ヒヴァラの豹変で大逆転って!?
「――いざ来たれ 群れなし天駆ける光の粒よ、高みより高みよりいざ集え――」
青い馬の水かき付きひづめが頭上にせまった瞬間、アイーズの周りがふうっと明るくなった。
「集い来たりて 悪しき物の怪のわざより 我らを隔てる壁となれ」
アイーズはぎょっとして、両腕の中に抱きしめているヒヴァラの顔を見る。
短い髪が、炎のようにあかく輝いていた。
怪物をにらみつけるヒヴァラの眼差し、何ごとかをものすごい早口で言い立てるその唇の動きも、はっきりアイーズに見える。
ばちんッッ!!
ヒヴァラとアイーズ、二人の頭上に振り下ろされたはずの水棲馬の巨大なひづめは、見えない何かにぶつかったような音をたててはね返された。
「えっ……」
アイーズは目を見張る。自分たちの前には何もない、怪物がひとりでにふんぞり返って後ろに退いたように見えたのだ。
いいや、違う!
自分たちの周りには何かがある。ぼんやり金色に光る、大きな大きな泡のようなものが、壁となって水棲馬の一撃をしのいだのだ!
ばしゃばしゃと派手な水しぶきを上げて、青白く光る水棲馬は後ろへさがった。
けれどさらに怒り狂った化け物は、たてがみをふり立て再度アイーズたちにおどりかかって来る。
ざっ。
すばやくヒヴァラが立ち上がった。
両手をするりと交差させて、かたく巻かれていた拘束の縄紐をきちり、とねじ切る。
「ヒヴァラ、」
叫んだ声ごと、ヒヴァラの長い腕がアイーズをひょろんと抱きしめた。
ふっ……二人の周りの金色の壁が消える。
「いざ来たれ 群れなし天駆ける光の粒よ、高みより高みよりいざ集え 集い来たりて 我が敵を、薄闇の眷族を撃て」
ずぶ濡れのヒヴァラにぴたりと抱え込まれたまま、アイーズは大きく目を開けて、あかく輝くヒヴァラがティルムン語を唱えるのを聞いた。
「下れ、火柱!!!」
その瞬間、二人の周りに無数の火の玉が浮く。それが一斉に、さーッッと水棲馬の頭上に向かっていった……。
どおおおおおおおおん!!!
アイーズは思わず、ヒヴァラの胸に強く顔を押し当てた。巨大な水棲馬を、さらに巨大な火の柱が包み込み、のみこむ。
その内側で焼かれ悶えながらちりぢりとした影になっていく怪物の姿が、あまりにもおぞましかったのである。
ぎ・やあああああ!
いまや怪物は断末魔をあげていた。はじめ聞いたいななき声と違って、それはなぜだか人間の悲鳴に近く聞こえる。
ふわり、とした感触にアイーズは気づく。いつの間にかヒヴァラはアイーズを抱き上げて、浜の方へと歩きだしていた。
水際には、グシキ・ナ・ファートリとその配下四名。砂利浜の少し離れたところに、ヤンシーとバンダイン老侯とが立ち尽くしている。
アイーズの目には、ヒヴァラの兄のこわばった顔が見えた。恐怖と驚愕に支配されて――おびえた男。
「撃てぇぇぇッ」
びっ、びっ、びびッ!
ファートリ侯の掛け声とともに、配下四人が中弓を射かけてくる。
ぱき、ぱき、きいいいん!
ヒヴァラの周囲には再び、淡く輝く大きな泡が浮いていた。その金色の壁にはじかれ、五本の矢は暗い湖面に力なく落ちてゆく。
「お前は……、ヒヴァラなのか……!」
自身も矢を放っていた、ファートリ侯は歯ぎしりをするような音をたてた。
おそらく、全身ふるえ出しそうなのを必死にこらえている。
ヒヴァラとアイーズの背後の湖面では、水棲馬を飲み込んだ炎がいまだ柱のように燃えさかっていた。火を背にして、ヒヴァラの顔がファートリ侯には見えていないのだろうか、とアイーズは瞬時思う。
ヒヴァラはアイーズを両腕に抱いて、ずかずかと浜へ上がっていった。対してファートリ侯とその配下たちは、じりじりと後じさりをする。
「おいごるぁ、ヒヴァラぁぁっ」
ヤンシーの怒声がとんだ。あかく輝く頭を回して、ヒヴァラはアイーズの兄に目を向ける。
「何なんだそれは。お前ぇがやったのか、あの炎ぼうぼうはッ!?」
糾弾の口調に、ヒヴァラはうつむいた。
「……バンダイン若侯、そういうことなのです。……弟は、理術士になってしまったのですよ!!」
悲鳴のような、ファートリ侯の声があがる。