お兄さんいい人だわ、ほっこり!
「……実は私は、こちらへ来るのにあまり気が進まなかったんです。けれど父は珍しく、高地へゆけと私に強く言いました。それで配属されて半年ばかりもたった頃、いきなり父がたずねて来まして……」
グシキ・ナ・ファートリの言葉に、アイーズはどきりとした。
隣のヒヴァラのぎくり、も感じ取っている。
ヒヴァラの父、ファートリ老侯はたしか兄の地方配属後にファダンの家を引き払い、そのまま行方不明になっていたはずだが……。
「父さんがここへ来たの? 兄さんをたずねて?」
「ああ、そうなんだ。ひどく急いで、やつれた様子をしていてね、……。おばあさんをイヌアシュルの大おじさんの所へおいてきたから、後はグシキ、よろしく頼むと言って」
ファダンの家はたたんで来た。これから自分は国外へ出るから、以降のファートリ家督はお前にいっさいを一任する。そう言った父はとにかく慌てて、時間を惜しむように行ってしまったと言う。どうしてそうするのか、ヒヴァラの兄に詳細を何も語らぬまま。
「……それ以来、私が唯一のファートリ姓を継ぐ者として、ファートリ侯と名乗っております。その時を最後に父には会っていないので、今は生死のほどもわかりません」
ゆえにグシキ・ナ・ファートリは、自分がファートリ老侯なのか若侯なのか、判断がつけられずにただファートリ侯と称している、と言った。
「実家にひきとられたおばあさま、と言うのは? お父さまから、何か詳しい事情を聞いてはいなかったのでしょうか?」
そっと聞いたアイーズの問いに、ヒヴァラの兄は頭を力なく振った。
「イヌアシュルの大おじ宅に着いた時点で、祖母は起きているのに眠っているような状態でした。父が出て行った後、まもなく亡くなったのです」
つまりヒヴァラの兄は、弟がなぜ、どこへ連れ去られたのかを一切知りえなかったのである。知らないままに一人この高地にて、一巡回騎士として地味な努力を重ねてきたのだった。
「だから、ヒヴァラがそんな目に遭っていただなんて、私はまったく知らなくて……。済まなかったよ。マグ・イーレで、母方家族と一緒に元気にしているのだとばかり、思っていたんだ」
湿っぽい声で、ファートリ侯はヒヴァラに言った。
「でも再会できて、嬉しいよ。わざわざ会いに来てくれて、本当にありがとう」
「……」
ヒヴァラも、はにかんだ笑顔を兄にむけた。アイーズの豊かな胸のうちに、うれしさが満ちる。
――なーんだ……。ヒヴァラのお兄さん、やさしい良い人じゃないの! よかった、ヒヴァラは一人ぼっちなんかじゃないんだわ。
「それで、バンダイン老侯。ヒヴァラの今後の話なんですが。このことも含めて話したいことがたくさんありますし、今日はヒヴァラを私のうちへ泊めたいんです。皆さんもご一緒に、どうでしょうか?」
本来なら、出張中の巡回騎士である老若バンダイン侯は、この高地第二分団基地に滞在できる。もちろん強制ではないが。
微笑をたたえて穏やかに提案してきたファートリ侯に、アイーズの父はもしゃもしゃとうなづいた。
「ありがたく、そうさせていただきましょう。軍属でない娘はこちらに泊まれません。イヌアシュルの町なかに宿ろうと思っていましたものでの」
それを聞いてアイーズは、小さくかくッと前のめりになった。
なんだかんだで、どうにも父は娘軸で行動している……。
自分だけ町の宿屋に泊まったっていいのだ。でもそれを言えば、護衛が要人からはなれちゃいかんでないの、と却下されることもアイーズにはわかっていた。