裏番ママはこわいわよ!
「まずはいの一番、にぼしがなくっちゃ話になりません。東町の工房へ行くけれど」
のっしのっしのっしのっし!!
長年の主婦貫禄を見せつけながら、母はアイーズとヒヴァラを引き連れてゆく。
これから下町のはずれを突っ切るのだが、そこは実はファダンの中でも一番がらの悪い場所だった。
「アイちゃんには、いつも言っているけどね。万が一突っかかってくるような輩がいても、相手にしちゃいけませんよ。聞こえなかった、見なかったふりをしてさっさと速足で通り過ぎるんですよ」
「はい、おばさん」
母の言葉に、ヒヴァラはこくこくと神妙にうなづいている。
と言うか母に続く二人はすでに、のしのし・ひょろひょろ、けっこうな急ぎ足で歩いていた。
「お母さん。まだ夕方ってわけじゃなし、そんなに急ぐ必要はないんじゃないかしら?」
気の置けない安酒商の立ち並ぶ、いわゆる繁華街だ。
勤め帰りに飲んであそんで、と言う人たちのためにどの店も開店準備をしている状態。人の通りはまばらである。
「何を言ってるんですよ、アイちゃん。その辺の路地かげ、最後の授業を干したあんぽんたんの不良っ子たちが、ちょろちょろたむろしているじゃないのー」
「……」
言われてアイーズが見回せば……本当だ、さすが母。
商家のあいまの細長空き地、大きな縦長看板の裏などに、ちらほら若い影が見える。
十代半ばの大きな子どもたちは、人生をなめきってななめ見していると言うだけで、大それた悪意を胸に抱いているようなわるものではない。
しかしふたり三人と群れることで得られる、天下無双の妄想に酔っているのだ。
まじめに生きているもの、美しい努力をしているおとなしそうな者を見つけしだい、ただちにからかってあざけり笑ってやろうという、浅はかな野心にみち満ちていた。
案の定、彼らはアイーズたちがそばを通り過ぎるのにあわせて、噴き出してみせる。
ぷ、ふーッッ~! ふ、ふ、ふぁははっっ!
この手の引きはもう何十何百回と経験して、鼻を鳴らすことすらしなくなったアイーズだ。
何わらってるのよ! と言い返せば、やつらの思うつぼである。
はあ? あんたのことじゃねぇーよ。自意識過剰なでぶだなぁ。お前より立派なおっぱいは、他にもいっぱいいるよー!
そんな風に言わせて、より楽しませる結果になってしまうのは目に見えていた。
自分が彼らと同年代だった頃は、手巾を噛みたくなるほど頭にきたことも多かった……しかし。
所詮は自信のない子ども、である。
今のアイーズはよっぽどのことを言われない限りは、ふんと捨て置ける女性になっていた。そう、よっぽどのこと……。
「だっせぇひょろひょろだなー」
「あそこもひょろひょろ、してそうだねぇ」
聞こえよがしに投げつけられた嘲り。ヒヴァラをあざけられて、アイーズはぶわっと全身の毛穴がひらく感覚をおぼえた!
ぎりーっっ……! 右手のさくら杖を握りしめる。
すぐ右前をゆくヒヴァラには、聞こえてしまっただろうか!?
おそれつつ視線を走らせて、やぎ顔に表情を読み取ろうとしたアイーズの左手前、ふいっと母が速足をゆるめた。
「宿題やったのかえ。坊やたち」
低ーい声でずっしりはっきり、不良少年どもに聞いている。
あはは、ひゃは……? と笑いかけて、少年たちはようやくアイーズの母の眼光に気づいたと見える。
ぱたりと笑いを引っ込めた、ごく一瞬のことだ。
「そろそろ夏期の中間試験でないのかね。……あぁあ??」
ぐ……ぎーん!!!
母が小首をかしげると同時に、三人の不良っ子どもは体の向きを変える。ぱあっと走り出して、ごちゃごちゃ入り組んだ狭い路地のかげに消えうせた。
そっとアイーズが後ろから見やれば、母の横顔にすさまじいどすが詰まっている。
その引きつりようが、ふいっと緩められていつもの母のすまし顔になる。
「さあ、行きましょう。二人とも」
「あの。……おばさん」
ヒヴァラに高いところから声をかけられて、ふり仰いだ母の顔には今度は不安がにじんでいる。
後ろから二人を見ているアイーズだって、はらはらしている。
――長いあいだ奴隷状態に置かれて、今も不安定になっているらしい繊細なヒヴァラなのに……。あんなくだらないからかいに、また傷ついちゃってたらどうしよう!?
「……なあに、ヒヴァ君?」
「ゆでたまごをたくさん入れる、って言ったでしょう。やっぱり卵をから付きのまんまお鍋に入れて、他のといっしょにゆでるんですか?」
ものすごくはっきりとした、しかつめらしい調子でヒヴァラは母に問うている。
かくッッ!!
ほぼ同時に、アイーズとその母は頭を前のめりにして脱力した。
「……別にゆでて、殻むいてから煮込むんですよ。そうすれば、たまごにだし汁がしみしみになりますからね」
「あー……そっかぁ。しみしみに! 味しみに……!」
納得してうなづいている。
やぎ顔は神妙だった……。打ちひしがれているような様子は、皆無。
――もしかして、ヒヴァラ。ゆで卵のことで頭がいっぱい、ちんぴらの言いがかりなんて聞いちゃいなかったの??
ほっとしたような、微妙なような……。
脱力したまま、アイーズは母とヒヴァラに続いて東町・にぼし工房をめざす。