高地へ旅立つわよ! レッツゴ~
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翌日の朝。
アイーズとヒヴァラ、バンダイン老侯とヤンシーは、ファダン大市の北門から出立した。
少しだけ雲の散る薄青色の空の下、三騎はまっすぐ≪切り株街道≫を進んでいく。
老若のいかつい巡回騎士に、妙なあいのり男女の一騎がはさまれるようにして進むさまは、少々周囲の目を引いた。
ファダン大市へむかう対向の荷車、商人や農家たちが不思議そうな顔でアイーズたちを見ながら行き過ぎる。こわもての老若お巡りさんの手前、からかってくるような輩はもちろんいなかったが。
プクシュマー郷へと通じる道を過ぎると、街道わきの林がどんどん密度を増してゆく。
「……なんか、森がモリモリして来たね? アイーズ」
いきなりぼそりと、しかもどうしようもないことを後ろからヒヴァラに言われて、アイーズは公用馬の手綱を握ったまま、ぶほッと噴いてしまった。
今回貸してもらったのは大きな雄馬。白地に黒ぶちの散るさまが、牛のごとき【べこ馬】である! かわゆい。
「それじゃあヒヴァラ、こんど海にも行こうかー。シマシマもようの島を見るわよ~」
ぶひッ、と背後でヒヴァラも噴いたらしい。支えに握っているはずのアイーズの肩掛けかばん革帯が、きゅきゅっと瞬時せばめられた。
「なーんて、ねー。ヒヴァラは、こっち方面に来るのが初めてなのよね?」
はなにかかった声で、アイーズは話しかけてみた。兄に会うのは怖いと言っていたけれど、今日のヒヴァラは前よりずっと落ち着いている。
アイーズと父とヤンシーとに囲まれて、安心してもいるらしかった。母が修繕を終了し、まともなイリーの上衣風になった例の砂色外套を着て、静かにアイーズの後ろに乗っかっている。
……そう言えばこの外套も、再会した時はずいぶん汚れて泥みたいな色にみえた気がした。ヒヴァラはいつの間にきれいにしたのだろう、という小さな疑問が、アイーズの豊かな胸のうちをかすめて消える。
「うん、そうなんだ。こうやって、市の門から外に向かって出たっていうのが、そもそも初めてかもしれない……」
子どもの頃は、ほとんどファダン大市から……いいや。市中心にある騎士修練校に通う以外、西町からもあまり出たことのなかったヒヴァラなのである。
そしてプクシュマー郷の近くでアイーズにめぐり会うまで、どこをどう歩いてきたのだか定かでない。とにかく切り株街道でなかったのは確か、とヒヴァラは言った。
「こんな切り株、見たことないもん。ほんとの本当に切り株だらけだから、≪切り株街道≫なんだねぇー」
三騎の進む道には、たしかにそこかしこに古い切り株の腐れあとが点在していた。どれも大きなものばかり、かつてここに巨樹が生きていた証拠である。
約三百年の昔に到着した初期イリー植民以来、ファダンの民の祖先が長い年月をかけて深い森を切り拓いた道なのだ。
南端の首邑・イリー湾に面したファダン大市から、国境北端までを貫通している領内随一の主要路である。
ファダンが伝統的に誇る水軍は、この幹線道路なしには結成しえなかった。ファダン人が≪高地≫と呼ぶ地帯からこの≪切り株街道≫を越え、豊富な木材を運んではじめて、中型船の造船ができるのだから。
「そうそうそう、そうなんだったっけ……」
騎士修練校の授業で教わる一般知識をアイーズが話すと、後ろにいるヒヴァラはしきりに感心していた。
肩越しにちょっと振り向くと、やはり嬉しそうに微笑している。
地理歴史は男女共通科目だったから、二人は一緒に授業を受けていた。だいたい隣の席に座って。
ヒヴァラはいつも大判ファダン領地図を机いっぱいに広げて、その上に筆記具や書き取り布を置いていたな、とアイーズは思い出す。
「地図の上では細い線だったけど。ほんとにあるのは、ぶっとい道なんだ」
頭の後ろから聞こえてくるつぶやき声が、アイーズの耳に入ってなんだか快かった。
だいぶ低くなって、ティルムン抑揚が入っている。
けれどこれは、あの頃たしかに自分の横にいた男の子なのだと、アイーズには素直に思えていた。
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通過する村と村とのちょうど中間、周囲に人通りも荷車の姿も絶えて、濃い木々に道の左右から挟まれるとき。
先頭を行くヤンシーは少々アイーズ騎に寄り、しんがりの父はやや離れて間をとった。
老若バンダイン侯はけっして油断をしない。
「ヒヴァラ君を襲ったやつのこともあるけんどー。山賊が挨拶してくるかもしれんしね」
父はひょうきんめかして言うが、大いにあり得ることなのだ。
地元分団の巡回騎士たちも頻繁に警邏を行ってはいるが、追いはぎ営業をするならず者たちは後を絶たない。
「でもねえ、巡回騎士を襲って何を盗るって言うのよ? この場合」
アイーズは父に、素朴な質問として聞いてみた。
例えば自分が見た目きんきらのお金持ち令嬢なら、持ち物や財布をとられる心配をしなければならないのだろう、とは思う。
しかし実際のアイーズは、着心地はよくてもだいぶ使い込み感のあるものしか身に着けていない。
本日もおなじみ、毛織の丸帽と灰青色のふくろ外套。いかにも文士っぽくて自分では気に入っているけれど、としごろ女子の装いとしてはだいぶ渋い。装飾品は銅貨みたいにぴかぴか光る自前の鳶色巻き髪と、星のつまった大きな瞳。取り外し不可能だ。とにかく見るからに金目のものは持っていない、末端貴族令嬢なのである。
「アイちゃんを山賊にさらわれてもうたら、お父さんは悲しくて悔しくて死んでしまうぞ。そうさせんために、くっついてきたんじゃろがい」
背後からまじめに父に答えられて、アイーズはうへぇと首をすくめた。
少し前をゆく兄ヤンシーは、やれやれと言う風に首を振る。が、否定はしない。
ヒヴァラは何も言わずに、ただアイーズの肩掛けかばん革帯をきゅうと強く握った。