ヒヴァラを救う! 最凶精霊とがち勝負よ
アイレー大陸の南海沿岸部、寄り添うようにかたまったイリー都市国家群。
このせまい地域内で諸国は独自の発展をみせた。根幹文化と言語を共通としながらも、国ごと地域ごとにさまざま異なる様相を持っている。
ただ、危機に対する意識というのは広く共有されていた。
精霊についての恐ろしい伝承はその一つで、これは単なる怪談の域を超え、実際的な注意喚起として老若男女に認識されている。
一例としてイリー世界の水中には、最強にして最凶のばけものがいた。
人もけものも、見境なく取って喰われる。海でも湖でも、その中に足を踏み入れたが最後。かれらにとっての水は、獲物を取り絡めて決して離さぬ、蜘蛛の巣網と同じである。
よって日没以降は、決して水に近寄ってはならないのだ。日が暮れたら、決して水に触れてはいけないと、イリーの子らは大人たちにきびしく言われて育つ。……
「ヒヴァラ……!」
手前の方、暗い湖面に小さく突き出た頭はヒヴァラだ。
しかしその後ろに盛り上がったものは、長ーい首をどんどんのばして青白く光り始める。
「見るな、アイちゃん」
かすれだみ声で父が言った。
「もう間に合わん」
――間に合わない……って??
くあああああッ!
青じろく光る姿は、巨大な馬のそれだった。ぬめるような体の表面、水の中の藻みたいに揺らめくたてがみがアイーズにも見える。そのすさまじい姿のすぐ前で、小さなヒヴァラの頭が……。
ヒヴァラが、怯えていた。小さな目が何かを、誰かを探してさまよっている。誰か?? ヒヴァラが探しているのが自分以外の誰でもないことを、アイーズはよく知っている!
「お父さん、ごめん」
するッ、とアイーズは駆けだした。
「うあッ、ちょっ……アイちゃぁぁぁん! いかーんッッ」
すばやく左手にさくら杖を持ち換えて、そのつり紐を手首に通しながら、アイーズは突っ走る。
ここ一番の全力疾走で、のしのしのーし・ずどーん! と湖面に向かった。
でもって実はアイーズは足が速い。制止しかけた父をかるく振り切り、砂利をぶちまけながら浜に踏み込む。
ばしゃッ!
ヒヴァラのいるすぐ近くに、アイーズは勢いよく飛び込んだ。
「わたしのヒヴァラを、」
ヒヴァラの後ろで光る青いやつには、目をくれない。くれないけれど、ふくよかな胸とお腹の奥底から、ぎんぎんに放出した気合をそっち方面にぶつける。
「あんたなんかに、食わせないわよ! 水棲馬ぁぁぁっ」
アイーズはがしり、とヒヴァラの頭を抱きしめた。口に巻かれた布を、ぐりっとはぎ取る。その勢いでヒヴァラのうすい肩をひっつかんで、浜の方へとぐいぐい引っぱる……大丈夫、ここはまだまだ足が立つ浅瀬だ!
ぎ・あ――ッッッ!!
馬とはおよそ似つかない、しかし気ッ色わるいいななき声を響かせて、青く光る怪物はぐうんとそそり立った。
青い水しぶきが、ずばんと二人の周りを囲む。
胸のあたりまで湖水につかってヒヴァラの肩と首とをかたく抱き、引きずりながら、アイーズはぎろッとそいつをにらみ上げる。
つめたく燃えるようなぎらつく双眸、そして沸騰中の鍋みたいな蒸気を噴き出す鼻づらがアイーズにむけられた。
おそろしい。恐ろしい、こわい。
けれど、こんなふうにヒヴァラを失うのはもっと怖い。右手にヒヴァラを抱いたアイーズは、その左手にすちゃっとさくら杖を握った!
――今度こそヒヴァラを救うのよ、わたしは!!
アイーズがぎりっと歯を食いしばった、その時。
「――いざ来たれ 群れなし天駆ける光の粒よ、高みより高みよりいざ集え――」