驚愕の事態発覚、じゃないの~!!
「それじゃあね、ヒヴァラ……。わたしから聞くけど。どうして今の君は、西方ティルムンなまりで話しているの?」
「えっ、……な、なまり?」
あからさまに、ヒヴァラはうろたえていた。
「何言うのさ、アイーズ……。俺、イリー語でしゃべってるじゃないか?」
「そうね。でも、抑揚がどうにもティルムン調よ。前の君は、そういう風には話していなかった」
「……」
昨日、会ってすぐにアイーズは違和感を持ってはいたのだ。
けれどヒヴァラは怪我をしてふらふらしていたのだし、少々ろれつがおかしくなっているのかもしれない、ともアイーズは思っていた。
しかしずいぶん回復したらしい今でも、ヒヴァラのイリー語は時折やたらと早口になる。しかも、はんなりした抑揚がところどころに混じるのだ。
ずっと東に行ったところにある近隣国、テルポシエの下町調はちゃきちゃきした早口で有名だが、それとも全く違っていた。
「あのね、ヒヴァラ。わたし今、ティルムン語からの翻訳士をしているのよ」
「!!」
「読み書き中心ではあるけど、多少ティルムン語を話せるようになったの。だからわかるのよ、……まさか君、ティルムンに住んでたの? その、……いなくなっちゃった後」
「そうなんだ」
ぐすっ、と湿っぽく鼻を鳴らして、ヒヴァラはうつむいた。
「……アイーズにいちばん最後に会った日。うちに帰ったら、おじさんが来ててさ……。そいで養子迎え入れの手続きができたから、これからマグ・イーレへ一緒に来なさいって。むりやり船に乗せられたんだ……。ファダンの港から」
――よ、養子!? マグ・イーレ!?
思いもよらない言葉ばかりがヒヴァラの口から出てきて、アイーズは驚いたが何も言わなかった。
「……前々から、そうなりますよって母さんに言われてはいたんだよ。けど俺はすっごく嫌だった。ファダンにいたかったから……」
ヒヴァラのひげまみれの細いあごと、食卓上の両手がふるふる震えている。それを見てアイーズは、腰掛を持ち上げて場所を移った。
角をはさんで左脇に座りなおし、ヒヴァラの肘に手をかぶせる。同調および支援をしめす、騎士的礼節をわきまえたしぐさで、アイーズは穏やかに問うた。
「……あの日はそのことを、わたしに相談したかったのね?」
こくり、とヒヴァラは小さくうなづいた。
あの日。川の土手でアイーズが少年と別れてしまった、遠い昔……。
「小っさい夕行便の船の中でも、どうにかしておじさんをまいて、ファダンに帰ろうって……。そればっかり考えてた。最悪、マグ・イーレからだって歩いて帰ってやる、っても思ってたんだ。けど、着いた先のテルポシエ港で、でっかい船に乗せられて」
かた、かたかたたたた……。
ヒヴァラの右手が震えながら近づいた。そうしてヒヴァラの左肘内側にかぶさっていた、アイーズの右手にすがりつく。
「……長い旅だったよ、……俺はずうっと気分わるくて。押し込められた室の中で、ほとんど寝てた。起きてるんだか夢なんだか、ぐるぐる目が回って区別のつかない時間がいっぱい過ぎて……。それでふうっとはっきり目が覚めたら、自分が沙漠のまん中の水緑帯にいるってわかったんだ」
握りしめる手のひらも、見つめてくる双眸も、どちらもアイーズにすがりついていた。ヒヴァラは過去に、おびえているのだ。
「沙漠、ですって……?」
アイーズは目をしばたたかせる。
ゆっくり頭を回して、台所の壁にかけた装飾調の地図を見た。数年前にガーティンローの書店で買った安物だが、一応アイレー大陸の全容が描かれている。
右から左へ向かって広げられた、鳥の翼のような大きな島。アイレー大陸。
つばさの付け根にあるのは、≪東部大半島≫。左に視線をずらして中央の下部分、すなわち南海沿岸部にこちゃこちゃっとかたまって寄り添うのが、≪イリー都市国家群≫だ。
東端から順にテルポシエ、オーラン、ここファダン、ガーティンローにマグ・イーレ、西の端にデリアド、とイリー諸国がならんでいる。
デリアドから森ふかき山脈を隔てて、地図の陸地部分は白く塗られてあった。人の住めぬ不毛の地、≪白き沙漠≫が大きく広がっているのだ。
だから翼の形のアイレー大陸・先っちょ部分、そこにある文明発祥地の【ティルムン】へは、ぐうっと海路を西へ回り込んでの船旅で行くしかない。
数か月おきに発着する、テルポシエ・ティルムン間の定期通商船で半月もかけなければ到達できない、途方もない遠国なのだ。アイーズが翻訳する、すてきな書物の生まれる国……。しかし。
少年だったヒヴァラは、そんなところへ連れてゆかれたと言うのだろうか? ≪白き沙漠≫に取り巻かれた国、ティルムンへ……!
「……さらわれたんだ。俺」