ぎゃふん! 婚約破棄されちゃったわ
「お父さん……ノルディーンさんも。お早ようございます」
内心ぎゃっふーんとうめきつつ、アイーズは平静を装ってあいさつをした。
「今日もゆたかに、お美しいですね! アイーズさん」
もしゃもしゃひげだらけ、いかつい父の隣でつるつるした顔の青年は言う。
「お父さまに、狩りにお誘いいただきまして!」
「そ、そうですか」
実は仕事明けなもので、家じゅう取り散らかっておりますの、……言いつくろおうとしてアイーズはやめた。
騎士は(なるべく)嘘をついてはならないし、それにそもそもが後ろめたいことなんて何もないのだ。
「……実は、深刻な状況に遭っているところなんです。お父さん、ノルディーンさん、わたし達に力を貸してください」
アイーズのこわばった表情を見て、玄関口の二人は首をかしげた。
「昨日、わたしの旧友に再会したんです。路上で暴漢に襲われ、ひどい怪我をしていたのを助けました。何らかの事件に巻き込まれているのかもしれないので、どうか保護してあげて下さい」
誠意を込めて、アイーズは真実をそのまま言った。ファダンの正規騎士たる二人に、それが伝わると信じてまじめ一直線に。
「っってー、アイーズぅぅ! 俺は、俺のことはいいんだようッ。他のひとには、言わないでっ……て……」
がくっと脱力したくなる、なさけない声がせまい廊下に響く。
ふあん、と髪を揺らしてアイーズが振り向けば、見た目からしてもやはり脱力したくなるひょろひょろヒヴァラが、惨めな表情で立っていた。足もとにふさふさ寄り添うルーアすら、ヒヴァラに心配そうな視線を向けている……。
もしゃもしゃいかつい父の隣、つるりと美しい青年の顔が、びきーっっと凍りついた。
「アイーズさん……。お友達と言うのは、そちらの男性??」
「そうなんですぅぅぅ」
ノルディーンの低ーい問いに、アイーズも低ーく答えた。お腹に力をこめる、……誠心誠意、ほんとのことを言っても伝わらない場合がある。
「見たところ……どこにもお怪我は見当たりませんが」
「あ、俺、傷の治りが早いんです」
ノルディーンの問いに、ばか正直に答えるヒヴァラを見つつ、アイーズは内心で突っ込んだ。
――足を引きずるくらいの演技は、しなさいよーッッ!!
「その話し方に髪……。あなた、イリーの人間じゃありませんね。東部系の流民が、こんなところで何をしているんだッ」
ノルディーンの口調が一挙にとがって、攻撃性を帯びた。
上から決めつける厳しい言い方には、明らかな侮蔑も混じっている。それでつい、アイーズはかッとしてしまった。
「彼は、ヒヴァラは、わたしの友人です。ファダンの修練校で同級だったんですから!」
「ご冗談でしょう、アイーズさん? 私だってあなたと同時期に修練校にいたんだ。そんな目立つ頭をした男がいたら、憶えていないわけがない」
いまやノルディーンの侮蔑は、アイーズにも向けられていた。
ちろッと見下ろしてくる青年の双眸が、うつくしくも冷たく光る。
「嘘をつくなら、まともな嘘をおつきなさい。それともあなたの精いっぱいの嘘は、この程度でしたか」
「わたしは嘘なんてついていません。彼は、……」
狭い廊下、アイーズはさっと動いてヒヴァラを背中にかばった。
「彼はわたしの、大切な旧友! ヒヴァラ・ナ・ディルト君ですッ」
力を込めて見上げたアイーズのまなざしと、ノルディーンの冷ややかな視線とが交差した。
一瞬のちにノルディーンは目をつむり、ふいと身体を横に向ける。
「そこまで言い張るのなら、お友達をより大事にされるのがよろしいでしょう。軽薄な行動をされる娘さんだったとは、つゆとも知りませんでした……。残念でなりません。バンダイン老侯」
朝露にきらめく初夏のばらつぼみとも言うべき美しき青年は、アイーズの父にさっと目礼をすると踵を返した。
「あー、ちょっと~。ノルディーンくーん……」
父が呼び止めかけるが、家の外ではすでに蹄音が響いていた。
かっかっかっかっか……。馬の速足が行ってしまう。
いかつい肩をすくめ、アイーズの父は再び玄関から廊下に顔を向ける。父はちょっと驚いて、ぶっとい眉毛をひょいっと上げた。
「大丈夫なのよ、ヒヴァラ。ね、心配いらないの」
小さくともかさばる娘が屈みこんで、ひょろひょろした若い男の肩を抱いている。
若者は目に見えて恐慌していた……。床にへたりこんで、力なく赤犬の首元とアイーズの手とに両手をあずけ、うつむけた虚ろな顔を震わせている。
「お父さんは、アイちゃんの言うことを信じるぞ」
中年騎士は踏み込んでいって、がしッとかたい肩で若者を支え起こした。
「お父さん」
「ちゅうか、どう見たってやばい状況にいるんでないのか、この子は? きみね、……落ち着いて。そいでおじさんに、詳しく話してごらん」
ひょいひょい。ほとんどヒヴァラを持ち上げるようにして、バンダイン老侯は居間へ入っていった。
「今日の狩りはおあずけだのー、ルーアや。アイちゃん、何かお湯おくれ~」
地をはいずるような父のひどいだみ声が、アイーズにはとんでもなく心強かった。