VSすり! 正義の棒術炸裂よ
するり!
ヒヴァラが肩にかけた、母の籠。男性の右手が何気なくさりげなく、その中に入り込んでゆく。
アイーズは息を飲んだ。
――あの中には、お母さんのお財布がっ……!!
すい。
ほんの少しだけ、膝を折ってアイーズは屈みこむ。
同時に右手をさくら杖の下の方へすべらせ、左手指でつくったまる〇筒の中を垂直に突き上げ通した。
だあんッッ!
男性の右肘に、杖の握り先端を直撃させる。
――護身・イリー棒道、四肢急所突!!!
「ひゃあああ、痛だだだだッッ……て、おう!? なあにすんだ、でぶ小娘があッ」
大げさな悲鳴を上げて、男は振り向いた。
突きにしびれてしまった右手を左手でかばうようにして、憎悪の目でアイーズを見下げてくる。
「あなたこそ、一体なにをしているのよ! わたしの連れの籠に、手を入れていたでしょうっ!?」
「はあ~? 何言ってんだ、でぶのあまっ子が。俺ぁ兄ちゃんと仲良く平和的に、おしゃべりしてただけだろ~う?? 落ち着けよ、頭を冷やせって。これだから女は困るよな、なぁー??」
べたりとヒヴァラにくっついて、男は誤認に向けて状況を操作しにかかる。
寄りかかられたヒヴァラは、ぎりっと凝固して委縮したように身を引いた。
「あの……あの。やめてください」
「あれ~。兄ちゃん、ファダンの人じゃないねぇ?? どこから来たの、遠くから? その髪にそのなまり……イリー語しゃべれるのかな!」
ぐいいっっ!!
アイーズは力まかせに、男とヒヴァラの間に割って入った。
ヒヴァラを背中に、さくら杖を八相にかまえ持つ。
「すりには関係ないことよ。いいかげんに、黙ったらどうなの? それとも、巡回騎士を呼んだほうがいいのかしらね」
きっぱりとした態度で見上げるアイーズを、中年男は意地の悪さをむき出しにしてねめつけてきた。
同時に、いやなにおいがアイーズの鼻をつく……。加齢もあるのだろうが、男の心のゆがみが臭っているようにしか思えなかった。
「そうさなあ。呼んでもらいたいのは、何にもしてねぇ俺の方さね!? こんな言いがかりをつけてくるでぶっ娘に、おきゅうをすえてもらおうかい。公衆の面前ですりだなんて言われちゃあ、名誉毀損で訴えられる可能性もあるよなあ! なぁ皆さーん??」
男はあくまでアイーズを見下しぬいて、悪びれもしなければ退きもせず、今度は聴衆を味方にしようとし始めた。
列の前に並んでいた人びとは、もうだいぶ前から引いていたのだが……。言ったもの勝ちで、男は自分に流れを引き寄せようとしている。
皆、前を向いて並んでいたのだ。後方で起きたいざこざに、確信をもって判定なんてつけられるわけがない。
ついでに言えば名誉毀損だなんてこむずかしい言葉を使っているのも、それでアイーズを揺さぶろうと企んでいるからである。
「そうだな! お巡りさんを呼んでこようか。なあ奥さん!?」
さらに大きな声を上げて、すり男は隣にふいとあらわれたふくよか婦人に話を振った。
「……うちの娘が、なにか?」
店内での品ぞろえを見極めて、戻ってきたアイーズの母である!
すり男は瞬時目を丸くしたが、母が状況をわかっていないと飲み込み、すばやく口撃をまくしたてる。
「よう、お宅の娘になぁ!? こちとら因縁つけられて、ほとほと困ってたところなんだ。お巡りを呼んで欲しくないなら、娘の不始末に落とし前をつけるんだな! まったく、どういう教育してやがんでぇッ」
ぐ・ぎ――んっっっ!!!
母の双眸に瞬時、闘志が灯った。
それを見てアイーズは、やばいわーと思う。
「教育ねぇぇ。巡回騎士の娘に恥じない、りっぱな教育しつけを施しましたがねええ??」
ぐいいいい!
ヒヴァラを背にしたアイーズの前に、今度は母が割り込んできた!
そのまま荘厳なる胴まわりでもって、物理的に男を押しのけてゆく。
巡回騎士の娘と聞いて、攻撃的な男の顔がにやついたまま青ざめていくのを、アイーズは母の肩の向こうに見た。
「お母さん。その人、ヒヴァラの籠の中に手を突っ込んでたのよっ」
「ほほーう、すり未遂か。どれ、拘束しといてお父さんとお兄ちゃんを呼びに行こうかね」
言いながら母は、肩掛け内側の腰のあたり、帯に手をやる。
しかしどすのきいた言葉の終わらぬうち、口の回る中年すり男は後じさりを始めた。
くるりっ……!!
次の瞬間、脱兎のごとく駆けて行ってしまった。
「あ、逃げたわ!」
「捨ておきなさい。アイちゃんや」
貫禄たっぷりにびしりと言われ、アイーズは母を見る。
「籠の中に入れておいたのは、空のふろしき巻いたのですよ。お財布本体はお母さんが持ってて、無事なのだから」
「あ、ほんと……」
ヒヴァラが取り出したのは、かたく巻かれた大判布だった。すりはこれを財布と見間違えたらしい。
「そんなのと見間違うなんて、あの人よっぽど老眼が進んでいるんでしょうね。ものとり生命も長くありませんよ、じきに自滅するんだからほっときなさい」
アイーズ母は頭を振って、少々開いた前の婦人とのあいだを詰める。
その後に続いて横に立ったヒヴァラを、アイーズは見上げた。かなしげなやぎ顔が、ひょろひょろんと見下ろしてくる。
「ごめんよ、アイーズ……。俺がぼんやりしてたせいで」
「何言ってるのよ! 悪いことする人がわるいのよ、ヒヴァラはなーんにも悪くないわ!」
「そうそう、そういうこと。あんなのより列待ちですよ、ヒヴァ君。特大にぼしのいいのがたくさんあるし、貝柱もお安い。何としてでも入手して、帰りましょう」
「貝柱、好きだった? ヒヴァラ」
「……うんっっ! 干したのも生のも、すんごくうまいやつー!!」
ぱかっ、とやぎ顔が咲いたように笑った。
この辺はとってもわかりやすいのね、とアイーズは思う。
今のヒヴァラは食べ物が好きなのだ……。いや、嫌いな人は聞いたことがないが。
沙漠の中で我慢してきた分、イリーの食べ物がよりいっそうなつかしくって、おいしいのだろう。
時々……さっきみたいに無言で立ち尽くしている時なども、ひょっとしたら頭の中いっぱいに食べ物のことを考えているのかもしれない。
「あー、でもねぇ。冬にたべる貝は……。生のあれ、なんて言うの? ひだひだ長い部分、あれがおいしいかなあ!」
「おや。ヒヴァ君は、ほたてのひもが好きなのかえ?」
なごやかな空気が、三人の周りに戻ってきていた。
列にあわせてのろのろと進みつつ、母ものどかに応えている。
往年の裏番どすと圧力眼光はたくみにしまわれて、やさしい貫禄だけがヒヴァラに向けられていた。
「ひもは、干物になっていないのねぇー」
お次のかたー! 店内からの、呼び声が聞こえる。