アイちゃぁぁぁん!(父・涙)
・ ・ ・ ・ ・
突如、闇にまぎれる煙のように姿を消してしまったヒヴァラとアイーズ。
二人を探すべく、バンダイン老侯とヤンシーは周辺を見まわした。
「アイーズぅぅぅ。おい、冗談よな!? ヒヴァラぁぁ! どこだぁ、二人ともぉぉぉッ」
「アイちゃぁ――――ん!!!」
ざっ! ヤンシーはここ一番の眼光をぎらつかせて、砂利浜に立ち尽くしたままのファートリ侯たちをにらむ。
ヒヴァラの兄とその配下四人の背後では、水棲馬を飲み込んだ炎が最後のひとさかりを経て、こちらも細く煙のように立ち消えたところだった。
赫い火はいまやどこにも見当たらない。星のにぶい明るさに照らされたグシキ・ナ・ファートリは、影のようだった。
「――ファートリ侯。あんたはヒヴァラのことを、どこまで知っていたんだ? ぁあ?」
「父親に聞いた話の分だけですよ。……ヒヴァラはマグ・イーレではなく、ティルムンへ連れて行かれた。そこでかの国の兵たる、≪理術士≫になることを強いられている、と」
しゃがれるような声で、ファートリ侯はヤンシーに答えた。
「そうなる前に、父は弟を何とか取り戻そうとしたのです。けれど結局、父もヒヴァラも帰ってこなかった……。父はヒヴァラが理術士になることを、阻止できなかった」
ヤンシーの脇へ、おもむろにバンダイン老侯が歩み寄る。
「先ほどの、あの炎。あれはヒヴァラ君が……?」
「ええ、バンダイン老侯。……間違いないでしょう。私はティルムンのことも、理術のことも詳しくは知りません。しかし父によれば、理術士は言葉を使うことで摩訶不思議を自在に操れるのだそうです。矢を弾いたのも火を出したのも、ヒヴァラの力によるものです」
力なく中弓を背にひっかけ、ファートリ侯はため息をついた。
「両侯もご覧になったでしょう、あの威力を。あんなものを野放しにしてはならない……。ファダンの、いやイリーにとっての脅威になる。まさに父の危惧した通りになってしまった……」
ヤンシーは不良的に唇をゆがめ、眉をひそめた。
ファートリ侯は実の弟を猛獣みたいに言うが、状況を考えればヒヴァラは自分と、自分を救いにきたアイーズの身を守るために水棲馬にあらがっただけだ。
――何をどう見ても、正当防衛だろ~~?? ついでに、今こっから消えたのは、自分を殺そうとした兄貴から逃げたってぇだけじゃねぇのかよ。ごるぁ?
ここまで一緒に過ごしてきたヤンシーに、ヒヴァラを脅威とみなすことは出来なかった。あんなにひょろひょろのへなへなで、情けないような子どもっぽいやつだが、なんせ妹の友達である。……まあ食べる量だけは驚異だ、しかし脅威ではない。
「バンダイン両侯。こうなったらもう、お二方にもご協力いただかねばなりません……。どうにかして秘密裏に、ヒヴァラを見つけて滅さなければ……!」
悲愴な面持ちで言いかけるファートリ侯の言葉を、バンダイン親子はもはや聞いていなかった。
「ヤンシー。わし年とって、ついに耳がおかしくなったんかの」
老侯がもしゃもしゃと息子に問うた。
「あぁぁー?」
「湖にとび込んだ時に、アイちゃん叫んどったか? 【わたしのヒヴァラ】って……。お父さんの空耳よな?」
「いや、俺も聞いたぞ」
「……何ちゅうこっちゃ。ほんじゃアイちゃんは、ヒヴァラ君が好いんかの」
「いや~、父ちゃん。ありゃあ好いたほれたじゃねぇ。アイーズはヒヴァラを舎弟としてかわいがってる、っつうだけよ。自分を頼って来た子分だからこそ、守るために精霊とがちのたいまん張ったんだろぉ。見上げたやつだ、さすが俺の妹だ」
「そらお前の感覚でないの。確かにヒヴァラ君は、これまでひょろひょろ頼りなげのもやしだったけんど、アイちゃんは女の子でお嬢さまじゃろがい。女の子が男の子守って、でっかい怪物にがち勝負って、そんな話はどこの物語でも聞いたことないぞい」
「だーかーらー、それをアイーズが始めんじゃねぇか」
「あのう……ご両侯。私の話、聞いてます? これ、国家の一大事になりうる状況なのですけど……」
ファートリ侯のあわれっぽい声が、湖上から吹く風にまぎれた。