怪奇体験も観光のうちよ!
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その日の空は白っぽかった。
リメイーの町から、≪切り株街道≫をそのまま北上する。まっすぐではなくて、やや北東よりへ進む道だった。
「道のずっと先が見えないよ、アイーズ」
「ほんと、霧でかすんでるわね!」
樹々が濃く密になった街道脇の林の中にも、白っぽい霧がたなびいている。ヤンシーと父とは、アイーズ・ヒヴァラ騎にだいぶ近いところを進んでいた。
二人が何かに用心していることを察して、アイーズは油断することなく手綱を握っている。
時々、品物を満載にした馬車とすれ違う。今朝はリメイーの町で朝市が立つらしいから、売りに行く近郊の農家たちなのだろう。
ちりちり、ちりちり、ちりり……!
そういう荷車を引く農馬たちには、首鈴がつけられていた。少々さわがしいくらい、鈴音をにぎやかに鳴らしつつ、霧の中から現れてはべこ馬の脇を通り過ぎてゆく。荷台の中は、野菜のつまった箱や籠でいっぱいだった。
「あっ! かわいい」
すぐ後ろでヒヴァラに言われて、アイーズはどきりとした。
「ずんぐりむっくりしてて、ひゃあ……あんなにたくさん、野菜かごをしょってるよ……! ほんと、力持ちだなぁ」
ヒヴァラが脇を通り過ぎる黒い驢馬のことを言っているのだとわかって、アイーズはほっとしたような残念なような、……妙な心持ちになった。
とその時、ふと視界がせばまる。
「え、……あらら?」
アイーズが御しているべこ馬、白地に黒ぶちのその頭の先が、真っ白な壁に突き当たったかのようだった。突如、霧が濃くなったのである。
「うえっ、ちょっと何かしらこれ……。ヤンシー! お父さん! 霧すごくなーい?」
さすがに驚いて、アイーズは声を上げた。しかし距離を置かず前後にいるはずの、兄と父から返答はかえってこない。
まさに真綿にくるまれたよう、奇妙な厚みの霧にまとわりつかれて、アイーズは不安をおぼえた。
――こんなに厚い霧、見たことないわ! でも慌てちゃだめ……わたしが慌てたら、べこ馬とヒヴァラが怖がるもの。大丈夫、足もとまでは視界があるし。落ち着いて……。
丸ぽちゃ顔を引き締めて、アイーズが手綱を強く握ったとき。
ヒヴァラはそうっと外套頭巾をずらした。わずかにのぞいた額の生え際の髪から、くわッと燃えるような赫い輝きが放たれる。と同時に、三白眼となったその双眸から、ぎらりと眼光が走った。
「あら、ららら?」
しっかり前を向いて集中していたアイーズは、あれほど厚かった霧がふいと揺らぎ、すごい速さで薄まってゆくのを目の当たりにして、またもやびっくりした。
たちまち視界が元に戻って、前をゆくヤンシーの縹色の背中が見える。
「ちょっと、ヒヴァラ! 今の見た~?」
「うん。何や、あやしい超常のやつやな! すごんだったら消えよったで」
「……え?」
返る言葉に妙な調子を聞きつけて、思わずアイーズは振り返った。
しかしそこにあるのは、不安におびえたようなヒヴァラのやぎ顔である。
「怖かったよねぇ、もしかしてひょっとして……おばけ~~??」
「……」
気のせいか、と慌ててアイーズは前方を見た。
「まーさかぁ。おばけは夜型なんじゃないの! こんな朝っぱらに活動することはないわよ~!」
「いや、それがよぉ? あるんだと」
ふるっと速度を落としてべこ馬に並んだヤンシーが、なんでもないように話しかけてきた。さっきアイーズが声を上げて呼びかけたことなど、まったくなかったもののように。
「この辺の街道ではなぁ、時々霧が出るとやたらめったら通行に時間を食う。どうしてなんだか誰も知らねぇが、中央からの伝令がしょっちゅう霧にまかれて立往生しやがんのよ」
「……」
「俺が話を聞いたやつは、霧に巻きつかれて何も見えなくなった、とかほざいてやがったがよ~? まー、変な話よな。ごるぁ」
さっきの厚ぼったい霧を、兄は見なかったのだろうか……。アイーズはいぶかしんだ。つまり自分たちだけが、霧に巻きつかれていた??
「やーだ、もう。だからっておばけのしわざだなんてー、ヤンシーってばー」
またわたしのことをからかってるんでしょ……と言いかけて、アイーズはやめた。
兄はちょっと肩をすくめて見せただけ、元不良なりのまじ顔である。冗談ではないらしい。
ヤンシー騎、アイーズ・ヒヴァラ騎の後ろでは、バンダイン老侯が首をもしゃもしゃとかしげている。目の前を進んでいた娘たちの姿が、先ほど一瞬だが白い霧に取り巻かれて消えかけた。
その直後、ヒヴァラの頭のあたりがふわりと赫く輝いて――その輝きにまるで恐れをなしたかのように、霧の厚みが四散するのを老侯は見たのである。
人びとを取り巻いては道に迷わせる≪霧女≫のことを、老練な父はその昔言い伝えに聞いたことがあった。……まぁ、いたずら者の精霊なんて気まぐれなものだし、自分の視力も老眼入りまくりで気まぐれだし、と思い直してバンダイン老侯は何も言わずについてゆく。
超常現象目撃談を語って周囲に心配され始め、息子たちに早期引退をすすめられる方がいやなのだ。時短勤務になったとしても、生涯現役希望の父である。
その後しだいに霧はうすく消えてゆき、空の青みがはっきりとわかるようになった。道には勾配が出始めて、三騎は≪高地≫へとさしかかる。