して、ヒヴァラはへなへなと納屋の壁によりかかり、くずおれる。
≪――集い来たりて――≫
知らない男の声は続いていた。その出どころをヒヴァラがたどると、粉みじんになってしまった元母屋の残骸、真ん中あたりに立っている男性の姿が目に入る。
理術士の杖を手にしたその男は、身の周りいっぱいに白い光の粒を漂わせて詠唱していた。
ヒヴァラのいるところから、男の顔までは見えなかった。しかし男の着ている赤褐色の外套の長いすそが、巻き上がる理術発動の威力にふわりとはためくのがわかる。
≪――下れ、火柱≫
その瞬間、うねる炎の奔流が男の足もとから湧き上がり、氷の柱ごと≪防御壁≫とその中の人間たちを飲み込んでいった。
≪ああ、ああ、ああああっ……≫
ヒヴァラはただ、悲鳴を上げるしかできなかった。
その巨大な炎の濁流は宙たかく突きのぼり、ぐるりとうねり、そして――ヒヴァラの隠れていた納屋の真上に、大音響をたてて落ちる。
ず・どーん!!
全身に張り飛ばされたような強烈な衝撃と激痛を感じて、ヒヴァラは意識を失ったのである。
「……」
ぽそぽそと語られるヒヴァラの話を、アイーズは無言でじっと聞いていた。
けれど今、ヒヴァラは口をつぐんでいる……。沈黙に突かれるようにして、アイーズは問う。
「誰だったのかしら……その襲撃者は? 理術を使うからには、やっぱり理術士だったのでしょうけど」
「うん。俺にもそれしか、わからない。俺の全然知らない人……。知らない、若い人の声だった」
ため息をついて、ヒヴァラは続ける。
炎の暴流につぶされ、薙ぎ払われた納屋の壁の横で、ヒヴァラは倒れていたらしい。もうろうとする意識の中で、再び声を聞いた。
≪こいつはー……。あ、もう死んでんのな。ほんじゃ全滅、完了ぉっと……。あっは! ちょろー≫
さっきまで詠唱をしていた、あの知らない声だ。聞いたこともない嘲笑、さげすみがその声に混じっていた。
ざ、ざ、ざ、ざ……。
砂を踏みしだく音が遠ざかってゆき、やがてヒヴァラの聴力範囲内から消える。
それから一体、どれだけの時間が経ったのか。
凍てつくような夜空の下で、ヒヴァラは覚醒した。
……